<上演で交流してみて>パフォーマンス「目」初日を終えて
長野県上田市で行っている、パフォーマンス作品「目」の初日を終えた。
徒然なるままに、そこで起こったことを上演者の視点で書き起こそうと思う。
上演がはじまる
開演
上演の方式は観客巻き込み型パフォーマンスだと言える。
最初の20分は、前説から始まる。
ほしぷろでは観客が他者を傷つけない限り、どのように観客席にいても構わない、というルールを設けている。
昨今話題となっている観客席で音が鳴る問題を跳ね除けるかのように、どんな状況でもそれを優しく全員で受け止めてほしいと声をかける。
席を立っても構わない、床に横になってもいい、どこで見たって構わない。そういうルールである。
何せ、プレイヤー側が観客に絡みに行くのだ。観客だってそれ相応の自由が必要だろう。
飲食ももちろん大丈夫だ。
その後、WSを始める。いわゆるアイスブレイク。
体をほぐすところから始まり、テーマとなる「目」に行き着くように、聞くことに注意したり、見ることに注意したりする。
もちろん、これを読んだ人の中には、この方法は健常者と呼ばれる人たち向けのものだけになっている、バリアフリーではないと批判されるだろう。
それは本当にその通りだ。こちらの不勉強で申し訳ない。ぜひ批判されるついでよき講座や勉強会を教えてほしい。これは切なる願いだ。批判というのは、喧嘩の種ではないのだから。
さて、話が横道に逸れてしまった。
聴覚や視覚の感覚を開いたのち、これからどんなことが起こるのかを説明する。これは、作品を見にきてくれる友人らのアドバイスを受けて、今回から改善したところだ。パフォーマンス中に何が起こるのかをネタバレしてみる。この企画はパフォーマンスの見本市ではないし、劇場でパフォーマンスをすることの意義を捉え直すためにも、また、僕のメインフィールドである、演劇人や観劇者たちにも見てもらいたいがために行うことと決めた。つまりは、土壌を整えている。同じ土俵に立つぞ、という強い意志でもある。
パフォーマンス「目」開始
照明が変わると、いわゆるパフォーマンスが始まる。
今回は通常舞台とされている空間に客席と机を設置し、最大12名まで収容可能な空間としている。その目の前で一人の人間があーだこーだを行う。
「自分達がみえているものはなにか、みえていないものは何か、みえていたけれどもみえなくなったものは何か、思い出せないものはなにか、みえているけれども見ようとしていないものは何か。これらを一緒に考えていきたい。」
「もし何がなんだかわからなくなったら、自分の記憶や思い出と結びつけてみてもいい。目の前で起こっていることから、何かを思い起こしてみてください。」
パフォーマンスが始まる前に、伝えたことがこの目の前では起こっていく。
起こってないなと思っても、人々は自分の時間を過ごすことができる。と信じて、客席に座っている一人一人との時間を作り上げていく。

今日の参加者はとてもアクティブだった。こんなにも人はいい表情をするのかと、ほとんどが初対面であるにも関わらず、なぜこんなにも受け入れの姿勢を見せてくれるのだろうか。
みえない何かを持ってやりとりする。それに、それぞれながらが応答をする。拒否するも選択肢として提示していたが、拒否はなかった。驚きだった。(想定では、意味がわからなすぎて、拒否されると思っていた。僕の想像力は貧弱だ。)
客席を立ち上がる。それを咎める人はこの空間にはいない。
自分が居場所を探すように、転々としている。
机の下に潜る。そこが落ち着くようだった。とてもいい表情で見てくれている。何かをしながら、クッションでバリケードを作ったり、新しい遊びが空間に生まれている。交流の拒否はない。僕が近づけば、答えてくれる。見てくれている。そうだ、演劇は年齢や性別、人種なんかを超えた、壮大な遊びなんだ。なんて素晴らしいんだ。
近づいたら踊りが始まった。突然のデュエットだ。なんだ、今日は一人のパフォーマンスではなかったのか。C.Iのような時間が始まる。想定していない。すごいぞ、有機的だ。全部が舞台である。
顔を近づけたら変顔大会が始まった。普段こんなにじっくりお互いの目を合わせることがあるだろうか。物怖じしない人たちだ。この人たちもパフォーマンスを考えてきていたのだろうか。僕だけが用意してきたと思っていたら、そんなことはなかった。現象は舞台上で起こる。演劇をやってると口すっぱく言われること。そこへの感度を上げていくこと。なんてことだ。ここでそれを強く体験できるとは。
