鍵と鍵穴の街に、私は住めない
薬剤師が薬の作用を説明するとき、
「鍵と鍵穴」という比喩をよく使う。
薬が受容体にはまる様子を、
鍵が鍵穴に合うことにたとえる説明。
この表現は、
専門用語を噛み砕くための便利な道具だ。
私も使う。
私は、この比喩の「先」を知っている。
だから使いながら少し身構える。
「あくまでたとえです」と、
心の中で注釈を添えてしまう。
でも、この記事の中で
「鍵と鍵穴」は比喩を超えていた。
受け皿シティという街があって、
入り口にはたんぱくおまわりさんが立っている。
金色の模様を持った番人が、通行証を求める。
ぴんくの錠剤の「ぴんくくん」は、
自分の「かたち」が通行証だと答える。
形が合えば、鍵穴に「カチリ」とはまる。
比喩が、街を建てていた。
この記事を読みながら、
私にはこの街を建てられないと思った。
「鍵と鍵穴」を 説明の道具 として使うことはできても、そこに街を建てて、住人を暮らさせることはできない。
薬剤師として知っていることが多すぎて、比喩を比喩のまま自由に膨らませることを、私の中の何かが止めてしまう。
スイッチくんさんは、
その街を建てられる書き手だった。
もうひとつ、
私の心を掴んだのはその物語性だった。
ぴんくくんは、湊花町の薬屋さんの棚の隅にいる、まるくてつやつやしたぴんくの錠剤。
病院帰りの女の子に飲まれて、口、食道、胃を通り、小腸で吸収され、血液に乗って、痛みでしょんぼりしている筋肉さんのところに届く。仕事を終えたぴんくくんは、肝臓さんに「おつかれさま」と迎えられて、旅を終える。
薬剤師の私がこれを書くと、たぶん「経口投与された薬剤の消化管吸収と組織移行、および肝代謝」になる。
それが悪いわけじゃない。
医療者同士では、その言葉が必要な場面が多い。
でも、痛みでしょんぼりしている筋肉さんに、ぴんくくんがそっと届くというこの 感情の温度 は、薬剤師の説明文には出せない。
私が「作用機序」と書く場所を、
スイッチくんさんは「旅」と書く。

どちらも薬の真実に触れている。
ただ、届く相手が違う。
薬を怖がっている人、
薬に距離を感じている人、
薬を「敵」のように思ってしまっている人
そんな人達には、たぶん作用機序よりも先にぴんくくんの旅が届く。旅の温度を先に受け取った人が、いつか作用機序に興味を持ってくれるかもしれない。
その順番を作れる書き手が、
私は心底羨ましいと思った。
スイッチくんさんの記事は、AIとの共創で書かれている。ご自身の作られたGPTs「クマちゃん🐻」との対話から生まれた文章。
私が普段書いているような、机に向かって一人で言葉を絞り出す書き方とは違う。
違う書き方から、違う言葉が生まれている。
それがいい、と思った。
そして、この記事に自分を重ねてみて、
初めて見えたことがある。
私は「受け皿シティ」の住人にはなれない。
ぴんくくんに旅をさせることもできない。
私が書けるのは、
臨床の現場で見た 判断の軸 のこと。
この薬を使うか使わないか、
どう調整するか、
その理由を言葉にすること。
私の書くものは、街にはならない。
でもたぶん、それでいい。
鍵と鍵穴の街を建て、ぴんくくんに旅をさせてくれる書き手がいるからこそ、私は自分が 街ではないもの を書いていることを受け入れられる。
薬が人に届くまでには、いろんな声が要る。
作用機序を正確に伝える声。
判断の軸を提示する声。
そして、鍵と鍵穴の街を建てて、ぴんくくんに旅をさせてくれる声。
全部あって、薬はようやく人に届く。
私は「鍵と鍵穴の街」には住めない。
でも、その街があることを知っていることは、私の書くものを少しだけ豊かにしてくれる気がしている。
皆さんも一度、
ぴんくくんの旅に会いに行ってみませんか?
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