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Episode 136 ペットに救われるのです。

ミニチュアダックスフントの女の子「クッピ」が我が家に迎え入れられた直ぐ後に、まだ若い猫が社宅の庭に姿を現すようになります。
成猫…ってほど大きくもなく、仔猫ってほど小さくもない、生後半年ぐらいってところでしょうか…。
全身真っ黒の艶やかな毛並みを持つ猫は、何故か社宅の庭の物置小屋付近を居場所に据えたらしく、いつも自宅付近を散歩しては昼寝して…。

子どもが知らん間に餌でも食べさせたのでしょうかね、すっかり居ついてしまったその黒猫、この子も女の子らしく、放っておけば直ぐに発情期を迎えて仔猫を生むのは目に見えていて…。
居着いてしまった以上、放っておくわけにもいかず、必要に迫られて不妊手術をします。
結局、術後の面倒を見る都合で家に上げたのがキッカケで、この黒猫もウチの家族に迎えられるワケです。
野良猫時代から便宜上呼ばれていた「にゃーちゃん」がそのまま名前で定着し、パタパタとペットの家族が増えていったのです。

かまってちゃんの「クッピ」と、知らん顔でマイペースの「にゃーちゃん」。
典型的な犬と猫、わかりやすい程に対照的な2匹がウチの癒し担当として大きな役割を果たすのです。
不思議なもので、犬にかまってってせがまれても、夜寝ている腹の上に猫が乗って丸くなっていても「しょうがねえなぁ」の一言で片づけられるのです。

ペットが家族の緩衝材になったり潤滑油になったり…って話はよく聞く話ですが、その通りだと思います。
この時はまだ子どもらは一番上の長女も小学校の3年生、面倒を見るって言っても犬の面倒を全て見ることは難しいわけで、一緒にやることは自然と増えます。
犬小屋の掃除やら、お風呂やら、出来ることはなるべく長女にやってもらって、難しいことはフォローするのです。
そして、犬や猫が間に入ってくれることで、子どもらとダイレクトに接触しなくて済むのです。

「クッピ」と「にゃーちゃん」には本当に感謝してます。
ASDという特性を持つ私がダイレクトに子どもと接すると、私の言っていることが理解できない子どもたちにイライラしてしまうことが多いのです。

あなたがいて私がいる、そこに社会があるのです。
でも、社会の中で日々の生活を安定して回すために、私にはスケジュールという予定調和が必要なのです
そこには自分が動きやすいように定めたルーティンがあるのです
相手が大人であろうと子どもであろうと、私はルーティンが乱れることを嫌うのです
子どもはそこを汲み取る能力が、どうしても大人よりも劣ってしまう…。
だから私は子どもに対してイライラするケースが増えてしまうのです。

その発想に子どもの発達段階の考慮はありません。
分かってはいるのです、子ども相手に大人気ない…そう思うのもわかっているのです。
でも、自分が安定しないと安心できないのは当たりまえで、安心できなければ子どもたちに対して冷静に対応できないのも道理なのです。

そこに無限ループするジレンマが存在する…。

「クッピ」と「にゃーちゃん」は、無限ループするジレンマに楔を打ってくれるストッパーでした。
犬小屋が上手に掃除できない長女、長女にクッピをかまっててもらって、その間に掃除の手直し、それで長女はキチンとクッピの相手は出来ていることになる…。
一方、これが部屋の掃除なら「何で出来ない!」がダイレクトに長女に向けられる…。

スッと中に入ってくれるペットがASD脳の私にとってはどれほどの救いになったか、彼女らがいなくなってから気が付くのです。
クッピは2011年の秋に乳がんで亡くなります、6歳でした。
にゃーちゃんは2018年の夏に突然姿を消します、おばあちゃんになって食が細くなり、もう先は長くないだろうなと思っていたある日を最後に帰って来ませんでした。

彼女らには感謝の言葉しかありません。
我が家の家族であった「クッピ」と「にゃーちゃん」は、それと同時に私の救世主でもありました。

旧ブログ アーカイブ 2019/1/28

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