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#17 視聴率39.7%の時代から40年観続けた。NHK大河ドラマを振り返る

千年鑑(せんねんかがみ)特別編:NHK大河ドラマ40年クロニクル 第1弾

※本稿では、多くの出演者・制作者の名前を挙げる。すべて敬称略で記させていただく点了承ください。また、説明不足な点も散見される可能性があるので今後より読みやすくなるよう推敲をすることが予想される。


平均視聴率39.7%。

これは1987年のNHK大河ドラマ『独眼竜政宗』が記録した数字で、大河史上いまだに破られていない。日曜の夜8時、お茶の間の4割近くが同じ画面を見ていた計算になる。

その年、私はまだ幼少だった。正直、初年度はドラマ内容の記憶はほとんどなく、オープニングで暗闇の中で渡辺謙が演じる馬にまたがり威風堂々とした伊達政宗が光に照らされながら回転している光景だけが目に焼き付いている。以降、今年の『豊臣兄弟!』まで、40年間ひとつも欠かさず大河ドラマを見続けている。

なぜ40年分を表にしようと思ったのか

きっかけは、今年の『豊臣兄弟!』を見ていたときだ。

松永久秀を演じているのが竹中直人だと気づいて、思わず声が出た。1996年『秀吉』で主演を張った人が、30年後に信長を裏切る老将として画面に出てくる。この感動と趣深さは、観続けていないと味わえない。

そこでふと考えた。武田信玄なら中井貴一、市川猿之助、阿部寛、高嶋政伸…。織田信長なら役所広司、染谷将太、岡田准一、小栗旬…。同じ人物を、日本を代表する役者たちが入れ替わり立ち替わり演じてきた。

これ、全部並べたらどうなるのだろう。

調べてみると、作品の一覧はいくらでもある。しかし「同じ役を誰が演じてきたか」を横串で並べた表は、ほとんど見当たらなかった。ないなら作るしかない。そう思い立ち、1987年から2026年までの全作品を1枚の表にすることにした。

正直に書いておくと、この作業で私は自分の記憶がまるで当てにならないことを知った。40年観続けてきた自負があったのに、信長役を何人も取り違えていたし、「独眼竜政宗」の翌年に観た不朽の傑作「武田信玄」のタイトルを、後年の「風林火山」と取り違えていたのだ。人間の記憶というのは知らず知らずのうちに上書きされるものらしい。

第1弾となる今回は、二部構成でお届けする。第1部は40年分の全作品を1枚の表に。第2部は主要な歴史人物ごとのクロス表だ。


第1部 大河ドラマ40年、全41作の一覧表

まず前提をひとつ。「40年」なのに作品数が41作あるのは、1993年から94年にかけて半年枠の作品が3本組み込まれたためだ。年と作品が1対1で対応していない期間がある。

作品番号は1963年の第1作『花の生涯』から数えたもので、1987年『独眼竜政宗』が第25作、2026年『豊臣兄弟!』が第65作にあたる。

"原作つき"大河は、すでに終わっていた

まず驚いたのがこれだ。

41作のうち、原作を持つのは19作。ほぼ半分である。ここまでは想像どおりだった。問題はその分布だ。

2009年『天地人』以降の17作で、原作があるのは2018年『西郷どん』ただ1作しかない。

つまり大河ドラマは、この15年ほどで「文芸作品の映像化」から「テレビ局のオリジナル作品」へ完全に軸足を移している。司馬遼太郎、吉川英治、宮尾登美子、山岡荘八といった名前が並んでいた欄が、ある時期を境にすべて「なし」になる。

表にして初めて、この断絶の鮮やかさに気づいた。私は毎年見ていたのに、変化の途中にいると変化は見えないものらしい。

戦国と幕末が、全体の3分の2を占める

次に時代の偏り。これは体感どおりだったが、数字にすると容赦がない。

戦国と幕末を足すと27作。41作の2/3が、この2つの時代に集中している。

日本史の教科書は邪馬台国から湾岸戦争(現在はもっと近年まで扱っていると思われる)までおよそ2000年を扱う。そのうち大河ドラマが繰り返し描いてきたのは、戦国のおよそ100年と幕末のおよそ15年だ。2000年分の教科書のうち、たった10ページかそこらを40年かけて読み返してきた計算になる。

そして近現代を描いたのは2019年『いだてん』の1作のみ。この偏りは、後述する視聴率の話と無関係ではない。

30%の壁は、1996年を最後に超えていない

視聴率のカーブは、想像以上にはっきりした断層を持っていた。

平均30%を超えたのは4作。1987年『独眼竜政宗』39.7%、1988年『武田信玄』39.2%、1989年『春日局』32.4%、そして1996年『秀吉』30.5%。すべて最初の10年に収まっている。

