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休みがうまく休みにならない日に|音の少ない午前へ


連休が近づくと、カレンダーを見て少しだけ息をついて、
それからなぜか、胸のどこかがざわつく日があります。


「やっと休める」と思ったのに、
いざ何もない午前になると、
何かをしなければいけない気がして、

でも何をすればいいかわからなくて、
気づくと窓の外をぼんやり眺めたまま、
時間だけが静かに過ぎていく。


休んでいるはずなのに、休めていない気がする。
そんな午前が、あるのかもしれません。


かつての私は、何もしていない時間を「無駄にした」と思っていました。

予定のない一日が終わると、
「今日は何もできなかった」という言葉が、
夜になってから静かに積み上がっていく。

休日の静けさを、うまく受け取れなかったような気がしていました。



でも、ある連休の朝のことでした。

カーテンを半分だけ開けて、そのまま椅子に座っていました。
特に理由はなかった。
ただ、そこにいた。


しばらくして、ふと気づいたのです。
耳が、静かになっていることに。

いつもは気にしていない冷蔵庫の音。
遠くを走る車の音。
鳥の声がどこかから届いていること。

うるさくはない。
でも確かに、音はある。

「無音」だと思っていた時間の中に、
ずっと何かが鳴っていた。


何もしていない、と思っていた時間にも、
耳は音を受け取り、
肩は少しずつゆるみ、
呼吸は、静かに深くなっていた。

「何もしない」は、
本当に何もしていないのではなくて、
頭が主導権を手放している時間なのかもしれません。


休めているのに休めていない気がするのは、
休み方を間違えているからではなく、
そういう癖が、まだどこかに残っているのかもしれません。


音の少ない時間は、
何か形にしなくても、
ただそこにいるあいだに、
身体が静かにほどけていく時間なのかもしれません。


窓の外をぼんやり眺めていた午前も、
カーテンを半分だけ開けたまま動けなかった朝も、
身体が必要なことをしていただけなのかもしれません。


もし今日、
何もできなかったと感じる午前があるなら。

ただ、音があることに気づくだけでも。


ゆきの



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