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「パパ、仕事大変なら大丈夫。私、明日学校に行けるよ」――代わりがいない仕事と、父親としての葛藤。

「家族第一」の本当の意味。

昨日、日曜日のこと。

娘が転倒し、顔面と後頭部を激しく打ちました。

急いで病院に駆け込み、幸いにも脳などに大きな支障はないとのことでしたが、頭を打っている以上、数日は様子を見なければいけません。

それに、女の子です。
顔に痛々しい傷ができてしまい、本音では絶対に学校に行きたくないはずでした。

親として、そばにいてやりたい。

痛がって不安な娘の横で、一日ゆっくり休ませてやりたい。

本気でそう思いました。

でも、私には「休む」という選択ができませんでした。

私は今、個人で介護タクシーや保険外サービスを行っています。

代わりの人間はいません。私が休めば、今日私を頼りにしてくれているお客様の生活が止まってしまいます。

そして同時に、私が休めば、その日の収入は完全にゼロになります。

「休みたい。でも、仕事に行かなければいけない」

葛藤で引き裂かれそうになっていた私を見て、怪我をして一番辛いはずの娘が、私にこう言いました。

「パパ、仕事大変なら大丈夫。私、明日学校行けるよ」

その言葉を聞いた瞬間、涙が止まりませんでした。

痛くて、怖くて、一番甘えたいはずの娘に、親の都合で気を遣わせてしまった。

「無理しなくていいよ、パパがずっとそばにいるから」と、なぜ迷いなく言ってやれないのか。

何のために、独立したんだろう。

家族を幸せにするために、自分の腕で稼いでいくと決めたはずなのに。

それなのに、一番大切な家族が傷ついている時に、そばにいてやることすらできない。

一体、自分は何のために仕事をしているのか、わからなくなりました。

世間ではよく、「男は仕事に責任を持て」「子供の看病は母親がすればいい」と言われます。

もしかしたら、父親である私がこんなふうに悩み、仕事と家族を天秤にかけて泣いているなんて「男らしくない」「気持ち悪い」と思われるかもしれません。

でも、これが一人で事業を背負う人間の、そして一人の父親としての「痛いほどのリアル」です。

今日、私はハンドルを握りながら、何度も娘の言葉を思い出しました。

そして、あの涙の後に、私の中で一つの明確な「答え」が出ました。

「家族第一というなら、仕事をしてお金を稼ぐのが一番大事だろう」

「お金がないと、結果的に子供が辛い思いをするぞ」

そう言う人もいるかもしれません。

たしかに、お金も仕事も大切です。生きていくためには必要です。

でも、それは「答え」ではありませんでした。

私はこれからは、何があっても「家族第一」で生きると誓います。

ただし、私の言う「家族第一」とは、世間の常識に合わせることでも、私一人が「家族のためだ」と思い込んで独りよがりに突っ走ることでもありません。

妻と娘としっかり相談し、「二人が今、一番望んでいることを、私が全力で優先する」ということです。

もし娘が「今日はパパにそばにいてほしい」と望むなら、私は迷わず仕事を休みます。

もし妻が「今は将来のためにお金が必要だから仕事をしてほしい」と望むなら、這いつくばってでも仕事を最優先にします。

子供が「パパと思い切り遊びたい」と言えば、何よりも遊ぶ時間を優先するし、

妻が「少し一人になって心を休める時間が欲しい」と言えば、私がすべてを引き受けて、妻が一人になれる時間を作ることを最優先にします。

世間の言う「男の責任」や「当たり前」なんて、もうどうでもいい。

目の前にいる妻と娘の「生の声」だけが、これからの私のすべての行動の基準です。

痛みをこらえて娘が気を遣ってくれたあの言葉と、その時に流した自分の涙の意味を、私は一生忘れません。

本当の意味での「家族第一」を胸に刻み、今日からまた、私はハンドルを握ります。

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