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火事で家を失ったら、どうなる?──親子で振り返る「火事後のリアル」

火事のニュースでよく目にするのは、燃え上がる炎の映像と「安否確認」の情報です。

しかし、その炎の向こう側で何が起こっていたのか、そこにいた人が何を見て、どう感じたのかを聞ける機会はほとんどありません。

今回は、真夜中に火事に気づき、家族を起こして避難へ導いた私の母に、当時の体験を語ってもらいました。

体験者にしか語れない生々しい描写と、火事が暮らしや価値観に与えた影響を、ぜひ感じていただければと思います。

改めて親にインタビューするのは人生で初めての経験です

真夜中の「ドーン」で目が覚めた

――火事当時のことで、今でも鮮明に覚えていることはある?

夜中にふっと目が覚めた瞬間、耳に飛び込んできたのは、家が焼けるパチパチという音と、ドーン、ドーンと響く衝撃音だった。

「火事だ、みんなに知らせなきゃ」と咄嗟に思って、寝てた家族を必死に叩き起こしてたんよ。

その直後、電気と電話が同時に落ちて、またドーンと響く音が広がって。

目覚めた瞬間の出来事と音は今も一番覚えてるね。

部屋を出て玄関の方を見たら、そこが一面オレンジ色に染まっていた。

怖かった。本当に、鮮明なオレンジ色で、あの光景は今もはっきりと覚えてるくらい衝撃的だった。

――その光景はトラウマになっていたりする?

トラウマっていうほどじゃないけど、やっぱり印象的すぎて。

テレビのニュースで災害の映像が流れると、はっとして当時を思い出す。

その時に「この人たち、どこに避難するんだろう」って心配になる。

当事者の気持ちになるのよ。

家がなくなるってことは、その後の生活が丸ごと変わるってことだから。

私たちの時は、近所の人が「うちにおいで」って声をかけてくれて、明け方から夕方まで過ごさせてもらえた。

だから、火事のニュースを見るとまず「避難先はあるのかな」って思うようになった。

一度火事を経験すると火事のニュースは自分ごとに感じる

――火事を当事者目線で捉えるようになったんだね。

そうね。特に孫たちは敏感で、サイレンの音を聞くと、「火事、ばあちゃん火事!サイレンの音!」とかね。

地震だよって言っても「どこに逃げるん? この家潰れるん?」って。

残ってる写真を見ては「このおもちゃあったのに、全部焼けたね」って今でも言うのよ。

パジャマと裸足で必死に逃げた

――逃げるときはどうしたの?

玄関はもう火に包まれていて、裏庭に出るしかなかった。

そこから畑へ走ったんだけど、真冬なのに裸足のまま。

石ころだらけなのに、痛みも感じないくらい必死だった。

パジャマだけでコートも着てなかったんよ。

近所の人もたくさん火事を見に来てて、知り合いの人に「すみません、ツッカケでもいいからありませんか」とお願いしたら、コートも一緒に持ってきてくれてありがたかったね。

裏庭に建てられた対策本部のテント

――消防車が来てからは?

畑の中に「対策本部」と書かれた大きなテントが建てられて、消防署や警察がひとりひとりの名前や家族構成を確認してたんよ。

事情聴取のように記録を取ってたよ。

幸い誰も亡くならなかったけれど、もしそうでなかったら、さらに厳しく調査してたんだろうね。

明け方には火が落ち着いて煙だけになったけど、消防署の人たちは最後まで残って、瓦礫を掘り起こし、完全に火の元が消えるまで確認してた。

当時の消化活動の様子

火事が変えた暮らしと価値観

――火事を経験して、生活や価値観で変わったことは?

一番は「いらない物は買わない」こと。

前はセールになると「来年も着るだろう」と服を買っていた。

でも今は必要最低限しか買わない。

冷蔵庫もパンパンにせず、あるもので作って、足りない分だけを買い足す。

物を無駄に増やさない生活に変わったね。

――買い物以外で変わったことは?

