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手の中の音楽38〜サザンオールスターズ「NUDE MAN」

今や“国民的バンド“となったサザンオールスターズが、メジャーデビューしたのは1978年6月。私が16歳の時。初めて見たのは、おそらく桂三枝(現・文枝)が司会の「ヤング・おー・おー」だったと思う。

桑田佳祐の歌う“勝手にシンドバッド“に衝撃を受けた。「なんやこれ?!」である。そして、“一発屋“が出てきたと思った。おそらく、当時の多くの人は、新手のコミックバンドのように考えたと思う。しかし、次のシングル“気分しないで責めないで“、そして“いとしのエリー“とヒットを飛ばし、当時誰もが見た「ザ・ベストテン」の常連となった。

私は洋楽に軸足を起いており、サザンは「ちょっとメジャーすぎるよな」という存在だった。常にそばにはいたが、いれこむほどではなかったのだ。

サザンは、下積み期間がほとんどなく、一気にスターになった。結果、マスコミ・メディアに翻弄され、1980年には休養期間に入る。スージー鈴木の著書「サザンオールスターズ 1978−1985」(新潮新書)の見出しを借用すると、“第3章 1980年ーサザンオールスターズ、迷う“、私が大学に入った年である。

1981年はアルバム「ステレオ太陽族」をリリース、翌年は“第5章 1982年ーサザンオールスターズ、開き直る“となり、章の出だしは

<「第2期黄金時代」あの賑やかなサザンが帰ってきた。82年の怒涛の活躍ぶり。>

1月にシングル“チャコの海岸物語“がオリコン2位、そして7月アルバム「NUDE MAN」を発表、こうしたサザンの勢いを感じたのだろうか、私は初めてサザンのアルバムを買うことになった。

私より5学年下のスージー鈴木は<我が青春の『NUDE MAN』>と評している。私にとっては“青春“という感じではないが、このアルバムは良く聴いたし、社会人になってカラオケに行くようになってからは(当時はカラオケBOXなどなく、大学生がカラオケを歌うなんてことはなかった)、収録曲の“匂艶THE NIGHT CLUB“を良く唄った。

1曲目の“DJ・コービーの伝説“は、小林克也トリビュート。ビリー・ジョエルの影響下にあるが、良い曲である。研ナオ子がカバーし、日本レコード大賞作曲賞を受賞する“夏をあきらめて““Oh!クラウディア““思い出のスターダスト“など、好きな曲が並んでいる。今聴いても、大学時代の生活とつながるような気がする。

1983年ドラマ「ふぞろいの林檎たち」が始まる。自分と同じ大学生が主人公、夢中になって観ていたが、同時に“いとしのエリー“、“Ya Ya(あの時代を忘れない)“が背景に流れる。サザンオールスターズが、“国民的バンド“へと進化する、最初のステップだったのではないだろうか。

スージー鈴木は、<1983年ーサザンオールスターズ、一皮むける>と表現しているが、アルバム「綺麗」を発表。

私の中でサザンは、「これは一度ライブを見ておかない」という存在となり、“SASたいした発表会・私は騙された!!ツアー‘83“のチケットを入手する。年が明けた1984年1月末からの日本武道館公演だった。このライブは、私とサザンの関係性を決定づけることになる。

明日に続く

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