20%台に広げても、最後は2009年『天地人』の21.2%だ。以降17年間、20%台は一度も出ていない。

一方で歴代ワースト上位は近年に集中する。2019年『いだてん』8.2%、2025年『べらぼう』9.5%、2024年『光る君へ』10.7%、2023年『どうする家康』11.2%。ワースト4作のうち3作が、直近3年に固まっている。

ただし、これを「大河の人気低下」と解釈するのは間違っていると私は考えている。この15年で起きたのは、録画・配信チャネル・SNSという視聴環境の分散だからだ。日曜20時にテレビの前に座る、という行為自体が希少になった。数字が落ちたのではなく、数字が測っている対象が変わった。現に私もリアルタイムではなく、後からWEB上で視聴することが多い。

脚本家の名前が、時代を分けている

もうひとつ、表を縦に眺めていて気づいたことがある。脚本家の重複だ。

  • ジェームス三木……3作(独眼竜政宗/八代将軍吉宗/葵 徳川三代)

  • 田向正健……3作(武田信玄/信長/徳川慶喜)

  • 三谷幸喜……3作(新選組!/真田丸/鎌倉殿の13人)

  • 大石静、竹山洋、田渕久美子、中島丈博、森下佳子……各2作

面白いのは、この常連たちがきれいに前後半で分かれていることだ。ジェームス三木と田向正健は1980〜90年代、三谷幸喜は2004年以降。

原作から離れた大河は、原作者の代わりに脚本家の名前を看板にした。表はそう語っているように見える。


第2部 同じ役を、誰が演じてきたか

ここからが本題だ。

作品を横に眺めるのではなく、人物を縦に眺める。同じ歴史上の人物を、40年間で誰が演じてきたのか。これを4つのグループに分けて並べてみた。

なお、空欄は「その作品に登場しない」または「主要な役として描かれていない」を意味する。(抜け漏れや誤りがあれば追って訂正したい)

①天下人と、鍵を握る三人

信長役は、明らかに軽くなっている。

役所広司、反町隆史、舘ひろし…。2000年代半ばまでの信長は、画面に出てきただけで空気が変わる「重量級の大人の男」だった。ところが2020年の染谷将太で、線が細く、笑いながら人を殺す少し不気味な若武者に振れる。

これは俳優の格の問題ではなく、主人公と信長の距離が変わったからだと私は見ている。かつて信長は見上げる対象だった。今は、主人公と同じ地平に立つ同世代の男として描かれる。

今年の小栗旬もそうだ。信長は絶対的な支配者ではなく、秀長・秀吉兄弟が「この人のために命を投げ打って働きたい」と思ってしまう魅力の持ち主として描かれている。畏怖ではなく、引力で人を動かす信長。40年で最も現代的な信長像かもしれない。

家康は「津川雅彦の独占」が終わった瞬間が見える。

1987年、2000年、2011年。津川雅彦は13年間隔で3度も家康を演じている。老獪で腹の底が読めない狸親父。あの家康像は、ほぼこの一人が固定していた。

ところが2016年の内野聖陽、2020年の風間俊介、2023年の松本潤と、2010年代半ばで一気に若返る。「家康=狸」という記号が、この10年で解体された。今年の松下洸平も、豊臣兄弟の前に立ちはだかる若きライバルという位置づけだ。

三成の変化がいちばん劇的だ。

奥田瑛二、江守徹、真田広之、小栗旬、山本耕史、中村七之助、そして今年の松本怜生。並べてみて息を呑んだ。時代が下るほど、三成に主演級・若手俳優として将来を嘱望される注目株の俳優が充てられている。

石田三成は長らく「秀吉の腰巾着で、家康に負けた嫌なやつ」として描かれてきた人物だ。それが「義に殉じた不器用な男」へと再評価されていく過程が、配役表にそのまま刻まれている。

そして光秀は、演者がバラバラだ。

マイケル富岡、村上弘明、萩原健一、坂東三津五郎、市村正親、春風亭小朝、長谷川博己、酒向芳、要潤。年齢も芸風も統一感がない。

これは偶然ではないと思う。光秀だけは、いまだに「解釈が定まっていない」のだ。この話は次回に持ち越したい。

義元は「愚将」から降ろされた。

谷原章介、春風亭昇太、片岡愛之助、野村萬斎、大鶴義丹。桶狭間で油断して首を取られた公家かぶれ、という描かれ方は2010年代以降ほとんど見かけなくなった。とりわけ2023年の野村萬斎は、狂言の身体で「文化的に圧倒的に格上の名君」を演じてみせた。

