『JK縄師の依頼』
深夜零時の静寂。深淵亭の重厚な扉を叩く音は、あたかも冥府からの使者が鳴らす警鐘のごとく、冷ややかに、そして執拗に響き渡った。
支配人である「頼れるお姉さん」は、琥珀色の琥珀糖を指先で弄びながら、妖艶な微笑を浮かべて私を顧みた。「あら、深淵亭がオープンして初めてのお客様は、ずいぶんと……若々しい熱を帯びているようね」
案内された客間に立っていたのは、一人の少女であった。名は、若葉美穂。十八歳。 夜の帳を凝縮したような漆黒のセーラー服。その襟元から覗く首筋は、抜けるように白く、未熟な果実が持つ特有の、危うい芳香を放っている。しかし、彼女の手元にあるのは、最新型のスマートフォンと、もう一つ——煤けた、古色蒼然たる革の鞄であった。
「あの……『若葉流捕縛術』十九代目、予定、の若葉美穂です。じいじ、いや、おじいちゃんがマジで腰やっちゃって、今、家で『くの字』になって固まってるんで……」
彼女の口から漏れる現代的な語彙は、深淵亭の格式高い空気と衝突し、奇妙な不協和音を奏でる。しかし、彼女が鞄を開いた瞬間、部屋の空気は一変した。 中に収められていたのは、数条の麻縄。それは、江戸時代から綿々と続く捕縛の歴史を吸い込み、鈍い光沢を放っている。若葉鬼七、七十八歳。伝説の縄師がその命を削って使い込んできた、呪物にも似た縄たちが、そこに鎮座していた。
「私、本当はネイリストになりたかったんですけど。でも、今日のバイト、穴開けたら違約金やばいって言うし……。お姉さん、私のサポート、お願いできますか? 実は、人間を本気で縛るの、今日が初めてなんです。本番(撮影現場)で失敗して、じいじの名に泥を塗りたくなくて……。だから、その……」
美穂の不安げな視線が、部屋の隅に控えていた私を捉えた。お姉さんは、その美しい睫毛を伏せ、私に優雅な死刑宣告を下した。
「というわけよ、冒険者さん。貴方は今日、彼女が『本番』で恥をかかないための『練習台』になりなさい。若葉流の深淵をその身で受け止め、彼女の不安をその肉体で溶かしてあげるのよ」
私は、逆らうことなど叶わぬ支配人の命に従い、導かれるままに部屋の中央へ。 美穂が震える手で縄を手に取った。しかし、その指先が麻の繊維に触れた瞬間、彼女の瞳から「今どきの女子高生」の光が消え、代わって数代にわたる執念が宿る。
緊縛の様式美
彼女の指先が動いた。シュウ、と乾いた空気が裂ける。 煤けた麻縄は、生き物のように私の手首に絡みついた。それは愛撫というにはあまりに冷徹で、刑罰というにはあまりに端正な動きであった。 彼女は、私の背後へ回り込む。微かに漂うシャンプーの香りと、古びた縄の饐えた匂いが混じり合う。 「動かないで。線の美しさが、崩れるから」 美穂の声は、先程までの甘さを失い、研ぎ澄まされた刃物のように私の鼓膜を打つ。 ギチッ、と麻の繊維が食い込む音がした。白皙の肌——いや、私の無骨な腕に、縄の粗い繊維が容赦なく摩擦の熱を刻印していく。彼女が操る縄は、解剖学的な正確さを持って私の関節を封じ、肉を盛り上げ、一編の彫刻を完成させていく。一寸の狂いもない「菱結び」。その幾何学的な様式美は、まさに肉体を檻に閉じ込める儀式であった。
内面の湿度
ああ、なんということだろう。 私の肌をなぞる麻縄の、ざらついた、しかし確かな存在感。それが一箇所に留まらず、熱を帯びながらじわりと全身を這い回る感覚に、私は抗いがたい戦慄を覚えた。 締め上げられるたびに、私の吐息は熱を帯び、視界は微かに曇り始める。美穂の指先が、私の項をかすめる。その指先は驚くほど繊細で、冷たい。彼女に「物」として扱われる悦楽が、甘い毒のように背筋を駆け抜け、私は思考の深淵へと沈み込んでいく。ねっとりとした静寂の中で、私はただ、彼女が作り出す縄の檻の中に、永遠に閉じ込められていたいと願うのだった……。
断絶のコメディ
その時、美穂が不意に動きを止めた。 「あ、ヤバ。今の結び目、昨日のインスタのリールで見た『モテる結び方』と混ざっちゃったかも。てか、これマジで昭和の縄じゃん、重すぎ。じいじ、もっと軽いカーボン製の縄とか開発すればよかったのに」
緊縛の極致、様式美の頂点に達しようとした瞬間、現実という名の冷水が浴びせられる。 「ちょ、支配人のお姉さん! ここ、ライティング微妙じゃないですか? もっとこう、バズる感じの、エモい光、出せません? 団鬼六風とか、画質が茶色すぎて映えないんですけど!」
お姉さんは、くすくすと肩を揺らした。「あら、それも一理あるわね。深淵亭の照明を『ぴえんモード』に切り替えましょうか?」
「それ最高! マジ感謝です。あ、ついでにTikTokの曲かけていいですか? 『重厚な緊縛してみた』ってタイトルで。あ、ハッシュタグは #若葉流 #伝統芸能 #縄マジ卍 で」
厳格な若葉流捕縛術の奥義が、令和のデジタルウェーブに飲み込まれていく。私は縛られたまま、そのあまりのシュールな光景に、ただ呆然とするしかなかった。
しかし、美穂の手は止まらない。 彼女はスマートフォンで自撮りをしながら、一方で目にも止まらぬ速さで縄を操り続ける。 「あ、でもね、おじいちゃんの縄、嫌いじゃないよ。……この縄だけは、私が守らなきゃいけない気がするんだよね。ネイリストもいいけど、この『結び目』の質感、ネイルのデザインに活かせるかも」
彼女の言葉に、微かな真実が宿る。 若葉流十八代の重圧を、彼女は彼女なりの軽やかさで背負おうとしていた。
大団円
夜明けが近い。 完成した私という名の「彫刻」は、もはや恐怖も苦痛も感じさせない、不思議な調和を保っていた。 美穂は満足げにスマートフォンを鞄にしまうと、私の縄を驚くべき手際で解いていった。
「お姉さん、ありがとうございました。私、なんか吹っ切れたかも。伝統を『守る』んじゃなくて、『使い倒す』ことにします。次回のバイト代で、おじいちゃんに新しい腰痛ベルトと、iPad買ってあげよっと」
彼女は再び、明るい少女の顔に戻っていた。 「冒険者さんも、お疲れ様! 最高のモデルでした。あ、さっきの動画、顔出しNGならモザイクかけとくんで、後でフォローよろしくです!」
深淵亭を去っていく美穂の背中は、朝日を浴びて輝いていた。 鬼七老人が守り抜いた「死の美学」は、孫娘の手によって、賑やかで鮮やかな「生の活力」へと転生を遂げたのだ。
お姉さんは、開いた扉から差し込む光を見つめながら、私に囁いた。 「深淵亭の最初のお客様が、あんなに眩しいなんてね。……さて、冒険者さん。貴方の身体に残ったその縄の痕、消えるまでしばらく、私のそばにいなさいな」
私は、熱を持った腕をさすりながら、静かに微笑んだ。 それは、重厚で、ねっとりとしていて、そしてどこまでも可笑しな、一晩だけの奇跡であった。
おわり
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