ももまろがイライラするとき
どうしても解せない。
わたしは比較的、決断が早く行動も早い。
考えながら動き回るなど、落ち着きがない。
低リスクほど早く、飲食店でのメニューは誰よりも早く決めて待っている。
しかし、高リスクになると脳内はシミュレーションを繰り返して決心が鈍くなる。
人はそれを優柔不断という。
世の中に出回る自己啓発は、ポンっと物事を決めるのが美徳であり、ポジティブと位置付けする。
ケースバイケースが吹き飛んで、失敗の種蒔きをしているのではないかと懸念する。
こんな雑に生きるわたしでさえ慎重になる。
決めかねていると重い、暗い、決断力がないと批難されてしまい萎縮する。
おまけに、浅慮なポジティブさんの
「失敗しちゃった。テヘペロ」の尻拭いをさせられると、被害者になったような気分が拭えない。
無責任な人の残骸を回収するお鉢を叩き割りたくなる。
「浅慮=ポジティブ」ってなんか軽やかでいい感じに聞こえ、熟慮がネガティブでズッシリ重いみたいなニュアンス、違和感ある。
慎重に考えることは深みや丁寧さの表れなのに、なんで「考えすぎ」ってdisられるの。
世の中の「サラッと決断=カッコいい」みたいな風潮、ちょっとせっかちだよ。
熟慮って、ちゃんと物事に向き合って、もっとリスペクトされていいのに、
なんかこの辺、ほんとモヤっとする。
「失敗しちゃった、テヘペロ」じゃ済まない場面、例えば、チーズバーガーかチキンタツタか選ぶみたいな軽い話なら取り返せる。
対人関係やコスト、責任が絡むと話は別。
別でしょう。
信頼関係なんて秒で崩れるのに、取り戻すのに時間かかるし、コストや時間は戻らない。
熟慮は取り返せないものを守る大事なプロセスだとしたら、なんでか考えすぎとか軽く見られる。
「浅慮=ポジティブ」「熟慮=ネガティブ」みたいな風潮とも絡むし、わたしのモヤモヤの核心はなんだろうな。
人なんて完全に合理的には決められないし、いろんなバイアスや感情、社会的圧力が重なる。
なのに「パッと決断=カッコいい」みたいな風潮。思い出したらイライラする。
人は複雑な状況で考えるのがめんどくさいから、経験則や直感へ頼るようになり、
チーズバーガーvsチキンタツタみたいな低リスクの選択だと、直感で「まぁこっちでいいか」で済む。これが「浅慮=ポジティブ」に繋がる理由の一つ。
速く決める=効率的、自信がある的なイメージが社会的に強化されてるんだよね。
一方、熟慮はエネルギー使うし時間かかる。
対人関係やコスト、信頼みたいな失敗の代償が大きい場面ではこっちが必須だろ。
でも熟慮って優柔不断とか考えすぎと誤解されるのよ。
なんでやねん!
社会がスピード至上主義だから?
現代は即レス文化など、ビジネスでのアジャイル推しとか、速さが美徳みたいになってる。
慎重な人は遅いとか重いのレッテル貼られる。
信頼は取り返せなし、時間は戻らないのは、
意思決定のリスク評価じゃね。
人は損失を避けたい気持ちが得たい欲より強いを持ってる……気がする。
だからさ、責任が重い場面。
例えば、対人関係、仕事のプロジェクト、金銭では、熟慮して失敗しない選択をしようとする。
理性的な行動だと自己弁護するぞ!
特に空気を読むやポッと決めて場を和ませるみたいな文化があると、熟慮して
「こっちのリスクが……」提案すると、
なんか真面目すぎ〜!重い〜!みたいに扱われて、これって集団の価値観や失敗を「まぁいっか」で流したいムードが影響しとるん?
「熟慮=プロフェッショナル」みたいな評価してくださいよ(笑)
わたしのイライラの核心はなんだ?
たぶん、熟慮の価値が過小評価されてるってとこなのかもしれない。
熟慮は不確実性を減らして、長期的な損失を防ぎたいから意図があるんだよ。
頭が悪いだけが理由じゃない。
なのに、世の中の速さ=正義や軽やかさ=カッコいいみたいなバイアスが、熟慮を重いやネガティブにしちゃってる。
信頼やコストみたいな取り返せないものを守ろうとする責任感ある人が、なんか損してる感じがする。不公平ですよね?
そう主張してもなぁ。どう向き会おうか。
そうだ!自分の熟慮を誇ろう。
熟慮してるわたしを考えすぎじゃなくて、ちゃんと向き合ってるって肯定しよう。
他人の物差しじゃない、わたしの物差しで。
状況で使い分けて、チキンタツタ選ぶみたいな低リスクな場面はスルッと、信頼や責任が絡む場面はガッツリ熟慮。
周りには、熟慮を重いと思われないよう、
「慎重に考えてこう思ったんだよね」
軽いノリでロジックを説明すると、受け入れられやすいかな? どうかな? どんな?
わたしの怒りから落とし込むまでなんだけど、
はちゃめちゃな理論でしたね。
