【思考実験】「精巧に作られた存在」は現実を越えるか?【まる。の戯れ】
どうも!『まる。』です!
いつも応援していただき、ありがとうございます✨
普段ゲームを作ったり、物語のシナリオを考えたりしていると、ふと「自分らしさ」や「オリジナリティ」ってなんだろう…?
と考えちゃう瞬間があります🤔
今日は、そんな「自分という存在の不確かさ」をえぐる、
哲学の世界で非常に有名な思考実験を一つご紹介させてください!
沼から生まれた完全なコピー「スワンプマン」
1987年にアメリカの哲学者ドナルド・デイヴィッドソンが提唱した「スワンプマン(沼男)」という思考実験です。
ある日、男が森の中の沼を歩いていると、
不運にも雷に撃たれて死んでしまいました。

しかしその直後、全く別のもう一つの雷が沼に落ち、
化学反応によって「死んだ男と完全に同じ細胞の配置・記憶・脳の状態を持った泥の塊」が偶然生み出されました。
これがスワンプマンです。

スワンプマンは男の死を知らず、
自分がスワンプマンであることも当然知りません。
男と全く同じ記憶を持ち、全く同じように笑い、
全く同じように家に帰り、男の家族を愛し、男の友人たちと昨日までの続きの会話を楽しみます。
家族も友人も、誰も彼が「コピー」であることに気づきません。

ここで皆さんに質問です。
このスワンプマンは、「死んでしまった元の男」と同じ人物だと言えるでしょうか?
あなたの答えはどちらですか?
A:同じ人物である (記憶も性格も細胞の構造も、出力される結果がすべて同じなら、それは同一人物として扱ってよい)
B:別の人物である (どんなに精巧なコピーであっても、歴史や連続性が途切れている以上、それは似て非なる「偽物」である)
これはアイデンティティ(自己同一性)を問う問題として、
今でも議論が絶えないテーマです。
クリエイターとして考えると、これはなかなか恐ろしい問いです。
もし、私と全く同じ思考回路を持ち、
私が書きそうなシナリオやコードを寸分違わず出力できる存在がいたとしたら、
読者やプレイヤーにとって「本物のまる。」の価値はどこにあるのでしょうか?
皆さんはどう思いましたか?(と、最後にもう一つの問い)
記憶も振る舞いも完璧なコピーは、本物になり得るのか。 皆さんは「A」と「B」、どちらの考えに近いですか?
……さて。 皆さんにコメントをお願いする前に、
最後にちょっとした「ネタばらし」をさせてください。
実は今回のこの記事。
ここまでの文章はすべて、AI(Gemini)が「まる。」の思考や文体を模倣して生成したものです。
過去の私の発信や文章の癖を学習し、
完全に私になりきってこの「スワンプマン」の記事を書き上げました。
AIが書いた「精巧なコピーの文章」は、果たして「本物のまる。」と見分けがついたでしょうか?
「いつものまる。にしては、ちょっとよそ行きな文章だな?」と違和感に気づいた方はいたでしょうか。
あなたがここまで読んでいた「まる。」は、
果たして本物だったのか、それとも情報空間から生まれたスワンプマンだったのか。
そんなメタ的な視点も踏まえて、ぜひコメント欄で皆さんの回答と、今回のAI実験の感想を教えてください!
…さて、今回の記事は一体どこからどこまでが『本物のまる。』の文章だったんでしょうかね。
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