月と星のあいだに|第8話:うお座の守り人

落ちてゆきながら、わたしの身体は不安定にあっちへこっちへと揺れる。
う……目がまわる——
鳥のように羽ばたけないかと腕を伸ばしてみるも、虚しく空を切る手が痛い……
「あ!」
と、下界の景色らしきものが雲の合間から見え始めた。
できれば、大きな木とか、ふかふかの藁の上とか、痛くないところに落ちてほしい!
さっきよりも強くペンダントを握りしめるも、そんな願いすらペンダントは叶えてはくれず……
わたしの目の前に現れたのは、
「え、湖?」
バシャーン!
大きな水音を立てて、わたしは水中へと沈んだ。
ゴボゴボゴボ……
口へと入ってくる水は少ししょっぱくて、わたしが落ちた先は湖ではなく海だったと気づかされる。
上を見上げると、エメラルドグリーンに光る水面が、ゆらゆらと揺れていた。
泳がなきゃ!
そう思うものの、なぜか上手く泳げない。
あ……わたし、水泳、苦手だったわ——
身体がだんだん冷たく、重くなってゆく。
わたしは震えながら海の底へと沈んでいった。
「——お前、誰だ?」
どこからともなく声が聞こえ、何かがわたしの目の前に顔を近づけてきた。
「——!?」
びっくりしたわたしは、水を大きく吸い込んでしまう。
そして、そのまま意識は暗闇へと遠ざかっていった。
「——ん……」
目覚めると、ふかふかのベッドの上に寝かされていて、そのまま辺りをキョロキョロと見回してみる。
「——お! 起きたか!」
また、グイっと顔が近づいてきて、
「きゃーっ!!」
わたしはベッドの上で、ジタバタとその顔を押しのけようとした。
「わ! イテっ! なにすんだよ!」
見ると、濡れた羽根を背中に生やし、淡い桜色をした巻き毛の少年が鼻を押さえながら、水色の瞳にうっすら涙を浮かべて、こちらを睨んでいる。
「——天使……」
あ……わたし、死んでしまったのね……
バタンと力が抜けて目を閉じる。
「——残念だけど、死んでないわね」
今度は女性の声がして、わたしは再び目を開けた。
「シオン、病人を驚かせてはだめでしょう」
「ごめんなさい……母さん」
同じく羽根を生やし、青紫の長い髪をゆるくまとめた女性のそばで、さっきの天使がうなだれている。
「あ、え、えーと……」
少しパニックになっているわたしの手を取り、
「わたしはシリウナ。この子は息子のシオン。さすがね……回復が早いわ」
そう言って、今度はわたしの胸に手をかざした。
手から光があふれて、わたしを温かく包み込んでゆく。
——と、ペンダントがその光に反応するかのように淡く水色に光った。
「このペンダントは——」
「……月の女神がくれたんです、たぶん……」
わたしは胸元のペンダントを手に取り、じっと見つめた。
「——月の女神が?」
シリウナは少し驚いた様子で首を傾げている。
「おばあちゃんが御守りだって……。あ! おばあちゃん! あの、星の女神を見かけませんでしたか」
「——そう……星の女神がおばあちゃん……。あなたは、忘れたことも忘れてしまったのね。かわいそうな月の子……」
「え……? それは——」
「傷が癒えるまでは、ここで休むといいわ。ただし、息子のシオンとは関わらないでちょうだい」
「あ……はい」
わたしの治療を終えたシリウナは、シオンを連れて部屋を出て行った。
くるりと振り返って、シリウナにばれないよう、そっと笑顔で小さく手を振るシオンに、わたしもぎこちない笑顔で軽く手を振った。
「なんだか可愛いな、シオンくん」
手を振りながら、思わず、ふふっと笑ってしまう。
それに比べて——
シリウナは、おばあちゃんのことを知ってるけど、なんだか話したくなさそうだった。
それに、まだシオンとも関わるというほど接していないのに、あんな言われ方をするなんて……。
「ふぅ……」
わたしはため息をつきながらベッドに横たわった。
そう言えば、ここはどこなんだろう……?
