祖母の字に心を掴まれて
祖母の字は新体操のリボンが空へ舞うような、
雨降りあとに石垣から流れ出す水脈のような、書く漢字や言葉に合わせた喜怒哀楽があった。
それはもう、一画一画に祖母の息遣いが宿っている、美しいとしか漏れてこない書き慣れた人の書だった。
今でこそ近所の人はうちの母へ熨斗袋の表書きを頼むが、祖母が倒れるまでは、祖母に熨斗などを持ってくる人が絶えなかった。
祝儀袋、香典、お見舞いなど、十文字にも満たない字を書くために硯へ向かう祖母の目は、子どもがケーキを食べる目に似ていた。
「字を書くのが好き」と言っていた祖母は目からビームが飛んで、側から見ても「本当に好きなんだ」と思った。
祖母は書く字を選ばなかった。
いつも決まった食卓に台拭きを往復させて、石鹸で手を洗う。墨を磨る姿勢が伸びた。
「御祝」と書くときも「御香典」と書くときも、同じ熱で筆を走らせていた。そこに区別はなく、ただ「気持ちを誰かに届けたい」という一心があったのだと思う。
私は幼いながらに、その文字を受け取った近所の人まで想像した。祖母の字は、笑う人にも泣く人にも、そっと寄り添っているように見えた。誰かを想うとは、とても丁寧で離れていてもできるんだと学んだ。私へ永遠の贈り物。
料理や健康番組を観て、取るメモの字までが走り書きとは思えないエレガントさ。
母は祖母のメモを横に置き、手元にあるペンで練習する。
「母さんみたいな字が書きたい」
そんな日常を過ごした私に、くも膜下出血で口がきけない、満足に両指も動かせない祖母の姿は残酷で、ベッドの端で泣き声を殺した。
爛々と書道を嗜む祖母はいなくなった。
横たわる祖母は目を開けても、どこを見ているのか分からない。でも肌の色艶は健康な人と遜色ない。白くてふっくらした頬は、より悲壮感が漂っていた。
五本の指を揃えて、一心不乱に鼻へ通る管を抜こうとする。ゆっくり、ゆっくり、管を空振りしながら、でも取ろうとする。
あの指は筆を持ち、夜には万年筆を握ったのに、どこにも残像がない。
祖母の指が管を掴もうと宙を切るたび、かつての筆の動きが脳裏に浮かび、胸が圧迫されて涙が止まらない。あの指が二度と字を生まないなんて受け入れたくない。神は非情だと呼吸が苦しくなった。
「母さん……」母が管を抜こうする手を握り、
両手で包む。見舞いに行って、何度も何度も繰り返された景色。きっと母も私と同じ思いだったのかもしれない。
けして母は祖母を叱らなかった。
祖母は字が書けなかった。
けれど、母の手の中で震えていた祖母の指先は、私の中でまだ筆を持っている。
透明な管を抜くための指じゃない、だから。
筆を持っていることにする。
#一言で表せない感動