疲れたから水を飲む。犀の角はカフェもやっている。始まる前に飲み物を買うことを、個人的には推奨している。そして、それを飲みながら見てもらいたい。だから、僕も飲もう。
しかしここまできたら飲む瞬間を合わせたい。僕が飲もうとすると、ここだ、というタイミングでコップに手をかける人がいる。そこで目を合わせる。そして一緒のタイミングで水を飲んでみる。水が体の中を流れる。それを味わう。それを教えてくれたのは、尊敬するダンサー・宮悠介だ。ごめん、アイディアをパクりました。

風船を渡す。風船バレーは、どうしてかみんながやったことがある。渡しただけで、風船でのやりとりが参加者同士で始まった。なんだこれは。僕が観客じゃないか。その瞬間、観客と上演者が入れ替わった。僕は内心震えた。やりたかったことが、ここでできてしまったのだから。見たくて見れなかったものたちがどんどん現れてくる。
これは、全然想定しなかったことだ。
僕の作品はもっとダウナーなものになることが多い。
最初はテンション高くても、どんどん闇に向かっていく。
救えない国のように、救えない人間たちのサガを暴こうとしてしまう。
でも、これはもう違うぞ。明るい社会の姿そのものがここに立ち上がっている。
気がついたら40分が経ってしまう。
想定していたエンディングまでまだ手数が残っている。
だが、そのようなことはどうでもいい。
用意してきたものが、現実に起こったことに対抗できないのならば、この現実で起こっていることを信じよう。「目」を閉ざさず、今この瞬間から「目」を逸らしてはいけない。
用意していたテーマが有機的にいい方向に変わっていく。それでよい。
それがこの空間の幸せであるならば、そしてそれが快楽ではなく、今後の幸せとも一致するならば、それを頼りにしたい。

そして、エンディング。目をつぶしたホモイが現れる。目はきっとよくなると言っている父の言葉が繰り返される。最後は目がよくなるとは何かを悟り、明るく目はきっとよくなる、と力強く叫び、去っていく。
なんだかんだ演劇っぽいラストになる。
途中から言葉を使うことにもした。その方が良さそうだった。
暖かい拍手の中、幕を閉じた。初日、終わり。
上演の後
犀の角は人が集う場所
犀の角は、いつまでもいられるならいたい空間だ。
上演が終わっても、すぐには去らず、追加で飲み物を注文し、談笑に耽る。
その輪に少し入らせてもらう。
変顔大会は、僕を笑わせるために仕掛けてくれたことだったらしい。やはり僕の方が観客だった。変顔には変顔を。睨めっこには自信があったから、つい乗ってしまった。しかし、仕掛けるなんてのはなんてアクティブなんだろう。
僕から気の流れを読み取り、一緒に踊り始めたとのこと。
僕もそれを受け取り、c.iのようなことをしてみる。わずかながらc.iの経験をさせてもらえていたことが、こんなところで効果を発揮するとは思わなかった。これはAAPAのおかげです。ありがとう。
居場所を何度も移動した人がいた。
何でもできる空間だからこそ、新しい発見をするために、能動的に動いてみたらしい。自分にとっても実験の場であった。そう語ってくれた。
見にきた人が、これは実験の場なんだ、自分を試す場なんだ、と思えるかどうか。少なくとも僕は思えない。思えるのは、ロバート・ウィルソンの作品やSCOTやSPACの作品、また最近だとエンニュイの作品だろうか。ただ、自由に乗った方がいいと思い、スイングしまくるのは、歴戦の友と勝手に呼んでいる神保治暉が所属するエリア51の音楽演劇だろう。ライブ会場で見た作品では酒を片手にスタンディングで身体をウェーブしまくってしまった。黙ってみていられるか!という気持ちになる。それは毎度。
自由に席を動いている。本当にすごい。みる場所で、見え方が変わる。普通は一つの席でしか見れないが、動いていいなら一回でたくさんの発見ができる。それをやってのけたのだ。勉強になる。
机の下を席にした人がいた。すっぽり収まるサイズ。秘密基地のようだ。
丸くなったり、横になったり、終始笑顔だった。その笑顔に何回も助けられた。この空間だからこそできる見方だ。そして、本当ならそういうう空間をたくさん用意したい。横になって見られるような環境。
そういえば昔、海外の作品でベッドに入ってみる作品があったらしい。先輩が言っていた。あとは、平井光子さんが、そういう作品をやっている。あの人は本当にすごいな。それを想起させるような居場所づくりをしていたのだ。僕もやってみたい。