信長を持ち上げるために義元を落とす、という語り口が通用しなくなった証拠だと思う。

②東国の二人と、消えた濃姫

信玄役の振れ幅は、たぶん全人物中で最大だ。中井貴一の孤高、市川猿之助の理知、阿部寛の巨大な圧、そして今年の高嶋政伸。同じ「戦国最強」でも、まとう空気がまるで違う。

そして今年、気づいてしまったことがある。濃姫(帰蝶)が出てこない。

表の「―」は、その作品に濃姫が登場しないことを意味する。1996年『秀吉』、2023年『どうする家康』、そして2026年『豊臣兄弟!』。近年の主要な戦国大河から、信長の正室が消えている。

濃姫は史料に乏しい人物で、信長の妻としての事績はほとんど確認できない。だから脚本家は自由に創作できた反面、「史実重視」に振れるとまっさきに省かれる。今年の『豊臣兄弟!』で信長の傍らにいるのは、妹のお市だ。

女性キャラクターの描かれ方が変わったというより、史料主義が強まった結果、創作の余地が大きい人物ほど画面から消えていく。これは論点として、かなり不穏で面白い。

余談だが、そのお市を演じているのが宮﨑あおいだ。2008年に『篤姫』で主演を張った人が、18年後に信長の妹として戻ってきている。こういう再登板を見つけるたび、私はうれしくなってしまう。

③幕末は「誰が主人公か」で全員の顔が変わる

戦国と幕末では、配役の力学がまるで違う。

戦国は「その人物をどう解釈するか」で演者が決まる。ところが幕末は、その作品が誰の側に立っているかで、同じ人物の顔が変わる。

わかりやすいのが勝海舟だ。2010年『龍馬伝』の武田鉄矢は、龍馬を導く飄々とした師匠だった。2018年『西郷どん』の遠藤憲一は、薩摩と対峙する幕臣としての凄みが前に出る。同じ人物なのに、温度がまるで違う。

徳川慶喜も同じだ。1998年に本木雅弘が主演で演じたあと、2021年『青天を衝け』では草彅剛が「敗者ではなく、時代に選ばれなかっただけの聡明な男」として描かれた。幕末の大河は、歴史の勝者を入れ替えることで新しい話を作ってきた。

もうひとつ気づいたことがある。**龍馬役には、常にその時代の「二枚目」が充てられている。**佐藤浩市、江口洋介、福山雅治、小栗旬。この4人を並べると、そのまま1990年から2018年までの日本の男性スター史になる。

坂本龍馬は歴史上の人物であると同時に、その時代の「かっこよさ」の指標として使われてきたのだと思う。

④ 源平・鎌倉は、たった3作で回っている

このグループは作品数が少ない。だからこそ、比較がきれいに出る。

後白河法皇の振れ幅が凄まじい。平幹二朗の重厚な老獪さ、松田翔太の若く冷ややかな底知れなさ、西田敏行の人懐こさの奥に凄みを湛えた佇まい。同じ人物とは思えない三者三様で、これほど解釈の自由度が高い役も珍しい。

「日本一の大天狗」と評された人物を、脚本家がそれぞれの解釈で自由に彫っていい、という共通了解ができているのだと思う。

頼朝も面白い。中井貴一の冷徹な政治家、岡田将生の若く危うい貴公子、大泉洋の少し頼りなくもここぞという時にやり切る、人間臭い棟梁。2022年の大泉洋は、頼朝を「怖い人」から「わかる人」に昇華させた。

北条時政の変化も見逃せない。小林稔侍、遠藤憲一と、いかにも策謀家として描かれてきた人物が、2022年の坂東彌十郎で「憎めない愛すべき父」に転化させた。この一発の配役で、歴史ファンの評価が変わりかねないほどの説得力があった。

そして木曽義仲を演じた青木崇高。私が大好きな役者の1人だ。彼は『龍馬伝』の後藤象二郎、『平清盛』の武蔵坊弁慶、『西郷どん』の島津久光と、時代をまたいで4作の大河に別人として出続けている。こういう俳優の存在も、40年分を並べて初めて見えてくる。


