過剰に反応してしまう自分が嫌になる夜に|古い警報が、まだ鳴っていた
こんにちは、ゆきのです。
夕方の帰り道、工事現場の前を通ったとき、サイレンが鳴りました。
何秒も続く音ではなかった。
近くで作業員が動いていて、ただの確認の合図だった。
それだけのことでした。
なのに耳の後ろが、ざわりとした。
全身に、一瞬で何かが走った。
足は止めなかった。
振り返りもしなかった。
でも、そのざわりはしばらく消えなかった。
過剰に反応してしまう、という感覚があります。
目の前では何も起きていないように見えるのに、からだだけが先に動いている。
誰かの声のトーンが少し変わっただけで、胸のあたりが構える。
ドアが急に閉まる音で、息が止まる。
反応したあとで、気づく。
今のは、そんなに大したことじゃなかった、と。
その落差が恥ずかしくて、また自分を責める。
過剰だ、と。
工事現場を過ぎながら、ふと思ったことがありました。
あのサイレンは、今日初めて聞いた音ではない、と。
どこかで、あの種類の音を、もっと近いところで聞いていた。
余裕がなかった頃。
何かが来る前触れとして、あの種類の音を聞いていた時期がありました。
実際に何かが来た日も、来なかった日もありました。
からだは、その音の種類を、覚えていた。
耳の後ろが、今日また先に知った。
今日のサイレンは、ただの確認の合図だった。
でも、耳の後ろが反応したのは、今日の音に反応したのではなかった。
古い場所で鳴っていた警報が、同じ種類の音を聞いた瞬間に、また動き出した。
そういうことが、あった。

帰り道の後半、肩甲骨のあいだに重さが残っていることに気づきました。
反応した直後ではなく、少し経ってから気づく重さがある。
力が入っているあいだは、わからない。
抜けはじめたときに、はじめてそこにある。
その重さが教えていた。
さっきまで、ここに力が入っていた、と。
古い場所の警報が、今日もまた一瞬だけ動いた。
それだけだった。
帰り着いて、靴を脱いだ。
鍵を棚に置く音が、部屋に響いた。
あのサイレンが、まだ古い場所に触れてくる日はあるのだと思う。
それでもあの夕方、私は足を止めなかった。
振り返らなかった。
耳の後ろがざわりとした、その音の外側を、歩いていた。
そのことに、玄関で、はじめて気づいた。
ゆきの

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