見守りと監視って、何が違うんだろう
見守りと監視って、何が違うんだろう。
そんなことを考え始めたのは、
ある夜のことでした。
子どもを寝かしつけたあと、積んでいた本をめくっていたら、「パノプティコン」という言葉に出会ったんです。200年前、イギリスの哲学者ベンサムが考えた刑務所の話でした。
中央の塔から看守がぐるりと全部を見渡せて、囚人からは看守が見えない。だから囚人は「見られているかもしれない」と思って、自分から行動を正すようになる。——そこまで読んで、ページをめくる手が止まりました。
専門書でも論文でもない、ただの哲学の話。
なのに私は、自分の毎日の仕事を急に違う角度から見てしまった。
これ、私がやっていることに似ていないか?と・・・。
今日はなぜだか寝つけないので、
ちょっと考えながら書いてみようと思います。
「飲み忘れていませんか」と私が言うとき
転倒予防の離床センサー。
あれは24時間ずっと監視しているわけじゃないけれど、患者さんは「動いたら気づかれる」と思って、ひとりで立ち上がるのをためらう。言ってしまえば、ベンサムの囚人とまったく同じ心理です。
そして私の「お薬、飲み忘れていませんか?」というひと言も、よく考えると同じ。
配薬チェックも服薬記録も、
患者さんの服薬を見えるようにしておく仕組み。
罰するわけじゃないのに、
「見られている」という意識がその人の行動を変えていく。
——でも、これは本当に本人のためなんだろうか。
そう思うと、少し落ち着かない気持ちになりました。
でも、それは「本人のため」
ベンサムの本当の狙いは?
彼はただ閉じ込めたかったわけではなく、囚人を立ち直らせて社会に戻すための仕組みとして、これを考えていました。
回復期リハも、まったく同じ目的を持っています。
安全に、できるだけ良い状態で、おうちに帰ってもらう。
薬を減らすのも、ふらつきや眠気で転ばないように、という「その人のため」の計算です。
善意なんです。
でも、だからこそちょっとだけ怖い。
違うのは、「卒業」があること
救いになるのは、決定的に違うところ。
刑務所は、囚人を中に留めておく場所。
でも回復期リハの私たちは、
最後に見守りを手放すことを目標にしている。
退院後に自分で薬を管理できるように、
一包化をいつ外すか、
どのタイミングで自己管理に切り替えるか
これを患者さんと一緒に考える。
「見守りからの卒業」を設計するのが、
私たちの仕事です。
私は看守でいたいわけじゃなくて、
最後に「もう大丈夫、いってらっしゃい」と送り出す人でありたい。
たぶんその違いが、
監視とケアを分ける一本の線なんだと思います。

それでも、答えは出ていない
「飲み忘れていませんか?」と聞くとき、
私はその人を管理しているのか、
それとも自立を手伝っているのか。
正直、今もはっきりした答えを持てていません。
同じひと言でも、その日その人によって、
意味が少しずつ違う気もします。
でも、見守りと監視って何が違うんだろう
——あの夜に芽生えたこの問いを、手放さずに持ち続けること。
それ自体が、ケアを監視に変えないための、
たったひとつの方法なのかもしれません。
何の解決もないまま、ただただ取り留めのない文章になってしまいました。
眠れないHONOの独白に、
最後までお付き合いいただきありがとうございました🌸
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