私はこう考える

40年分を1枚にしてみて、私がたどり着いた結論はこうだ。

大河ドラマの配役表は、日本人がその時代に「どんなリーダーを見たかったか」の記録である。

信長が重量級から等身大へ移ったのは、絶対的なカリスマへの憧れが薄れたからだろう。三成が悪役から主役級に近いところへ格上げされたのは、「勝てなかったが筋を通した人」への共感が強まったからだと思う。頼朝が怖い人から弱みを見せつつもやり切る人になったのは、完璧なリーダー像がもう誰にも信じられていないからではないか。

歴史上の人物は変わらない。変わるのは、こちら側だ。

私が感情移入してきたのは、いつも主人公ではなかった

ここからは、もっと個人的な話をさせてほしい。

40年見てきて、はっきり自覚していることがある。私の心をつかむのは、たいてい主人公ではない。

一年かけて描かれる主人公には、当然ながら物語が味方をする。負けても立ち上がる理由が用意され、死ぬときには時代に残した確かな意味が与えられる。それはそれで感銘を受ける。

けれど、より深く刺さるのはいつも、その隣にいた者たちだった。

たしかな存在感を放ち、一時は確実に時代を動かしていたのに、時流のわずかな傾きとずれに足をすくわれ、報われないまま消えていった人々。歴史の教科書では一行、あるいは半行で処理される者たち。

木曽義仲がそうだ。平家を都から追い落とした、源氏を勝たせた、まぎれもない功労者の1人である。それが一年と経たずに朝敵とされ、粟津の田んぼで馬の脚を取られて死ぬ。彼の何が足りなかったのか。京の作法を知らなかったこと、先の世を見通せなかったこと、それだけだ。

2022年の『鎌倉殿の13人』は、この「隣にいた者たち」を一年かけて順番に見送る、残酷な作品だった。

上総広常。挙兵したての頼朝に二万騎を差し出した最大の恩人が、謀反の疑いで謀殺される。学がないからと字を習い、覚えたばかりの彼が書いていたのは、娘のための願文だった。和田義盛。裏表のない、あの豪快な男が、いちばん器用に立ち回れなかったという理由で滅ぼされる。畠山重忠。「坂東武者の鑑」と誰もが認めた男が、身に覚えのない嫌疑をかけられ、「戦など誰がしたいと思うか!」と咆哮し、それでも堂々と死んでいく。梶原景時、比企能員…。

彼らは無能だったのではない。それどころか、一人ひとりが確かに鎌倉幕府を創り、成り立たせていた当事者である。にもかかわらず、権力が固まっていく過程で必ず誰かが要らなくなり、その順番が回ってきただけだ。

組織が大きくなるとき初期の功労者から順に居場所を失っていく。あの一年間、私は毎週それを見せられていた。他人事として見られた回は一度もなかった。

浅井長政もそうだ。信長を裏切ったのではなく、長年支えてくれた朝倉を裏切れなかっただけである。義理を通した結果、妻と娘を送り出し、自分は城とともに焼けた。朝倉義景にも一乗谷を第2の京として繁栄させ、民の豊かな暮らしを守ろうという彼なりの正義と大名としての矜持があったのだろう。

今川義元もだ。何十年もかけて東海に築いた統治の仕組みが、たった一日の雨と奇襲で消えた。長らく彼は「傲慢で油断した愚か者」として扱われてきたが、あれを愚かと呼ぶなら、世の中の大半の失敗は愚かということになってしまう。

そして石田三成。あの人は、正しさで人を動かせると信じてしまった人だ。筋が通っていることと、人がついてくることは、まったく別の話である。私はこの一点で、彼のことを他人だと思えたことが一度もない。

2023年『どうする家康』に、忘れられない場面がある。家康と三成がついに袂を分かつ夜、瞬く星空を見上げながら、三成が静かに言う。

私たちはお互い違う星を見ていたようですな

『どうする家康』より

震えるような怒りを押し殺した一言だった。罵倒でも弁明でもない。「あなたとは、そもそも見ていたものが違った」という、それだけの確認である。

本当は「戦なき太平の世」という同じ星を見ていたはずだった。三成も家康もそれは分かっていたはずだ。それでもいつの間にかそうではなくなってしまったのだ。

この台詞が刺さるのは、対立の本質を言い当てているからだと思う。多くの決裂は、どちらかが間違っているから起きるのではない。ゴールは同じなのに、そのプロセスや優先順位、時間軸の食い違いだと、決裂した後で初めてわかる。

敗者の側に、ずっと物差しをもらってきた

なぜ私がこうした人物にばかり引き寄せられるのか、長い間、うまく言語化することができずにいた。

たぶん、こういうことだ。勝者の物語は、結果から逆算されている。あの決断が正しかったから勝った、と後から並べ直される。だから読んでも、自分の役には立たない。私たちは結果を知らないまま、明日の判断をしなければいけないからだ。

