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hidemaro2005
月光を見上げる虚無のうた
冬の夜空は、燦然と輝くふたご座流星群をじっくり眺める機会になると予定していた。
13日は23時に家を出たが、雨が降っていたためジムにいた。
深夜1時を過ぎ、雨雲が消えた空には煌々と輝く月が浮かんで、オリオン座が霞んで見えるほどの光だった。
明け方4時まで粘ってみたが、月光が強くて星が見えにくい。「今期は仕方ないね」と思いつつも、満足感に浸れていた。
好きな物事を前にすると心配事まで消えてしまう。
2年前の冬、あの時のLINEが最期になるとは思わなかった。
現在進行形で笑い合っている人が、明日はいなくなるなんて考えもしない。
医師から「今夜がヤマですね」と言われても、どんな重篤な人にも希望を託していた。
LINEの相手は元編集者で、
彼はお弟子さんに「本物は残る」と遺したそうだ。もうすぐ三回忌が来る。
「本物」とは何なのか、改めて考える。
絵画や音楽などの芸術は、ジャンルが異なれど価値や品質を持ったものが思い浮かぶ。時間を経ても耳目にした人に評価され、記憶に残るものだろう。
文学でも多くの偉大な作品や思想が時間を超えて評価され、質や独自性は長い間影響を与え続ける。本物を見極めるには、日々作品に触れていく必要がある。
では、『ももまろ』の本物は何だろう。
わたしが持つ本物とは何か?
本名として社会に存在するだけでなく、シスジェンダーのわたしとして、本物が自分にあるのだろうか。何が残るのか。
お墓と遺影、禅宗なので位牌ぐらいはあるが、あとは何も残らない、遺せない。
寿命まで生存した書類が役所に保管されるが、それを『本物が残る』とは言わないだろう。
夜空を見上げて月光が強く星が見えにくかったように、私はパッと生まれて静かに消えていく。
どの方向へ矢印を当てても、私は残らない。
