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朝露 「意味もなく孤立した一滴ではなく、世界関係の結晶である。それは、あなたの美にも通ずる。」

あなたの美は、ここにもある。

露は、永遠に存在するものではない。朝の冷気の中に生まれ、朝日とともに消えてゆく。

西行 は、移ろう自然に人の心を重ね、松尾芭蕉 は、一瞬の気配の中に永遠の深みを見つめた。

そして 、本居宣長 は、「もののあはれ」を、
「移ろいゆくものに心が深く動かされること」
としても捉えた。

散る花、暮れゆく夕陽、消えてゆく露・・・有限であるものに触れるとき、その哀しみを否定せず、人は存在の奥行きを感じる。

朝露の美もまた、そこにある。
露は孤立した一滴ではない。光、風、葉、静けさ、朝の空気、見る者の心、それら、すべての関係が、一瞬だけ結晶した存在である。

目を転じてみよう。差異の大なるものの中に、何か共通性はないだろうか。
アルフレッド・ノース・ホワイトヘッド は、世界を固定した「物」ではなく、「生成し続ける出来事」として捉えた。

そう考えるなら、朝露とは、世界の関係が、一瞬だけ姿を現した出来事なのかもしれない。

ホワイトヘッドは、美を宇宙論的に考えた。intensity(強度)と harmony(調和)に注目する。

つまり、宇宙は、単なる機械ではなく、より豊かな美を生成する方向性を持つ。

朝露は小さな存在だが、光、水、空気、葉、朝、季 節、重力、気温、湿度、観る者が凝縮した小宇宙である。
したがって朝露は、宇宙的関係性が一点に結晶した美として理解できる。

これは、局所的出来事の中に宇宙全体が反映されるということか。


朝露の美は、単なる「滅びの悲哀」ではなく、生成し続ける世界への参与感覚として再解釈できる。 つまり、朝露は「消えるから美しい」 だけでなく、世界生成の一瞬だから美しい、と考えられる。
 世界関係が一瞬凝縮し、 生成と消滅の間で輝く、 過程存在論的な美の出来事である。


このように、多角的に見ていくと、朝露の美とは、無常、関係性、時間性、感受性、宇宙的生成が一点で交わる経験なのである、と言えそうだ。

朝露は、消えゆくものを単に悲しむのではなく、儚さの中に、存在の深さと世界のつながりを見出すところに、その美しさがある。

自然の一部である人間も、また、意味もなく孤立しているのではなく、関係の中に生成する存在なのである。

あなたは、ただ孤立しているのではなく、世界関係の結晶として、その美を、共通性を持ちながらも、あなただけの美を、生成し続けているのである。

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