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第2回|このまま定年まで働くだけで、本当に大丈夫ですか?

終わりを見てきた僕だから言える|まだ間に合う人生の歩き方

「もっと早く始めていればよかった」
介護の現場で、人生の終盤に立ち会うたび、何度も耳にしてきた言葉です。

一方で、不思議なことに
「挑戦しなければよかった」と語る人には、ほとんど出会いませんでした。

僕自身も40代に入り、仕事や人生、時間の使い方をあらためて見つめ直しました。
そこから副業と学び直しを始め、日々の過ごし方が少しずつ変わっていきました。

1日わずか2〜3時間の積み重ねでも、10年後にはまったく違う景色が広がります。
これは机上の理論ではなく、実際に歩いてきたからこそ感じている実感でしょう。

終わりを見てきた僕だからこそ、はっきり言えます。
人生は、まだ間に合います。


※本記事はシリーズの第2回です

▶︎ 第1回
人生は、まだ間に合います

前の記事では、
「人生は、まだ間に合う」という事実について書きました。

ただ、その言葉を読んで
すぐに何かを始めようと思った人は、実はそれほど多くないのではないでしょうか。

多くの人は、こう感じているはずです。

  • 生活は破綻していない

  • 仕事も、それなりにこなしている

  • 家族や責任も背負っている

だからこそ、
「今すぐ何かを変えなければ」という切迫感はない。

でも同時に、
こんな感覚も、心のどこかに残っているはずです。

このまま、定年まで働くだけで、本当に大丈夫なのだろうか。

この問いは、不安というほど強くありません。
恐怖でも、焦りでもない。
むしろ、言葉にしづらい 小さな違和感 に近いものです。

この記事は、その違和感を「解決」するためのものではありません。
副業を勧める記事でもなければ、今すぐ行動を促す記事でもありません。
ただ、
「自分は、もう考えていい段階に来ている」
そう認めるための文章です。


【まだ何も始めていない人へ】このまま定年まで働くだけで、本当に大丈夫ですか?


第1章|何も問題はないはずの毎日

間違ってはいない。 ただ、満たされてもいない。

朝、目覚ましが鳴る。
少し早めに起きて顔を洗い、いつもの服に袖を通す。
駅まで歩き、電車に乗る。
車内の風景は、ほとんど変わらない。
スマホを見ている人、目を閉じている人。
顔ぶれも、だいたいいつも同じです。

職場に着けば、やるべきことは分かっている。
メールを処理し、会議に出て、目の前の業務をこなす。
忙しく、手が止まることはありません。

決して、手を抜いているわけではない。
責任も果たしている。
周囲から見れば、
「ちゃんとやっている人」だと思われているはずです。

それでも、ふとした瞬間に、こんな思いがよぎることはないでしょうか。

「自分、何か間違っているわけじゃないよな」
「ちゃんと働いてきたはずだよな」

まるで自分に言い聞かせるように、心の中で確認している自分がいる。
大きな不満があるわけではありません。
転職したいほど嫌な職場でもない。
収入が急に減ったわけでもない。

ただ、
この毎日が、この先も10年、同じように続いていく光景をうまく思い描けない。

忙しさの合間に、その感覚だけが、胸の奥に静かに残る。

そして多くの場合、その違和感には名前がつかないまま、また日常へと戻っていきます。

第2章|不安ではない。でも、誤魔化してもいけない感覚

問題はない。 でも、納得もしていない。

「不安か」と聞かれたら、正直そこまでではありません。

眠れないほど悩んでいるわけでもないし、将来が怖くて仕事に集中できないわけでもない。

「まだ大丈夫」
「何とかやれている」

そう言えるだけの材料は、ちゃんと揃っています。
だからこそ、この感覚は扱いづらい。

明確な問題があるなら、対処のしようもあります。
収入が足りないなら、増やす方法を考えればいい。
仕事がつらいなら、環境を変える選択肢もある。
でも、この違和感は、そうした単純な話ではありません。

