【タフティー難民の読解日記①】釈迦と量子論と異次元の巫女──タフティーを「実践書」として読むことにした
買って満足して、数ページ読んで積ん読になっていた「タフティー・ザ・プリーステス」を、改めて読み始めました。
表紙の赤い顔の巫女が微笑んでいます。「さあ、そろそろあなたも目を覚ましなさい」とでも言いたげに。
著者ヴァディム・ゼランド氏は、元量子物理学者。
読んでいてふと感じたのが、「彼、絶対、初期仏教を学んでるよね?」ということ。
お釈迦様が説いていた教えは、実は量子論だったんだと欧米の科学者たちが唱えていると、数年前に聞いたことがあります。
「釈迦=宗教家」というイメージが崩れたとき、私の中で仏教は“生きた科学”に変わりました。
初期仏教にハマったのはそのときからです。
そして今回、タフティーを再び開いてみて感じたことは、
この本は、仏陀の教えを“異次元の巫女”というフィルターを通して、現代でも実践できるように翻訳したものだ、と。
私は、一気に理解するのは無理なので、一つずつ丁寧に読んで、実践しながら消化していくことに決めました。
今日はその最初の「序章」をまとめます。
異次元の巫女・タフティーとは誰か?
『タフティー・ザ・プリーステス』に登場するタフティーは、三千年前、イシス神殿で未来を見通していた巫女です。
彼女は“スクリーンの外側”から現実を操作する方法を教えに、今この時代に現れました。
彼女が語る真理はとてもシンプル。
「あなたが現実だと思っているものは、ただの“映像”にすぎないわ。」
……いやいや、現実は物質でできてるでしょ?
──そう思うのが“夢を見ている状態”なのだと、タフティーは指摘します。
彼女によれば、私たちが見ている“現実”は、後方にあるスクリーンから投影されている映像にすぎません。
その映像を「どこに注意を向けるか」によって、前方のスクリーンに映し出される現実が変わっていく。
つまり、「現実を創っているのは“あなたの注意”だ」というわけです。
私たちは“覚めない夢”の中にいる
朝起きて、スマホを見て、ニュースに心を乱され、仕事に追われる──
この一連の流れこそが「夢」の正体です。
タフティーは言います。
「あなたは眠ったまま現実を見ているのよ。」
私たちは、外側で展開されるスクリーンにばかり意識を奪われ、本来の創造の場である“後方のスクリーン”の存在を忘れています。
まるで映画館でポップコーンを食べながら、スクリーンの中のドラマに心を持っていかれるように。
でも、真実は──
スクリーンの裏には、「自分で映像を流す装置」が存在している。
夢から覚めるとは、「私はこの現実を動かせる存在なのだ」と気づくこと。
タフティーは、その“目覚め”を促すために、わざわざこの地球に(本の中から)語りかけてきているのです。
現実はスクリーンだった──観客席から監督席へ
さて、冷静に考えてみましょう。
私たちは、日々どこかで「観客」になっていませんか?
通勤電車でボーッと外を眺める
SNSで他人の投稿に一喜一憂する
ニュースに振り回される
これらはすべて、“外側のスクリーン”に反応しているだけの状態です。
タフティーはこう言います。
「あなたは映画の中にいる。でも、そのフィルムは書き換えられる。」
つまり、現実に飲み込まれて“観客席”に座るのか、
それとも自分の人生の“監督席”に座り直すのか。
その選択が、これから私が学ぼうとしている「タフティー式現実操作」の核なのです。
今日はここまで──まずは“スクリーン”の存在に気づく
今日は短いですが、まずは「現実はスクリーンである」というところまで理解しました。
正直、これだけでも私の脳はパンパンです(笑)
タフティーは難解で、「タフティー難民」と呼ばれる人たちが世の中にはたくさんいるそうです。
……ていうか、私もその難民のひとり。
でも、せっかくタフティーという本に出逢えたので、意を決して、今日から一つずつ理解しながら、日々の生活でタフティーメソッドを試していこうと思っています。
私の目標は、「タフティーを知らない人でも、このnoteを読めばわかる!」という記事にしていくことです。
私が“タフティー難民”を卒業するその日まで、しばしお付き合いください。
次回予告
幻影を見破る目を養う──タフティーの覚醒理論
「前方のスクリーン」とは何か?現実を動かす力の正体
「後方のスクリーン」=現実創造の司令塔
について理解していきます。