福島出身の同級生とも出会えた。上田で、福島の話。すごい。こんな奇跡が。
福島で出会った友人も来てくれた。ゆっくり話せなかったから、今度ちゃんと話そう。
同じ劇団関係の話で盛り上がれることもできた。なんだかそういう共通点を探す時間も、この上演が終わった後の有意義さなのだろう。
21時。みんなが帰っていた。
終演の寂しさ
あと4公演だ。と思っても、この1公演は戻ってこない。
なんて寂しいのだろうか。
友人ワタナベカイとの即興の日々を思い出す。
僕たちは生まれて、そして死ぬまでを一つのパフォーマンスで行う。そしてまた次のパフォーマンスで生まれて、そして死ぬ。その繰り返しだ。
そうだ。一つの素敵な公演が幕を下ろしたのだ。
次はまた、新しい素敵な公演が幕を上げる。
次の公演で起こることが楽しみだ。
そのためにも、また一つ一つ準備をしていこう。
(2026.04.25 星)
引き続きの公演情報
ほしぷろによる宮澤賢治シリーズ
「目」
原作:宮澤賢治「貝の火」
パフォーマー:星 善之
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こんなことはどこにもあるのだ。
それをよくわかったお前は、いちばんさいわいなのだ。
目はきっとまたよくなる。
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「目」は視覚に訴えかける感覚器の一つ。世界の事象や物体を受容し、理解するための器官である。しかし、この目から得られる情報は、誰しもが同じようなものとして受け取っているわけではない。物事の理、現象の根幹の部分を見抜くことも、目が持つ役割の一つだが、時としてこの能力は狂ってしまう。しかし、目は口ほどに物をいう。目が得ている主体的な情報よりも、目が発している情報の方が、ある程度等しさを持っているのかもしれない。
シアターパフォーマンス「目」では、最初にみなさんと一緒にワークショップを行い、その後、星善之による「貝の火」をソロパフォーマンスを上演いたします。原作の言葉も借りながら、わたしたちが今見落としてしまっているもの、見落としてはいけないものについて、観客の皆様と一緒に考えていけたらと思います。
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上演日
2026年4月24日(金)19:00(終了)
2026年4月25日(土)15:00○/19:00▲
2026年4月26日(日)11:00◎/15:00◎
(開場は上演時間の30分前)
会場
犀の角
(長野県上田市中央2丁目11-20)
チケット代
一般 ¥3,000
学生 ¥1,500
親子 ¥4,000
(小学生以上)
親子 ¥2,500
(未就学児)
応援 ¥5,000
主催:ほしぷろ 協力:一般社団法人シアター&アーツうえだ
問合先:hoshipro.s@gmail.com
本公演は、犀の角タイアップ公演として上演されます。
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★公演の流れ★
◯鑑賞のためのワークショップ(20分)
パフォーマンスを見るにあたっての、身体と心をほぐし、日常から開放されるようなワークショップを行います。
◯シアターパフォーマンス「目」(40分)
宮澤賢治「貝の火」をもとにしたパフォーマンスを行います。原作の言葉も使い、「見えているもの」「見えていないもの」とは何か、について、問いを投げかけます。
※本公演は未就学児もご覧いただける内容になっています。
ほしぷろとは?
演出家/パフォーマーの星善之が主宰する創作ソロユニット。創作の中心を演劇に据えた表現活動を行う。幅広い年代に楽しんでもらうため、小説や童話などを題材として取り扱い、クリエイションメンバーの個々の経験や時代の情勢を反映させ、作品を再構成し上演するスタイルを取る。過去の上演作品は「『なめとこ山の熊のことならおもしろい。』」「nur Woyzeck」「名前がカタカナの難しい人たち」などがある。第12回せんがわ劇場演劇コンクールにて「演出家賞」(星善之)、「俳優賞」(瀧澤綾音)を受賞。2026年「ガチゲキ‼︎Part3」にて「演出賞」(星善之)、「俳優賞」(三井田明日香、大橋悠太)を受賞。
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