生活は回っている。
責任も果たしている。
周囲から見れば、特に困っていない人です。

それでも、心のどこかで、こんな声が聞こえる。

「このままで、本当にいいのか」

この問いは、声高に主張してくるわけではありません。
忙しい日々の中では、すぐにかき消されます。
仕事が立て込めば忘れるし、家族の予定が入れば後回しになる。
だから、多くの人はこう思います。

「考えすぎだろう」
「今は動くタイミングじゃない」
「もっと切羽詰まってからでいい」

その判断は、間違っていません。
実際、今すぐ何かを変えなければ生きていけない、
そんな状況ではないのですから。

ただ、この違和感には、ひとつ特徴があります。
それは、消えないことです。

一時的に忘れても、しばらくすると、また戻ってくる。
ふとした帰り道。
何気なく目にした同世代の記事。
定年や老後に関するニュース。
そんな小さなきっかけで、また同じ問いが浮かびます。

「この先10年、同じように働き続けたら、どうなるだろう」

ここで大切なのは、答えを出すことではありません。
多くの人は、この問いが浮かんだ瞬間に、無意識に答えを探そうとします。
そして、答えが見つからないから、考えること自体をやめてしまう。

でも、もしかすると、この段階で必要なのは「答え」ではない。

必要なのは、問いが生まれたこと自体を、なかったことにしないこと
なのかもしれません。

この違和感は、不安でも、焦りでもない。
でも、ただの気のせいとして片付けるには、少しだけ重さがある。

それは、これまで真面目に生きてきた人にだけ、自然と浮かんでくる感覚だからです。

第3章|介護の現場で、何度も聞いた言葉

後悔は、 失敗した人の言葉ではなかった。

介護の現場で働いていると、
人の人生の「終盤」に立ち会うことがあります。

それは、ドラマのような特別な瞬間ではありません。
むしろ、とても日常的です。

食事をしながら。
窓の外を眺めながら。
何気ない会話の流れの中で、ふと、こぼれる言葉があります。

「もっと早く、考えておけばよかったな」

声を荒らげるわけでもなく、後悔を強く訴えるわけでもない。
ただ、思い出すように、静かに語られます。

印象的なのは、
その言葉を口にする人たちが、
決して「失敗した人生」を歩んできたわけではないということです。

真面目に働いてきた人。
家族を支えてきた人。
周囲から信頼されていた人。

「もっと挑戦しておけばよかった」
「何もしてこなかったのが悔しい」

そんな極端な言葉は、ほとんど聞いたことがありません。

多くの場合、後悔の中身は、もっと曖昧です。

「忙しかったからね」
「考える余裕がなかった」
「気づいたら、ここまで来てしまった」

それは言い訳ではなく、どれも事実でした。
仕事があり、家庭があり、守るものがあった。

だからこそ、
「自分はどう生きたいのか」という問いは、
後回しになっていったのです。

特別な決断をしなかったから後悔した、という話ではありません。
大きな失敗をしたから立ち止まった、というわけでもない。
ただ、一度も立ち止まって考えなかった。
それだけだったのです。

