イスラム法「シャリーア」とは何か?
はじめに
以下の記述は、小滝透『神の世界史イスラーム教』河出書房新社、1998年(p. 44-56)に基づくものです。出版年の制約により、「現状分析」ではなく、「基本原則」とそれに至る「歴史」の整理を旨としました。また、議論の輪郭を見えやすくするため、あえて図式化・一般化し、陰影をつけて描写していきます。例外事例や、より良い解釈がありうることは承知していますが、本質を詳細に規定するのではなく、理解のための図式の提示を目的とするものです。なお、原文を適宜変更・省略・要約・補足しました。
1. スンニ派の法体系
「私は、神の栄光のために生きています。神の栄光のために生きるということは、いかなる状況にあろうとも、シャリーア(イスラーム法)を守ることを意味します。他には何もありません。私はこの世にある限り、律法を守り、預言者ムハンマドの慣行に従い、栄光あるイスラーム共同体の一員として、生を全うするつもりです。」
純白のアラビア服(ソウブ)に身を包んだ長身の青年は、私(小滝氏)の眼を見据えながら穏やかな口調でそう語りました。春の日差しが柔らかく射す、聖地マディーナのモスクでのことです。
私は常々疑問に感じていた一つのテーマを彼に直接ぶつけてみました。
「シャリーアを抜きにした内面的な信仰を考えることはできませんか?」
彼は決然として言い放ちました。
「そのような信仰はありません。シャリーアが、すなわち宗教(ディーン)なのです。イスラームとは神にこの身を預けること。神にこの身を預けるということは、神の命に無条件に帰依すること。そしてその証こそがシャリーアを守ることなのです。」
シャリーアとは、社会的掟ですので、結果として、スンニ派イスラーム共同体の成員は極めて社会性の強い宗教を奉じていることになります。彼らにあっては、社会的共同体は個人に優先し、そのため個人の救済は、不可避的に外面的実践と強く結びつけられる傾向が生じました。というより、個人的な信仰も律法的な形式に表われると考えるため、律法遵守を伴わない信仰は切り捨てられる傾向にあるのです。したがってまた、スンニ派イスラーム教国の政治経済体制は必然的にシャリーアと連動し、その体制の変革はシャリーアの「再解釈」なくしては成立しません。
2. では「シャリーア」とはいったい何か?
まず、あらゆる「シャリーア」の根底に「コーラン」があるのは言うまでもありません。コーランが「第一の法源」となります。ただ、わたしたち日本人の目から見ると、コーランの「原典」のようなものが天上にあって、アッラーのもとに置かれているため、ふつう目にするコーランは真の意味では、神の言葉でないかもしれないという疑問をいだく人もいるでしょう。元を辿れば、天使ガブリエルが伝達者となってムハンマドに伝えたとされる「アラビア語コーラン」に行きつきます。ですが、そこまで言ってしまうと、人間はその先には手が届かないということになるので、この「アラビア語コーラン」が全ての出発点となります。
もっとも、そうは言っても、コーランに書かれていない事項についてはどうしようもないということになります。そこで出てきたのが預言者ムハンマドの「慣行(スンナ)」です。シャリーアの古典理論を完成させたイスラーム法学者シャフィイーは、「神と使徒に従え」とコーランが述べているのに注目し、預言者の「慣行」こそ律法の決め手となる「第二法源」であると考えました。
「慣行(スンナ)」の実態は、預言者ムハンマドの「行為」・「言葉」・「命令」・「黙認」です。これらの「スンナ」を具体的に表わしたものが「ハディース」と呼ばれるムハンマドの「言行録」ということになります。
しかし、この第一法源と第二法源をもってしてもまだ解決困難な問題が多く残りました。なぜなら、ムハンマドが生きていた時代と場所は、6-7世紀のアラビア半島ということで、時間的にも、空間的にも、大きな制約を受けていたからです。それゆえ、ムハンマド以降急速に膨張したアラブ・イスラーム帝国の法体系として、これでは不十分であることが明らかになってきました。
そこで出てきたのが、「共同体の合意(イジュマー)」と「法的類推(キヤース)」です。
ちなみに、イスラームにおける法源は、これ以外にも「法の選択(イスティフサーン)」・「明文のない公益(マスラハ・ムルサラ)」・「慣習(ウルフ)」・「原事態存続の原則(イスティスハーブ)」等々と続いてゆくのですが、重要なものは「イジュマー」と「キヤース」です。これらが実質的には「第三・第四法源」となります。
つまりまとめると、「シャリーア」を構成する主要な四法源は、
(1)アラビア語コーラン
(2)スンナ(預言者の慣行:
ハディースに伝えられる)
(3)イジュマー(法学者たちの合意)
(4)キヤース(類推)
ということになります。
3.「イジュマー(合意)」とは何か?
