【こども主体の保育とは?】これからの保育者に求められる「教える人」から「引き出す人」への転換|ティーチャーがファシリテーターと呼ばれる日
今日職員会議で出た話題を、少しnoteに書いてみようと思います。
「ティーチャー(Teacher)」と聞くと、多くの人は“教える人”を思い浮かべます。知識を伝え、正解へ導き、できるようにしてあげる存在。
一方で「ファシリテーター(Facilitator)」は、“促進する人”“引き出す人”という意味をもちます。答えを与えるのではなく、その人の中にある考えや力が動き出すように、場を整え、問いを投げかけ、見守る存在です。
では、保育者が「先生」から「ファシリテーター」へと意識を変えていくと、保育の世界には何が起こるのでしょうか。

まず、こどもたちの未来が変わります。
大人に言われたことを正しくこなす力だけではなく、自分で考え、選び、試し、失敗し、もう一度やってみる力が育ちます。
なぜなら、こどもは「教え込まれたこと」だけで成長するのではなく、自分の中から湧き出る疑問や興味を出発点にして、世界と関わりながら学んでいくからです。
「なぜ、そう思ったの?」
「どうして、そうしてみたかったの?」
「次は、どうしてみる?」
こうした問いかけは、こどもの考える力を止めません。むしろ、自分の気持ちや考えに気づき、自分の言葉で表し、自分で次の行動を選ぶ力を育てます。
これからの時代に必要なのは、誰かの指示を待つ力ではありません。自分の人生を、自分で考え、誰かと関わりながらつくっていく力です。保育者がファシリテーターになることは、こどもたちの「生きる力」を育むことにつながります。
もちろん、保育者が大人として伝えるべきことを手放してよいわけではありません。
命を守ること。人を傷つけてはいけないこと。社会の中で共に生きるためのルールや思いやり。これらは、大人が責任をもって伝えるべき大切なことです。
ただし、それは支配することとは違います。
「言うことを聞かせる」のではなく、「なぜ大切なのか」を伝える。押さえつけるのではなく、理解できるように関わる。ここに、ティーチャーからファシリテーターへの大きな意識の変革があります。
保育者自身も変わります。
「教えなければならない」「正しく導かなければならない」という重圧から少し離れ、こどもの姿をよく見るようになります。できないところを直すのではなく、今この子は何を感じ、何を考え、何をしようとしているのかを受けとめる。
保育者は管理する人ではなく、伴走する人になります。そこに、保育の専門性とやりがいが生まれます。
そして、この視点は虐待や不適切保育を防ぐことにもつながります。
虐待の背景には、「大人の思い通りに動かしたい」「早くさせたい」「集団を乱さないでほしい」という支配的な関わりが潜んでいることがあります。
こどもを“従わせる対象”として見るのか、“一人の人格ある存在”として見るのか。
その違いが、言葉を変え、表情を変え、関わり方を変えていきます。
いつか、「先生」と呼ばれる保育者が、「ファシリテーター」と呼ばれる日が来るかもしれません。
それは、先生という存在がなくなる日ではありません。
こどもに何かを教える人から、こどもの中にある力を信じ、引き出し、未来へつなげる人へ。
保育者の役割が、より深く、より人間的に進化していく日なのだと思います。
