小説: ペトリコールの共鳴 ⑪
第十一話 憂鬱なハムスター
落ち葉が重なり下から土になる、と感じた。
土のようなものかもしれない。空気を濃縮させて形にすれば土と言い表しても良い気がする。
僕はそもそもがネズミで、室内でしか生息できないハムスターかと決めつけていたが身体能力はネズミのままなんだと思う。
葉っぱの掻き分けも得意で、樹木などの側面を移動するのも苦ではない。
せっかく飼い主のタツジュンに外食へ連れて来てもらったのに、嫌な過去が脳裏で映像化されて。
忘れたいことへ執着するのは同じ誤ちを繰り返さない機能かもしれない。
でもあの過去だけは、僕もタツジュンも早く忘れてしまえばいい。同じ出来事は経験したくない。
今、三角形で座って木々を眺めているタツジュンは木が目に入ってないと推測している。
なぜなら、タツジュンは時折目線を左下へ落として考え事をしているのか動作が止まる。
僕から見て壮絶で強烈な死を予感させた出来事は昨日今日で忘れられるはずもなく、僕にとっても断片的に現れる記憶なのだから。
意識が身体の力とともに抜けて、しかし覚醒したのは水中へ落とされた時で、下から見上げた愛羅の姿をしっかり覚えている。
水流に押し沈められた僕は反射的に腕を伸ばしたのだと思う。暗闇の中は所々岩状になっており、爪さえ引っ掛かればまたすぐに体勢を戻せた。ネズミは猿と同等の運動能力が発達している。
岩状のものを登り詰めて、水中に辿り着き、白く滑りやすい壁を超えたら、見慣れた家のトイレだった。
身体は濡れ、寒さで芯まで凍えそう。
冷えた体躯を長毛のトイレマットで暖をとった。ドアを隔てて音がすると便器の裏へ身を潜めた。
僕が人間の前に出てしまえば再びトイレへ捨てられるのか予想できる。
愛羅は僕が邪魔なんだ。
それは愛羅のタツジュンへの独占欲かもしれないし、ただのネズミ嫌いかもしれない。
意図は測り知れないが、残忍な性格だと分かる。
人間の隙を見つけては移動を重ね、テレビ台の下を寝ぐらにし、タツジュンと愛羅の様子を観察。
その間に芽生えた感情は、怒りだった。
遥香が亡くなるまで寵愛を受けた僕は、ハムスターだから降りかかった不条理なのか、愛羅のタツジュンへの嫉妬心で起きた理不尽なのか、どちらであっても絶対に愛羅へ仕返ししなければ気が済まないまで憎しみは募っていった。
タツジュンを守りたいなど建前に過ぎず、安定した生活を突如奪われた不自由の強制。愛羅の自己中心的な振る舞いへ天誅を下すのは、干支の最初に君臨した神に選ばれしネズミが相応しい。
それにしても愛羅という女は気色悪さが拭えない。舌足らずな鼻にかかる声で甘えたかと思えば、低く艶のない声でサディステックな言動を見せる。
ひとりの身体へふたりの人格が素早く入れ替わるような、一貫性がない掴みどころのなさが唾を飲み込めない程の恐怖心を僕へ与えた。
一方のタツジュンは目に見えて衰弱していく。
目が窪み、攻撃的で支離滅裂なことを言い出す。
だが、愛羅と会話するたびに愛羅へ心を委ねるような忠誠心に似た盲目な状態。
いつも愛羅を欲し、でも愛羅の拒否反応で落胆しては愛羅へ気に入られようとする態度が腹立だしい。
これを主従関係と指すのかもしれない。