一方で敗れた者の物語には、「そのとき、なぜそれを選んだのか」だけが残る。結果に救われていないぶん、判断そのものが剥き出しで置かれている。義理を選んだ、面子を守った、部下をかばった、引き際を誤った。どれも、こちらの日常巻き起こる等身大の出来事に翻訳できる。

小学生の私がテレビの前で覚えた感覚は、たぶんこれだった。世の中には、間違っていないのに負ける人がいる。あの発見は、その後の私の物の見方に大きな影響を与えていると感じる。

だから私は、この40年間の配役表を「主役をどう演じたか」の記録としてよりも、「敗れた者たちの名誉が、どう回復されてきたか」の記録として読んでいる。三成の演者が主演に近い形に格上げされ、義元が名君になり、時政が愛すべき父になった。その一つひとつが、時代がようやく彼らに追いついた瞬間だと思っている。

もちろん「単に俳優の特性とスケジュールの問題だ」という見方もあるだろう。実際、その要素は小さくないはずだ。それでも私は、41作×40年という母数の前では、偶然ではないと考えている。

次回予告

第2弾は「解釈編」に進む。その後も何本か書き連ねていく予定だ。

信長像がなぜあれほど変わったのか。そして、いまだに演者がバラバラな明智光秀の話をしたい。光秀の顔が定まらないのは、本能寺の変の動機がいまだに定まっていないからだというのが私の見立てで、ここには私なりに読んできた文献から組み立てた仮説がある。

第2弾は明日完成するかもしれないし、途中で他に多くの記事が挟み込まれて1か月後になってしまうかもしれない。軌道修正して内容も本数も大きく変わっていく可能性もある。

あなたが最初に「この人がこの役をやるのか」と驚いた大河は、どの作品だっただろうか。


参考文献・データ出典

作品情報・配役データ

公式サイト

  • NHKアーカイブス「大河ドラマの世界」 https://www.nhk.or.jp/archives/

  • NHK 大河ドラマ「豊臣兄弟!」公式サイト https://www.nhk.jp/p/toyotomi-kyodai/ts/P52L88MYXY/

  • 各作品のNHK公式サイトおよび公式ブログ

配役情報(ウェブ媒体)

  • ORICON NEWS「豊臣兄弟! 登場人物・キャスト一覧」 https://www.oricon.co.jp/drama/354/cast/

  • ORICON NEWS「鎌倉殿の13人 キャスト/出演者/登場人物一覧」 https://www.oricon.co.jp/special/58104/

  • WEBザテレビジョン「豊臣兄弟! 出演者・キャスト一覧」 https://thetv.jp/program/0001044761/cast/

  • シネマトゥデイ「大河ドラマ『豊臣兄弟!』キャスト・ビジュアル一覧」 https://www.cinematoday.jp/page/A0009649

  • まんたんウェブ/ORICON NEWS ほか、各作品の出演者発表に関する報道記事

参照した論考・記事

  • サライ.jp「『豊臣兄弟!』濃姫=帰蝶不在のなぜ?」 https://serai.jp/hobby/1255731

  • まんたんウェブ「『豊臣兄弟!』では"不在"が話題の濃姫 過去の大河ドラマでは?」

視聴率データ

  • ビデオリサーチ社公表値(関東地区・世帯・期間平均)

  • 数値は資料により微差があり、『独眼竜政宗』は39.7%・39.8%の両表記が見られる

主な原作作品

山岡荘八『伊達政宗』/新田次郎『武田信玄』/司馬遼太郎『翔ぶが如く』『功名が辻』『最後の将軍 徳川慶喜』/吉川英治『私本太平記』『宮本武蔵』/陳舜臣『琉球の風』/高橋克彦『炎立つ』『時宗』/堺屋太一『秀吉 夢を超えた男』/永井路子『山霧 毛利元就の妻』/舟橋聖一『新・忠臣蔵』/宮尾登美子『宮尾本 平家物語』『天璋院篤姫』/井上靖『風林火山』/火坂雅志『天地人』/林真理子『西郷どん!』

作品からの引用

  • 『どうする家康』(2023年、NHK)作中の台詞。表記は筆者の記憶にもとづく

※本記事の一覧表・集計・分類は、上記の公開情報をもとに筆者が独自に整理したものである。配役情報および各種データは2026年7月時点。残念ながら正確な反映ができていないものもあるかと思う。誤りがあればご指摘いただきたいです。


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