些細なことで傷つく自分が嫌になる夜に|その扉は、ずっと開いていた
こんにちは、ゆきのです。
手の甲に、雨粒が一粒落ちた。
思っていたより、冷たかった。
それだけのことなのに、一瞬だけ、呼吸が止まりました。
友人の何気ないひと言が、帰り道になっても消えない夜があります。
相手はたぶん、何も考えずに言った言葉。
それはわかっている。
でも皮膚の奥のあたりに、ざらつきが残っている。
「気にしすぎだ」と自分に言い聞かせます。
でも言い聞かせるたびに、ざらつきは広がっていきました。
こんなことで傷つく自分が嫌になる。
その声が夜になってから出てくる日があります。
傷ついたことより、傷ついてしまった自分への責めの方が、長く続く。
二重になる夜がありました。
以前の私は、鈍くなろうとしていた時期がありました。
受け流せるようになれば楽になると思って、
感じにくい場所を自分の中につくろうとしていた。
でもそうするほど、かえって些細な刺激がひっかかるようになった。
ある夕方、廊下で見かけた植木鉢の土が乾いていた。
知らない人のものだから、水はあげられなかった。
でも、あの土の乾き方が、しばらく手の中に残っていました。

鈍くなろうとしていたのに、気づいてしまっていた。
誰かの声のかすれや、表情のわずかな陰りも、
言われなくても受け取っていた。
傷つきやすさと気づきやすさは、
同じ扉のことだった。
開いているから、染み込む。
開いているから、気づく。
今日が染み込みすぎる夜は、
窓を閉めて音を減らしていい。
その日の自分が必要な量だけ、
受け取れたならそれでいい。
ただ、閉じることと、開いていることを同時に持てる。
それが、あなたの扉の形なのかもしれません。
傷ついた自分を責めるとき、
気づいていた自分まで、一緒に削らなくていい。
五月の雨が止んだあとの地面は、光っていた。
まだ少し湿っていて、夕方の光を受けている。
雨粒が落ちたから、光れた。
咲かなくても、あなたは美しい。
ゆきの

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