天使に会えるなんて夢みたいだけど、まさか——!
「天国……? じゃないよね……」
わたしは天井を見つめながらつぶやく。
「ちがうよ」
ふいに声がして、びっくりしたわたしは飛び起きた。
「あははは!」
「シオン、くん?」
いつの間にかシオンがベッドの端に座って笑っていた。
「もう、ビックリさせないでよ〜」
「お前、月の子のくせに泳げないんだな」
「……う、それは——」
「お前さ、この俺が助けてやったんだぞ。感謝しろよな〜」
「——あのさ!」
「ん?」
「わたし、お前じゃないよ。光(ひかり)だよ!」
得意げに笑っていたシオンが黙り込む。
「助けてくれたのは感謝してる。ありがとう、シオンくん。だけど……初対面でお前って言われるのは——」
「——っ、なんだよっ! お前もアイツと一緒かよ!」
「え……?」
「あれもダメ、これもダメ! うるさいんだよ!」
顔を真っ赤にして怒りをぶつけるシオンは、戸惑っているわたしを睨みつけると、そのまま窓から飛び出して行ってしまった。
「……はぁ、やっちゃった、かな」
わたしはため息をつきながら顔を両手で覆った。
相手は、まだ小さな子どもなのに……。
大人げないこと言っちゃったな、わたし。
わたしはベッドから降りると、シオンを探しに部屋を出た。
外に出る扉を探していると、花を抱えたシリウナに会った。
「もう動いて大丈夫なの?」
「あ、はい。ありがとうございました」
「……シオンが連れてこなければ助けなかったわ」
抱えていた花を机に並べ、一輪ずつていねいに選びながら、シリウナは淡々と話す。
お前は招かれざる者なのだと、釘を刺された気がした。
「あ、えーと……シオンくんは?」
「シオンなら公園にいるわ」
「そ、そうなんですね! ありがとうございます」
「あの子に関わらないで、と言ったはずよ」
「あ、その、助けてもらったお礼を伝えられてないので……それだけです!」
疑いの眼差しでわたしを冷ややかに見つめたシリウナは、花に視線を戻しながら、
「あの子を傷つけたら、たとえ月の子でも容赦しないわ」
と静かに言った。
わたしは黙ったまま深くお辞儀をすると、そのまま公園に向かった。
とは言え、公園の場所も分からず、道なりに歩いてゆくと、大きな遊園地のような建物が見えた。
「まさか、あれが公園……ってことないよね?」
わたしは恐る恐る建物に入ろうと、門の取っ手に手を伸ばした。
「名前を名乗りなさい」
目の前の門から機械的な声がする。
「あ、えーと、光(ひかり)です」
「……登録されていません。もう一度——」
それはそうだ。
初めて来たんだもの。
うーん、どうしたものか……。
腕組みをしようとした胸元でペンダントが揺れるのを見たわたしは、試しに、
「わたしは月の子よ!」
とペンダントを見せてみた。
しばらく門は考えているみたいだったけれど、やがて静かに門が開かれた。
「うそっ! これで通じるの?」
どういう仕組みなんだろうと思いながらも、わたしは門をくぐり、シオンを探して歩き出した。
メリーゴーランドやジェットコースター、大きなプール、子どもの好きそうな遊具や、お菓子やパンなど、おいしそうな食べ物が並ぶお店まである。
これを公園と言うシリウナの感覚に驚きつつ、歩き回っていても誰とも会わないことに、さらに驚いていた。
「子どもたち、いないのかな……」
よくよく辺りを見回すと、「人」がいない……?
ぬいぐるみのような、何も話さない動物たちが機械的に動いているだけなような——?