もうひとつ、強く印象に残っていることがあります。

それは、
「挑戦しなければよかった」と語る人に、
ほとんど出会わなかったことです。

もちろん、結果が思うようにいかなかった人はいます。

思ったほど稼げなかった人。
途中でやめてしまった人。
うまくいかなかった経験を持つ人。

それでも、その経験を
「無駄だった」と切り捨てる人は、ほとんどいませんでした。

むしろ、こう語る人が多いのです。

「あれがあったから、納得できた」
「一度やってみたから、気持ちが整理できた」

ここで伝えたいのは、
「挑戦すべきだ」という話ではありません。

ただ、
考えなかったことだけが、後になって残りやすい

その事実を、何度も目にしてきた、ということです。

この現実は、誰かを脅すためのものではありません。
「今すぐ動け」と迫るための材料でもない。

ただ、もし今、
あなたの中に言葉にならない違和感があるのなら。

それは、多くの人が、
もっと後になってようやく向き合う問いに、
少しだけ早く触れているだけなのかもしれません。

第4章|後悔は、責められるものではない

考えなかったのではない。 考えられなかっただけだ。

ここまで読んで、少し胸が重くなった人もいるかもしれません。

「自分も、考えてこなかった側なんじゃないか」
「このままだと、後で後悔するんじゃないか」

そんなふうに感じたとしても、
その感覚を、すぐに打ち消さなくて大丈夫です。

まず、はっきり伝えておきたいことがあります。

後悔は、責められるものではありません。

介護の現場で出会ってきた人たちは、
誰もが、自分なりに精一杯生きていました。

仕事を疎かにした人はいない。
家族を放っておいた人もいない。

むしろ、
「やるべきこと」を優先し続けてきた人たちです。

朝から晩まで働き、
家族を養い、
責任を果たしてきた。

その中で、
自分の人生について深く考える余裕がなかったとしても、
それを「怠慢」と呼ぶことはできません。

考えなかったのではなく、考えられなかった。

それが、多くの人の置かれていた現実でした。

だから、もし今あなたが
「自分は何もしてこなかった」と感じているなら、
それは、自分を正しく見ていない可能性があります。

あなたは、何もしてこなかったわけではありません。
むしろ、ずっと何かを守り続けてきた人です。

ただ、その過程で、
自分自身について考えることが、
後回しになっていただけ。
それだけのことです。

そのうえで、
ひとつだけ、静かに共有したい事実があります。

介護の現場で見ていて、
確かに違いがあったのは、
「考え始めた人」と「最後まで考えなかった人」

この二つでした。

どちらが正しい、という話ではありません。
優劣の話でもない。

ただ、
考え始めた人には、
どこか納得した表情がありました。

「もっとやれたはずだ」と悔やむのではなく、
「ここまでの人生も悪くなかった」と、
自分の歩みを受け止めているような表情です。

一方で、
最後まで考えなかった人は、
何かを失ったというよりも、
整理できないまま終わってしまった
そんな印象を受けることが多かった。

ここで大切なのは、
過去を変えることではありません。

これまでの選択を、
正解に塗り替えることでもない。

ただ、
これから先の時間を、少しだけ自分のために使ってもいい

そう認めることです。

考え始めることは、逃げではありません。

それは、
これまで真面目に生きてきた人にだけ、
そっと与えられる権利のようなものだと、
私はそう思っています。

第5章|人生を変える必要はない。ただ、考えていい

人生を変えなくていい。 ただ、向き合ってもいい。

ここまで読んで、
「じゃあ、何をすればいいのか」
そう思った人もいるかもしれません。

でも、この段階で、何かを決める必要はありません。

転職を考えなくていい。
副業を探さなくていい。
資格を取る計画を立てなくていい。

ましてや、
「今すぐ動かないと手遅れだ」
そんな言葉に、焦る必要もありません。

多くの人は、
「人生を考える=何かを変えること」
だと思い込んでいます。

だからこそ、
考えること自体を避けてしまう。
変えられないなら、考えないほうが楽だからです。

でも、
人生について考えることと
人生を変えることは、同じではありません。

人生を変える必要はない。

けれど、人生について考えることは、今からでもできます。

たとえば、こんな問いで十分です。

  • 自分は、どんな時間に満足感を覚えてきたのか

  • これまで、何を大切にして働いてきたのか

  • この先、何を「失いたくない」のか

答えが出なくても構いません。
言葉にできなくてもいい。

ただ、
問いを置いてみる。
それだけで、見える景色は少しずつ変わっていきます。

大切なのは、
何かを始めることではありません。
自分の人生を「自分のもの」として扱い始めることです。

これまで、あなたの時間は、
仕事や家族、周囲の期待のために使われてきたはずです。
それは間違いではありません。
むしろ、誇るべきことです。

ただ、
これから先の時間の一部を、
自分のために使ってもいい。

そう考えることは、
決して、わがままではありません。

ここまで読んだあなたは、
もう「無関係な人」ではありません。
何かを始める準備ができた人、という意味ではなく、
考え始めてもいい場所に、ちゃんと立っている人
という意味です。