次に問題となるのは「第三法源」ですが、「イジュマー」とはある特定の問題についての共同体の「合意」です。これは、実質的には権威ある法学者たちの「合意」によって成立しました。この「合意」の正当性は「第二法源」である「ハディース(言行録)」によって次のように基礎づけられています。
「我がウンマ(共同体)は、誤りにおいて合意することなし。」
これが、スンニ派の代表的見解です。正確に言えば、ここでいう「ウンマの不可謬性」は、法学者たちの合意が誤らないという「イスラーム法学上の大原則」であり、これがスンニ派のアイデンティティを支える重要な根拠となっています。
4. 「キヤース(類推)」とは何か?
次に「キヤース」とは何か?ここから、法的判断を下す具体的方法論となっていきます。「キヤース」とは「類推」を意味しますが、前述のシャフィイーは、これを加えることによって、先の四つの法源からなる古典的法体系を確立しました。
例えば、「キヤース」の例を挙げると――ウィスキーは、ムハンマドの時代にはもちろん存在しませんでした。したがって、コーランやスンナ(慣行)のどこを探してもウィスキーの問題など記されていません。では、記されていないからといって飲んでいいのでしょうか?答えはやはり「否」です。
たしかに、ウィスキーはコーランにもスンナにも出てきません。しかし、「ブドウ酒」は登場し、しかも禁止されています。なぜかというと、それが「人の心を酔わしめて神から離反させるから」です。となれば、「類推」過程はもはや明らかです。
「ブドウ酒の禁止」→「人の心の錯乱(酩酊)」→「ウィスキーの禁止」
これが、「キヤース(類推)」の最も単純な事例です。このような法的判断(認知的努力)を「イジュティハード」と呼びます。この「イジュティハード」は、9-10世紀まで盛んに行われていたもので、これを行う資格のある法学者は「ムジュタヒド」と呼ばれていました。
ちなみに、「イジュティハード」がムハンマドの時代から極めて重要な役割を果たしていたことは、彼の言行を記録した「ハディース」集からもうかがえます。例えば、ティルミズィーの「ハディース集」には次のような逸話が載っています。
「聖預言者ムハンマドがかつて、ムアーズ・イブン・ジャバルをイエメンの知事に任命した際、いかなる規則を守ろうとするかと問われたことがあった。ムアーズは『コーランの定める掟に従って』と答えた。聖預言者は『だが、コーランの中に従うべき道が見出せない時は』と尋ねられた。『その場合は、聖預言者のスンナに従って行動致します』とムアーズは答えた。そこで再び、聖預言者は『それでも、スンナの中に従うべき道を見出せなかった時は』と重ねて問われた。『その場合には、私自身の判断に従って事を決定するよう(イジュティハード)努力致します』という答えが返ってきた。それで、聖預言者は両手を挙げ、『神の御使いの伝道者をその心のままに導きたまう神を讃え奉れ』と言われた。」
ですが、このような活発な創造的法学活動を展開していた「イジュティハード」も10世紀を境に衰え始めます。こうして、イスラーム世界は伝統的法学者が言う「イジュティハードの門が閉ざされた状態」になっていきます。
これ以後、独自の解釈を行う「ムジュタヒド」は消え、先学の説に従う「模倣者(ムカッリド)」のみが存在することになったと考えられました。「伝統的歴史観」では、この状態が現在まで続き、イスラームの硬直化をもたらす遠因になったと説明されています(もっとも、「門の閉鎖」は伝統的説明ですが、近年の研究では、実際にはより柔軟な解釈が継続していたとする再検討も進んでいます)。
5. イスラームにおける「近代化」の問題
近代化は膨大な知識の再編を要求します。また、あらゆる社会システムの大改革を要求するものです。この要求に応えるためには、「シャリーア」の全面的な「再解釈」が必要となってきます。なぜなら、近代化の進行とシャリーアとの間に乖離があれば、近代化によってもたらされる一切の事柄はシャリーアの認可を得られないため、社会の中での正当性を主張できないからです。むしろ、硬直した旧来のシャリーア解釈の抵抗に遭い、その進展は妨害されてしまいます。
例えば、電話を設置するのも、テレビを導入するのも、女子教育を義務化するのも、旧来のシャリーア解釈を楯に取った伝統主義者の反撃に遭い、容易に実現しない局面がありました。著者はこうした状況をサウジアラビアなどで見聞したとされています。ちなみに、シャリーアはそれを補う「カヌーン」や「ニザーム」(いずれも法令・規則)によって現実適応の形を取ることもありますが、それでもその硬直性には、いかんともし難いものがありました。
シャリーアとはいわば神の言葉が法的に結晶化したものです。
したがって、ひとたび定まった規定を覆すのは極めて困難になります。そのシャリーアが、イジュティハードの門が閉じられた(とされる)ことにより、自由な法解釈が行えず硬直してしまいました。これが、イスラームの近代化に対する重大な障害となったとされました。