と、海が見渡せる丘にあるブランコにシオンが腰掛けているのが見え、わたしは無言で、その隣のブランコに座った。
「——な! なんで、おま……」
シオンは驚きながらも言いかけた言葉を止めた。
「お前、じゃないよ〜だ」
わたしは笑いながらブランコを漕ぎ出す。
「——ふん! 知ってるよ! ヒカ……ルだろ!」
「あー残念っ! ヒカ……リ! でしたあ〜」
ケラケラ笑うわたしに、
「わざとだよ! わざと!」
シオンもムキになってブランコを漕ぐ。
「えー??」
「おま……あ、ひ、ヒカリが自分の名前忘れてないか試したんだよっ!」
「そかそか、それはありがとうね」
ふふふ……と笑うわたしを見て、
「な、なんだよ、それ。笑うなよなっ!」
シオンも照れくさそうに笑った。
二人で穏やかに輝くエメラルドグリーンの海を眺めながら、ブランコを漕いでいた。
優しく吹く潮風が心地よく、二人の間を駆け抜けてゆく。
シリウナは、うお座の守り人とやらで、ここは、うお座の神殿のある聖域。
シオンは、この聖域で天使としての修行をしているらしい。
「ヒカリ、好きなやついたら言えよな! 俺がそいつのハートを射止めてやるからさ」
そう言って、桜色に輝く弓と矢を見せてくれた。
「ん? それって恋のキューピッドってこと?」
「まぁ、そんなとこ……。まだ修行中だけどな」
「そっかぁ。うーん……。だけどさ、それってホントに幸せなのかなぁ」
自分の好きな相手を、本人の想いに関わらず、自分に恋させてしまう——
それは本当に、わたしが欲しいと願う相手の想いなのだろうか……。
「なんでだよ。好きな相手と結ばれるんだぜ! 幸せに決まってんじゃん。ヒカリは変なことばっか言うよな〜」
「わたしは——やだなぁ。振られても、ちゃんと、その人の想いを聴かせてほしい、かも……」
わたしは、エイッとブランコから飛び降りてシオンを見つめた。
まだ幼いシオンに、愛だの恋だのって早すぎかな……。
「振られてもいいのか? 悲しくないのか?」
「そりゃあ、振られたら悲しいよ。だけど魔法で好きになってもらうほうが悲しい……わたしはね」
シオンは黙ったままブランコから飛び降りようとしたが、バランスを崩して転げ落ちてしまった。
「シオン! 大丈夫?」
と声をかけたのと同時に、けたたましくサイレンの音が響き渡る。
「なに? このサイレン……」
「くそっ……」
シオンが悔しそうに地面を殴りつける。
転んで擦りむいた膝と、殴りつけた手の甲に血が滲んでいる。
「ヒカリは逃げて! 今すぐここから出て!」
「え? どういうことなの?」
「いいから! でないと——」
「シオン!」
シオンが何かを言いかけた、その時、シリウナが血相を変えて現れ、シオンに駆け寄った。
「なんてこと! 血が出てる! 早く治療しなくては!」
「——やめろ!」
手当をしようとするシリウナを突き飛ばしたシオンは、わたしの手を掴むと空へ飛び跳ねた。
体格に合わない大きな羽根を広げ、一気に空を飛んでゆくシオンに引っ張られながら、鬼のように睨みつけるシリウナの瞳に、底知れない深い悲しみを感じたような気がした。
「ねぇ! どうしたの? すり傷よね?」
「あぁ、そうさ。ただのすり傷さ。魔法なんか使わなくても治る」
それなのに、あの警報みたいなサイレンや、駆けつけてきたシリウナの様子は尋常じゃない気がする……。
「待ちなさい、シオン!」
スッとシオンとわたしの前にシリウナが現れた。
「——月の子、シオンに何をした!」
「わたしは、なにも——」
シリウナが怒りに満ちた表情で、わたしの腕を掴もうとしてきた。
「——いい加減にしてくれ!」
そう叫んだシオンの声に怯んだシリウナの隙を突いて、シオンはわたしを連れて一気に空から海へと飛んでゆく。
「え? シオン! ちょ、待って! 落ちる!」
わたしの声も聴こえないのか、シオンは落ちるスピードを落とさなかった。
目の前に海が見えた瞬間、わたしは思わず目をギュッと閉じた。
バシャーン!
水しぶきをあげて海へ飛び込む直前、振り返ったわたしの目にシリウナが映る。
遠ざかるシリウナの瞳は、怒っているようにも、泣いているようにも見えた——
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