お弁当箱の中に咲いた春 【シロクマ文芸部】
「花びらを入れてね、絶対ね!」
「花びらいる〜、絶対いる!」
僕には双子の娘がいる。
名前は さくら と こはる。
保育園は、ありがたいことに給食だが、
月に一度だけ、お弁当持参の日がある。
娘たちのお弁当には、
必ず入っているものがある。
それは…
ハムで作った小さな花びら。
「春に生まれた、さくらとこはるにピッタリのおかずでしょ」
妻がそう言いながら笑う。器用にハムに包丁をすべらせていくと、花びらいっぱいの、ピンクの花の完成だ。
「パパ〜、見て〜。
お弁当箱の中にお花が咲いてる〜」
さくらが僕に、キラキラした目で言うと
「パパ〜、見て〜。
お弁当箱の中に春が来てる〜」
続け様にこはるが、さくらとまったく同じお弁当を見せてくる。
「さくらとこはるのお弁当は、世界一美味しそうだなぁ」
僕が言うと
二人は得意そうに笑って
いそいそと登園カバンに弁当箱を入れていた。
妻は毎回、工夫を凝らした
色とりどりの可愛らしいお弁当を作っていた。
ただ一つ
ハムで作った「花ハム」だけは
毎月欠かさずにお弁当に入っていた。
花ハムはいつからか
妻と、さくらとこはるの
約束のおかずになっていた。
お弁当の日の台所は、いつもよりちょっとだけ物が散乱していて、妻は忙しそうで、でもその忙しさを楽しんでいるようだった。
いつもなら、
僕に朝ごはんを配膳してくれる妻だが
お弁当の日だけは
「今日は手が離せないから勝手に食べてね」
月に一度
妻にとって、僕の優先順位が少しだけ下がる。
そんな平和な朝が嫌いではなかった。
ある日、妻が突然倒れた。
病院に運ばれて
それから、あっという間だった。
しばらくの間は、家事などあまり得意ではない僕を心配して、僕の母と妻の母が、交代で手伝ってくれた。
掃除も洗濯も料理も
さくらとこはるの保育園の送迎も
月に一度のお弁当も…。
何ヶ月かたったある日
さくらがぽつりと言った。
「さくら、花びらのお弁当、食べたいな」
こはるもすぐに言った。
「こはるも、ママの花びらのがいい」
その言葉に、やっと気づいた。
僕は自分を保つことだけで精一杯だった。
でも
この子たちの心は
僕よりもずっと小さくて
ずっと傷ついていたんだ。
次のお弁当の日。
僕は、台所に立った。
妻のエプロンを身につけて。
パックからハムを取り出して
妻のように包丁をすべらせる。
包丁の先が
左手の人差し指に当たった。
小さく血がにじむ。
そのとき、なぜか涙が出た。
妻がいなくなってから、初めて泣いた。
指が痛いからなのか。
ハムがうまく切れないからなのか。
それとも…
妻がいないからなのか。
正直なところ、僕にもよくわからなかった。
左手に絆創膏を巻き
やっとの思いで作った花ハムは
花びらと呼ぶには美しくなかった。
それでも
次の月も
その次の月も
僕は花びらを作った。
少しずつ
それらしい形になっていった。
保育園の先生から聞いた。
「パパが、早起きして花ハム作るのがんばってる」
さくらがそう言っていたと。
「パパの花ハムはママのにだんだん似てきた」
こはるがそう言っていたと。
弁当箱のふたを開けた瞬間
「花びらだ!」
そう言って笑う二人の顔を想像して
僕も少しだけ笑えるようになっていった。
卒園前の、親子遠足の日が来た。
朝、僕は弁当を四つ作った。
さくらの分。
こはるの分。
僕の分。
そして、もうひとつ。
花ハムを
いつもよりたくさん詰めた。
それを遺影の前に置く。
「保育園でお弁当を作るのも、今日が最後だよ」
手を合わせながらそう伝えた。
写真の中の妻は、
あの日と同じように笑っていた。
公園には、たくさんの家族がいた。
レジャーシートに座ったさくらとこはるが
弁当箱を開ける。
こはるは
すぐに花ハムに箸をつけて
パクりと食べた。
「パパ、花ハム作るの上手になったよね!」
こはるは時々
上から目線でものを言うようになったな。
さくらは
花ハムになかなか手をつけない。
さくらが
好きなものをいつも最後に食べることを
僕は知っている。
さくらは花ハムを箸でつまむと
「食べるのもったいない」
そう言って
僕が作った花ハムを
しばらく眺めてから口にした。
食べ終えると、子どもたちはすぐに友達の輪に向かって走り出して行った。
僕は、シートの上にひとり残る。
子どもたちの楽しそうな声が
風で揺れる木々のざわめきと重なって心地よい。
食べ終わった小さなお弁当箱が、二つ。
そのとき
ひらり、ひらりと
桜の花びらが舞い降りた。
一枚は、さくらの弁当箱に。
一枚は、こはるの弁当箱に。
僕は空を見上げる。
満開の桜が、春の風に揺れていた。
僕は、なぜか涙が出た。
でもあの日
台所で流した涙とは違う気がする。
ほおを伝った一筋の涙に
もう一枚の花びらが
そっとふれた。
まるで
「そばにいるからね」
そう言われたみたいだった。
さくらとこはるは
もうすぐ一年生。
妻の前で
二人が選んだ二つのランドセルが
仲良く並んでいる。
薄いピンクと
濃いピンク。
四月が来たら
その背中にもきっと
桜の花びらが舞い降りるだろう。
