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「コーラスライン」はやはり名作!〜アダム・クーパーがクーパーが人間くさいザックを演じた

今さらだけど、ミュージカル「コーラスライン」は名作である。池袋・東京建物Brilliaホールを皮切りに上演が始まった日本公演、9月13日の夜公演を観て、改めてそう感じた。

実は、今回の日本公演が初めての舞台である。1985年公開の映画版、リチャード・アッテンボロー監督、演出家のザック役をマイケル・ダグラスが演じた。これに相当満足したことで、自分の中では達成されていた。観る機会は色々あったと思うが、他の作品を優先した。

その「コーラスライン」が日本にやって来た。2024年ロンドンのサドラー・ウェルズ劇場で上演された新演出版。ザック役がアダム・クーパー。アダム・クーパーは元ロイヤル・バレエのプリンシパル。私が渡英した翌年1997年に退団したので、ロイヤルで観る機会はなかった。

一方で、クーパーはマシュー・ボーンと共に創り上げた、男性ダンサーのみで演じる「白鳥の湖」で話題をさらっていた。私は、なんとなく食指が動かず、観に行かなかった。今では後悔である。クーパーは2000年の映画「リトル・ダンサー(原題:Billy Elliot)」の主人公ビリーの、成人時代を演じた。そんなアダム・クーパーを観るのも楽しみの一つだった。

オリジナルの原案・振付・監督はマイケル・ベネット。音楽の作曲は、エミー賞・グラミー賞・アカデミー賞・トニー賞(EGAT)全て獲得した上に、ピューリッツァー賞も受賞しているマーヴィン・ハムリッシュ。今回は演出にニコライ・フォスター、振付エレン・ケーンというプロダクションである。

ステージの内容・演出に多少触れると思うので、ご留意を。

演出家のザックは、ブロードウェイ・ミュージカルの“コーラス“のオーディションを行なっている。主役ではなく、その後ろで集団で歌い踊る出演者である。彼らは、ステージ上に引かれる“コーラス・ライン“より前に出ることはできない。そんなポジションであっても、ステージ・キャリアをなんとかして掴もうとする若者たちにとっては重要である。

「コーラスライン」が描くのは、こうした若者たちのひたむきな姿と苦悩である。さらに、彼らは出自もそれぞれ、多様なエスニック、しかし共通しているのはブロードウェイでいつかスターになりたいという希望である。

「コーラスライン」が初演されたのは1975年である。その頃には、“多様性〜ダイバーシティ“あるいは“LGBT“という言葉はなかったろう。本作は、そのテーマを既に含んでいる。

ザックの元ガールフレンドがキャシー。彼女は、一旦はスターへの足がかりをつかんだが、上手くいかず、“コーラス“からの再起をかける。彼女が象徴するのは“再生“である。

ザックは、ステージと観客席を頻繁に行き来する。観客は、背後にザックの存在を感じ、自身と演出家・人を選ぶ立場を共感する。本演出の、一つの特徴はザックの造形である。

ダンサーというのは、スポーツ選手同様、年齢・体力という問題に直面する。アダム・クーパー自身も、バレリーナから、ダンサー、さらに振付師や俳優と自身のフィールドを変化させている。そうした彼の経験と、ザックという役柄がシンクロする。ザックは、半数以上の若者を切り捨てざるを得ない重圧、元カノの処遇、さらには彼らの将来、さまざまなものを抱えながらオーディションを進行させる。

その苦悩は、フィナーレに入る前、彼がソロで踊る静かなダンスに象徴されているように感じる。

フィナーレで歌われる“ONE“は、ミュージカル史上に残る、素晴らしいナンバーだと思う。オーディションに生き残ったメンバーによる、歓喜のダンス“ONE“でステージは幕となる。

素晴らしい作品、音楽、キャストだった。

現実的なコメントで恐縮だが、中央ブロック前から9列目のベスト・ポジション、これで16500円は、ニューヨーク、ロンドンと比べると破格に割安である。

惜しむらくは、初めて行った東京建物Brilliaホール。ホワイエはおろかバー・スペースもない。マンションの会社が“ハレ“の場を作ると、こうなってしまうのか。。。。


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