寝るときは財布・スマホ・身分証、通帳が入ったバッグを枕元に置いて、服を着込むようになった。

以前は「パンツなし健康法」なんてしてたけど(笑)、今は下着も肌着も全部着て、すぐ逃げられる格好。

寝てる間に何が起こるか分からないから。

お風呂も短くなったね。

前は30分くらい入ってたけど、今は10〜15分で上がる。

もし地震が来たら裸で飛び出すなんて嫌だから。

常に「何か起こるかも」という意識が頭にあるんだと思う。

東京の我が家に泊まりに来た時も枕元にバックを置いていた

日々のコミュニケーションが命を守る

――火事の経験から感じたことは?

やっぱり「日々のコミュニケーション」が大切ってことかな。

普段からご近所と挨拶したり話したりしてたから、助けてもらえたのよ。

裏庭に逃げた時、「ツッカケください」とお願いしたら、コートまで差し出してくれて、そのまま「うちにおいで」って迎えてくれた。

部屋を温めて、朝ごはんも昼ごはんも用意してくれて、「一部屋使っていいよ」と言ってくれた。

他にも日が経つにつれて 今まで付き合ってた方からの支援が増えていった。

あれは日頃の付き合いとか、人間関係があったからこそだと思う。

――新居引っ越してから、すぐに自治体に入ったんだよね?

そう、すぐ入ったよ。

やっぱりコミュニケーション大切やとその時に思ったから。

引っ越した時、隣の家の人に「自治会長さんはどなたですか」と聞いて挨拶に行った。

ちょうど総会があったから、総会で「火事で引っ越してきました」って挨拶したら、みんな知っててくれた。

インタビューで初めて知ることもたくさんありました

「人事を尽くして天命を待つ」母の言葉

命が助かっただけでありがたい。

神様はおると思うよ。

あの火事になる前は、ここは貸してくれとる家やからいつか出ないといけないというのが頭にあって。

出る時には納屋にある荷物をどうしようというのがいつもあった。

それが火事によって一瞬ですべて無くなった。

神様が導いてくれたんだと思う。

悪いことばかりじゃなくて、助けてくれたりいいこともあったからね。

――火事をプラスに捉えているんだね。

そう。私がずっと大事にしている言葉があるの。

「人事を尽くして天命を待つ」

小学生の頃に教科書で出会って、それがガチンと頭の中に入って 今までそういう生き方をしてきた 。

自分で行動して生活している中で、悲しいことがあっても辛いことがあっても、いつか何か良いことがあるだろうと思って生きてきたんよ。

火事も天命だと思ってるから、自分は人事を尽くしたんだろう、神様が見てくれてるから大丈夫だと思ってる。

だから今も、その言葉に支えられて生きているの。

火事に遭ったことを前向きに捉えている気持ちが
ひしひしと伝わってきました

インタビュー編集後記

インタビューを通して、母が大切にしている「人事を尽くして天命を待つ」という言葉と、火事さえも天命として受け入れる強さを知ることができました。

実はこのインタビューは、母が私の産後のサポートで泊まりに来てくれていたときに実現したものです。

親子三代が揃った中で聞けた話は、とても貴重な時間でした。

いつか娘にこの記録を見せて、おばあちゃんの生き方を伝えたいなと思います。

起こる出来事は同じでも、どう受け止めるかでその後の人生が変わる。

火事以外のことにも通じる学びだと感じています。

予期せぬ困難が訪れても、母のように前を向いて生きていけたら。

そう強く思えたインタビューでした。

産後間もない私と母と娘の記念になりました

【動画】実際のインタビューの様子

もともとは記録用に残していた動画ですが、火事体験を語る臨場感が強く伝わる内容だったため、母の許可を得て公開することにしました。

ご覧いただくと、火事という出来事をいかに前向きに受け止めているかが伝わると思います。

娘としても、その姿勢に大きな力をもらえた時間でした。

インタビュー・構成:堀池真希
撮影・動画編集:表ロビー純平

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火事の当事者となり、火事後の行動や手続きについて情報が少ないことを実感しました。

火事に遭ったときに手に取れるガイドブックにしたいです。

そのために、この記事を出版社に持ち込みたいと考えています。

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堀池真希 | 実家全焼からガイドブック作成を目指す人 いただいたサポートは実家の復興支援金として使わせていただきます。