それだけで、十分だと思います。

第6章|まだ決めなくていい。でも、見なかったことにしないで

答えは、 まだ出さなくていい。

ここまで読み進めてくれたあなたは、
おそらく、こんな場所に立っているのだと思います。

「何かを始めなきゃ、というほどではない」
「でも、このままでいい、とも言い切れない」

白黒はつかない。
答えも、まだ出ていない。

それでいいのだと思います。

人生の後半について考えることは、
本来とても曖昧で、時間のかかる作業です。
勢いで決めていいものでもなければ、
誰かの正解を、そのまま借りてくるものでもない。

だから、
今ここで何かを決断しなくてもいい。
変わるかどうかは、
今、決めなくていい。

副業をやるかどうかも、
今日、決めなくていい。

ただ、
ひとつだけ大切にしてほしいことがあります。

それは、
「このままでいいのか」という問いを、なかったことにしないことです。

忙しさに紛れて、
見ないふりをすることは簡単です。

「まだ大丈夫」
「今はその時じゃない」

そう言って、
棚の奥にしまってしまうこともできます。

でも、
この問いが浮かんだという事実そのものが、
あなたがこれまで真面目に生きてきた証でもあります。

何も考えずに流されてきた人には、
そもそも浮かばない問いだからです。

考え始めることは、弱さではありません。
迷っている証拠でもない。

それは、
これまでの人生を一度引き受けて、
これからの時間をどう使うかを、
自分の言葉で見つめ直そうとしている状態です。

その場所に立てたこと自体が、
ひとつの節目なのだと、私は思っています。


ここまで読んで、
「自分のことを書かれている気がした」
そう感じたなら、無理に答えを出す必要はありません。

多くの人は、
行動する前に、まず考え方の段階でつまずいています。

次の記事では、
40〜50代が副業や新しい挑戦を前にして、
なぜ動けなくなってしまうのか。

現場で見てきた実例と、自分自身の経験をもとに、
その思考の共通点を整理していきます。

行動の話は、まだしません。
今は、考えるだけでいい。

そう思える人から、
続きを読んでもらえたら嬉しいです。


※次回予告

▶︎ 第3回
40〜50代が副業で失敗しやすい人に共通する思考パターン

行動の話は、まだしません。
まずは「なぜ動けなくなるのか」を、思考の整理から書きます。

40〜50代が副業や新しい挑戦に向かうとき、
なぜつまずきやすいのか。

行動の話ではなく、
「考え方の癖」という視点から、
もう少しだけ深く掘り下げてみようと思います。

焦らなくていい。
今は、答えが出なくてもいい。

ただ、
また続きを読みたいと思ったときに、
ここに戻ってきてもらえたら嬉しいです。

あなたの人生は、まだ途中です。

そして、
考え始めるには、
ちょうどいい場所に来ています。


終わりを見てきた僕だから言える|まだ間に合う人生の歩き方

▶︎ 第1回|人生は、まだ間に合います
▶︎ 第2回|このまま定年まで働くだけで、本当に大丈夫ですか?
▶︎ 第3回|40〜50代が副業で失敗しやすい人に共通する思考パターン


ここまでの話は、
特別な成功体験から書いているわけではありません。

迷いながら、遠回りしながら、
それでも考え続けてきた一人の視点です。

もし気になったら、
なぜこのテーマを書いているのか、
プロフィールに目を通してみてください。

▶︎ プロフィールはこちら


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