病棟では「仏」なのに…。認知症ケアのスキルが、我が子のイヤイヤ期には全く通用しなかった話
「帰らない!」
保育園のお迎えに行くと、
娘(4歳)がそう言って動かなくなった。
お友達ともっと遊びたいのかなー?
なんて微笑ましく思い、
「どうして?」と聞くと、こう返ってきた。
「だって、お月様とお話ししてたから」
空を見上げた。
月は出ていない。というか、まだ明るい。
そもそも、お月様とお話しはできない。
…なに、言ってんの?
突っ込みどころしかない。
「……そうなの?」と返しながらも、
娘の視線の先を追うと、
彼女が見つめていたのは園庭の石ころだった。
「ほら、お月様も『お話ししよう!』って言ってる」
なんと、お月様の正体は園庭の石ころだった。

この子の頭の中はどうなっているんだろう?
と思いながら、
わたしはなかば強引に、娘の手をとった。
帰宅後、夕食を作り、風呂に入れ、寝かしつけ。
翌朝また
「靴下履かない!」
「保育園行かない!」
「プリキュアになりたい!」
との格闘を経て、
ぐったりしたまま職場に向かう。
病棟に入ると、今度は認知症の患者さんが廊下に立っていた。
「帰ります。家に帰らないといけないから」
深呼吸して、笑顔を作る。
「そうなんですか。お家に帰らないといけないんですね。」
そこからは、いつものルーティン。
ふと思った。
病棟のスキルを、育児に使えたらどんなに楽だろう。
でも、現実はそんなに簡単じゃなかった。
育児の理不尽が、病棟で活きた瞬間
認知症患者さんの不穏への対応は、
正直なところ、慣れていない人は精神的に消耗する。
「帰ります」
「家に子どもが待ってるから」
「ここにいる理由がわからない」
事実ではないこと、
現実には起きていないことを、
患者さんは確信を持って話す。
それを、正面から否定すれば余計に混乱させてしまう。
かといって、どう返せばいいかわからない。
若いスタッフが困惑して
ナースステーションに戻ってきたとき、
先輩ナースはそっと廊下に出る。
「そうですか、帰りたいですよね。
どちらにお住まいですか?」
なんということはない。
ただ、話を聞く。否定はしない。
一緒にその世界に少しだけ入ってみる。
先輩ナースの対応をみていて、
いつの間にか自分もある程度できるようになっていた。

なぜ薬剤師であるわたしにこれができるのか、
ずっと考えていなかった。
できて当然だと思っていた。
でも、あるとき気づいた。
これ、毎朝やってる。
「靴下履かない!」→「そっか、履きたくないんだね」
「保育園行かない!」→「行きたくない気持ちはわかるよ」
「お月様と話してたの!」→「……そうか、お話ししてたか」
4歳児の主張に正論をぶつけても意味がない。
「履きなさい」
「行くよ」
は通用しない。
それを毎朝繰り返してきた結果、
私の中に「とりあえず受け取る」という回路が、
気づかぬうちにできていたのだ。
育児の消耗が、立派なスキルになっていた。
病棟のスキルが、育児で崩壊した瞬間
調子に乗った。
「育児が病棟で活きているなら、逆もできるんじゃないか」
と思ったのだ。
プロとして身につけた対応を、育児に応用する。
我が子のイヤイヤ期を、スマートに乗り越える。
我ながら完璧な作戦だと思った。
まず試したのが「傾聴」。
相手の話をしっかり受け止め、共感を示す。
病棟では基本中の基本である。
娘が何か訴えてきたとき、
私はいつもより丁寧に、うなずきながら聞いた。
「うんうん、そうなんだね」
「そっかー、そういう気持ちだったんだね」
イケる!と思った。
なんなら、必殺の『オウム返し』もやってた。
それなのに、
「ママ! 話、聞いてる?」

娘、めっちゃ怒ってた。
……話、聞いてたよ。
めちゃくちゃ聞いてた。
プロの傾聴スキルで聞いてた。
なのに、どうして?
思い返せば、
たしかに私の「うんうん」は、
どこか作業的だったかもしれない。
娘が何を言っているかより、
「どう返すか」を考えながら聞いていた。
病棟でなら十分通用するその聞き方が、
4歳には一発で見抜かれた。
次に試したのが「気を逸らす」作戦だ。
不穏が高まってきたら、別の話題や行動に誘導する。
これも病棟では有効な手段だ。
娘が泣き始めたタイミングで、
「そうだ、おやつ食べる?」と明るく切り出した。
「やだ! おやつじゃなくて、わかってほしいの!!」
返り討ちにあった。
ここで私は、静かに悟った。
患者さんへの対応は、ある種の「技術」だ。
でも娘が求めているのは技術じゃない。
「お母さんに、ちゃんとわかってほしい」
というただそれだけで、
小手先のテクニックは、むしろ逆効果だった。
そしてもうひとつ、認めたくない事実がある。
患者さんには、
どれだけ「帰ります」と言われても、
穏やかに対応できる。
でも娘に「わかってくれない!」と泣かれると、
私の中の何かが限界を超える。
「いい加減にして!!」
怒鳴ってしまったことは、一度や二度じゃない。
病棟では仏なのに。
我が子の前では、鬼になる。
その落差に、自分で自分が嫌になる。
ここで一点、大事なことを書き添えておきたい。
認知症による不穏は、脳の病気が原因です。
記憶や認知の機能が損なわれることで起きる、
医学的な症状です。
一方、子どものイヤイヤ期は、
自我が芽生えた健全な発達の証。
両者は、原因も意味も、
まったく別物だと頭ではわかっている。
でも、向き合う側の消耗度は、どこか似ている。
理屈が通じない。
正論は逆効果。
感情をぶつけてはいけない。
それでも、こちらの感情は確実に削られていく。
そのしんどさは、どちらも本物だ。
なぜ「逆」はできないのか
病棟でできて、育児でできない。
その理由を、ずっと考えていた。
スキルが足りないのか。
愛情が邪魔をしているのか。
それとも、私がただ未熟なだけなのか。
たどり着いた答えは、「距離感」だった。
患者さんとの間には、どうしても一定の距離がある。
プロとして関わる距離感が、冷静さを保つ土台になっている。
感情移入はしても、感情は巻き込まれない。
だから「仏」でいられる。
でも娘との間には、距離がない。
「わかってくれない!」と泣かれると、胸が痛い。
怒らせてしまったと罪悪感が湧く。
早く泣き止んでほしいと焦る。
愛情が深いぶんだけ、感情が直接ぶつかってくる。
プロの顔を保つ余裕なんて、どこにもない。
つまり、「逆ができない」のは、
スキルの問題じゃなかった。

愛しているから、乱される。
それだけのことだったのかもしれない。
もちろん、それで「仕方ない」と開き直れるほど、
私はできた人間ではない。
怒鳴ってしまった夜は後悔するし、
娘の寝顔を見ながらごめんねと思う夜もある。
どちらも生身の人間だから、マニュアル通りにはいかない。
患者さんも、娘も、そして私も。
今日も私は、病棟でプロの顔を取り繕い、
家で鬼になりながら、もがいている。
それでいい、とはまだ思えていない。
でも、もがくこと自体は、悪くないと思うようにしている。
病棟で鍛えられた「受け取る力」は、ちゃんと本物だ。
そしてこれからしばらくの間、
まだわたしはもがき続けるんだと思う。
でも…
早く終わってくれーイヤイヤ期(泣)
仕事と育児の両立で、
同じように『外では仏、家では鬼』になって
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