何も手につかない日|冷めたスープのある夕方
夕方、流しの前に立って、
蛇口をひねりました。
水は、思っていたより冷たくて、
手首のあたりが、じんとしました。
そのとき、ふと気づきました。
今日は、いくつかのことが、そのまま残っている。
洗濯物は椅子の背にかかったまま。
朝のマグカップは、まだ流しにある。
鍋の中には、昼に温めるつもりだったスープが残っている。
冷めたスープを見つめていると、
手のひらまで、少し冷たくなった気がしました。
やろうとは、していました。
何度か立ち上がりかけた記憶もある。
でも、身体がそこまで応じなかった。
そういう日に、
「せめて何かひとつでも」と力を入れ直そうとすると、
かえって奥のほうが重くなることがあります。
冷めたスープを温め直すには、火のそばに立つ力がいります。
今日の自分には、
その余裕が残っていないだけかもしれません。
温め直さなくてもいい夕方があっていいのだと思います。

冷めたまま置いてあるスープは、
失敗の証ではなく、
今日という一日が確かにあったことの、
静かな痕跡なのかもしれません。
何も手につかなかった日にも、
時間は確かに流れていました。
息を吸って、吐いて。
窓の外の光が少しずつ角度を変えて、
気がつけば、空がゆっくり暗くなっていく。
それだけのことが、
今日という一日を、
見えないところで支えていたのかもしれません。
もし今、
蛇口の水に手を当てているなら。
その冷たさが指先に届いている。
今日も、あなたの身体はちゃんとここにいた。
片づけられなくても、終えられなくても。
ここにいて、
水の冷たさを知っていた。
それだけで、
今日に何もなかったとは、言いきれない気がします。
ゆきの

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