見出し画像

長崎県諫早/ムツゴロウ 有明海の珍妙な潟の魚

  肥前鹿島駅を出た長崎本線の特急電車は、しばらくすると左手に有明海を見ながら走っていく。かすかに見える対岸の雲仙岳の山容がくっきりしてくると、諫早駅の手前で、湾内に伸びる人工物が視界に飛び込んできた。手前の排水門から一直線に続く長い長い潮受け堤防は、湾を仕切り閉じ込んでいるかにも見える威容である。

 有明海の中程から西へ入り込んだ諫早湾は、1990年代に進められた大規模な干拓事業が開始された際、全国的に話題となったことがある。仕切り板が続々と海に落ち込んでいく、潮受け堤防の施工時の映像を、覚えている方もいるのではなかろうか。

 そしてこの堤防はその後、漁業への影響を指摘する声が高まり、以来、堤防の排水門を開放して検証を求める漁業者と、農地への塩害を懸念して反対する農業者、さらに国も交えての協議が繰り返されている。特殊な環境の海域ゆえ、人為的な構造物の影響は、計り知れないものがあったのだろう。

 有明海の漁業問題の象徴を眺めつつのアプローチとなったが、この海の豊饒さ、個性あふれる魚介の魅力に、惹かれるものがあるのは間違いない。まずは諫早駅から島原鉄道に揺られ、「干拓の里」へとやってきた。名の通り、有明海と干拓にまつわる総合施設で、到着したらさっそく「干拓資料館」へと足を運んだ。

 冒頭の展示には有明海の数値情報が羅列されており、20メートルという平均水深はかなり浅い。日本一の6メートルの干満差が生るのはこのためで、塩分濃度が低い海水と、有機物を多く含む潟の土壌のおかげで、多彩な魚種が育まれているのである。泥質な漁場は特殊な漁具や漁法を生み出し、漁業の展示ではよその漁港では見たことのない道具類が並ぶのも面白い。

 ムツゴロウを狙う「むつかけ漁」の模型では、板のそり「はね板」に乗って沈まずに操業する様子が再現されていた。はね板は「潟スキー」とも呼ばれ、片足で泥の中を漕いで移動するのは、結構な重労働だろう。巣穴を見つけたら5メートルほどの竹竿を使い、鉤針で引っ掛けて釣るのだが、桶の縁を叩いた音に驚いて出てきたのを狙うのがユニークというか、のどかというか。

 もう一つの見どころ「ムツゴロウ水族館」では、中央に据えられた「干潟水槽」に、見た目や動きが独特過ぎる潟の魚が勢ぞろいだ。退化した目と鋭い歯の大口から「有明海のエイリアン」との別称があるワラスボに、巨大な片手のハサミを来い、と振って誘うシオマネキ。潟をピョンピョンと跳ね回る小柄なトビハゼは愛嬌のある寄り目が特徴で、似た見た目で20センチほどと大きいのが、ムツゴロウだ。

 泥の中に掘った巣穴から顔を出し目玉をキョロリ、出てきては大きな胸びれで潟をヒョコヒョコはい回りと、動きは実にユーモラスで癒される。顔や印象と違って動きがなかなか俊敏かつ激しく、やや遠くから狙う引っ掛け釣りの漁法が、理にかなっているのもわかる。

 売店にはムツゴロウの甘露煮ほか、ワラスボの一夜干しや貝柱のみりん焼きなどが普通に並んでおり、珍魚と捉えられがちな有明海の魚介も、地元では当たり前の食材なようだ。ならば舌で胃袋でしっかり楽しんでいこうと、諫早駅に戻るなり駅前の飲食店街の中ほどにある料亭「登利亭」へ。長崎近海や有明海の魚介を使った料理に定評があり、広い店内は中央に板場を置いたレイアウトが開放的である。

 赤貝に似た縞々の殻のサルボウ、シタビラメの仲間のクツゾコ、ハゼの一種でウナギのように細長いワラスボ。水族館で見た面々の料理写真はどれも珍奇な出で立ち、かつ地味なカラーリングが印象を左右し、いささか食欲が躊躇する。今日はどれもありますよ、とにこやかに押すお姉さんにたじろぎつつ、観念してムツゴロウの蒲焼きから押さえようか。

 ウナギと同じタレの香ばしい匂いが近づいてくると、出された皿には細長い炙り身が2尾のった、ムツゴロウの蒲焼。黒紫色だった魚体は焼き込まれて真っ黒くなり、大きなヒレや飛び出た目玉は焼け落ちた一方、コロリとした頭と鋭い歯がやたら目立ち、生きていた際の愛らしさとはかなり印象が異なる。

 食べ方を迷いつつ尾側からいくと、丸く付いた身がサラサラ、サクサクと軽やか。見た目と生息環境から泥臭さや粘っこさをイメージするが、これは舌に心地よい食感だ。頭はちょっと固いので、お好みでどうぞ、とお姉さん。ムツゴロウもハゼ科の魚で、脂肪分が多く身が柔らかいため、覚えのあるハゼの天ぷらに似た風味に親しみが感じられる。

 蒲焼は実はムツゴロウの食べ方として、有明海の沿岸地域では定番の料理法である。生きたまま串を打ったムツゴロウを素焼きにして、醤油とみりんベースのタレに浸し、焼いてはタレをくぐらせ、を繰り返す。ウナギの蒲焼きとほぼ同じ手順のため、食欲をそそる香りも白身とタレの相まった食味も、勝るとも劣らないインパクトだろう。ほかにも鮮度がいいものは刺身にしたり、だしがよく出るので椀種にしたりと、とぼけた顔して結構品のいい料理にもされているようだ。

 ムツゴロウの蒲焼きでビールが進み、興に乗ったところで波佐見町の地酒「六十余州」を構え、もう一品は「エツ」という魚の稚魚の唐揚げをチョイスした。エツは筑後川河口を中心に生息するカタクチイワシ科の小魚で、漁期が短く流通量も少ないため、「幻の魚」と称されることもある。

 その平たさは「ナイフのような魚」とも形容されるが、厚みはない分、身と骨の相まった香ばしさがたまらない。かむごとに味が出て「六十余州」を含み、スッキリ甘めの後味に惹かれエツをもう一尾。どうにも連鎖が止まらず、エツの山がどんどん低くなっていく。

 個性も味もかなり強いため、2種を平らげたら充分に満足。支払いの際、思いがけずどちらもうまかったと褒めると、「どれも見た目の割に味がいいでしょう」興味を持って試してくれる、遠方からのお客さんが割といますね、とお兄さんは嬉しそうだ。

 有明海の魚介は6〜7月が旬とのことで、この時期にはムツゴロウも刺身でいけるとくれば、夏の再訪の楽しみができたというもの。とはいえ、見た目が恐怖なほかの魚介たちも制覇の覚悟で来なければ、とすでに戦々恐々としてしまう、有明海の個性派ローカル魚である。

※ムツゴロウ水族館は、2026年3月に閉館

いいなと思ったら応援しよう!

この記事が参加している募集