6. スンニ派のリアリズム
他方、スンニ派は、徹底したリアリストでもあります。彼らの政治思想は、この徹底したリアリズムの上に成り立っています。スンニ派の法学者たちは決して自らの理想像をストレートに現実世界に投影するということをしません。彼らは為政者への良きアドバイザーとして存在し、統治がなるだけイスラームの枠内に収まるようにリードします。
彼らは、自国の為政者がイスラームから逸脱した場合でも、直ちに革命を起こすのではなく、まずは秩序を重んじ、いかに彼らを正道に引き戻すかを考えます。これは革命思想ではなく、漸進的な改革思想であり、現実主義(リアリズム)です。もし、これが(近現代の急進的な)シーア派であれば、
「汚濁にまみれた社会を拒否し、悪に染まった為政者を倒せ」
という革命思想に結びつきやすくなります。
スンニ派のリアリズムは、巨大帝国の統治、および権力の世俗化という歴史的条件の中で、社会の分裂(フィトナ)を回避するために形成された知恵という面もあります。
7. イスラーム原理主義
ですが、近年、この伝統的スンニ派に内部から反旗を掲げ、独自の主張を貫こうとする思想集団が台頭してきました。「イスラーム原理主義」の潮流がそれに当たります。彼らは伝統イスラームの現状を徹底した堕落と見なしました。そしてそれを打破するために、伝統的な法学者の権威を飛び越えて「イジュティハードの再開」を強く求め、イスラームの再生をもたらそうとしているのです。
さて、私は、先ほどの青年にもう一度、尋ねてみました。
「あなた方は、シャリーアを守ることだけが信仰だということに虚しさを感じませんか?」
すると、彼はこう答えました。
「いや、そのようなことは感じません。私たちは、信仰とは目に見える形で表現されるものだと思っています。ですから、人間の内面と外面を切り離し、前者をもって後者に優先させるという「神秘主義者」の考えには反対なのです。また、この世から離れ、不可視の世界から再臨してくる「救世主(イマーム)」を待ち望む「シーア派」の考えにも同意できません。内面と外面は「一なるもの」としてあり、それは「シャリーア」をもってはじめて表現できるのです。私たちは、「シャリーア」の中にこそ、実存的な信仰を置いているのです。」
この言葉を聞くと、私には、彼らのことが、いわば「律法の実践にのみ救いと誠実を求める、ある種のパリサイ人(※)」のように見えてきました。
(※)パリサイ人:聖書においてイエスの対抗者として描かれるユダヤ教徒。ここでは「外面的な行いの中にこそ、神への誠実な内面が宿ると信じる、徹底した実践主義の立場」という構造的類似性を意味しています。
この青年の言葉は、信仰の内面化を説いたイエス(あるいはキリスト教的価値観)に対する、法重視の立場からの強力な反論と読むこともできるでしょう。また、彼の言葉には、メシア待望思想への批判的視点が垣間見えるように思います。
* 以上、意図的に図式化・一般化し、陰影をつけて描写しています。ここで示した図式は、構造を見えやすくするための「見取り図」であり、例外事例やより深い解釈への入り口として提示したものです。
付記
なお、この文章は1998年出版の書物に基づくもので、当時の状況を踏まえた「スンニ派法体系」の基本的な図式を示しています。近年では、サウジアラビアの「ビジョン2030」や、UAEなどの一部のイスラーム諸国において、経済・社会の近代化を進めながら、女性の社会参加促進や法制度の調整など、シャリーアの適用範囲を現実的に見直す動きが進められています。また、「イジュティハードの再開」を求める試みも、伝統的な枠組みの中で現代的課題に対応する形で、さまざまなレベルで続けられています。
スンニ派と対比されるシーア派では、イマーム(ムハンマドの正統な後継者・イスラーム法解釈の最終的権威)の血統を重視し、神の正義(アドル)を強く意識した法解釈において、理性(アクル)の役割が比較的に大きいという傾向が見られます。これにより、伝統的に、イジュティハードの存続が継続的に認められており、スンニ派とは異なる柔軟性が見られる局面があります。
一方、イスラーム原理主義(サラフィズムなど)は、伝統的スンニ派の現状を堕落とみなし、伝統的法学者の権威を飛び越えて直接的なイジュティハードの再開を強く主張します。これにより、近代化の受容・拒絶の双方において極めて急進的な形を取ることがあります(テクノロジーの積極的利用・近代的価値観の峻別、など)。
また、スーフィズム(イスラーム神秘主義)は、スンニ派・シーア派の双方に存在する内面的・霊的な信仰の流れで、シャリーアの外面的実践を基盤としつつも、「心の浄化」や「神との直接的な結びつき」を重視します。律法遵守を重視するスンニ派の主流とは異なる内面重視の側面を持ち、イスラーム信仰の多様な表現を示しています。
以上、この記述は、スンニ派法体系の基本構造とその歴史的特性を理解するためのものです。個別の国々や時代ごとの多様な対応、各潮流の相異などについての詳細は、最新の事例や研究を参照してください。
