きょうの電車の人@行き+帰り_260618
面識のない著名人の名前を呼ぶ時に敬称をつけるかどうか少し迷う。もう少し詳しく言うと、他の人がつけているのを見聞きするので、著名人は呼び捨て派の私もそうするべきなのか時々考える。なぜそんな疑問が浮かんだかというと、単に、初めて買ったアクスタのことを書きたかったからだ。
少し前から居間の座卓に、アイドルでもアニメキャラでもない、実在する女性のアクスタがある。誰のアクスタかというと、新潮社出版部執行役員・中瀬ゆかりさんのである。
彼女は平日夕方のバラエティー番組の木曜日コメンテーターで、自分と同じ関西出身の人で、本好き、何となく発言に好感が持てるので、感じの良い人だなと思いながら、毎週見ていた。ある時、彼女が小笠原流の行儀作法の師範に、小笠原流ではどんなふうに笑うのかと尋ねた時のエピソードを披露して、さらにその笑い方を実演してみせた。口を大きく開いて笑うのは下品だとされているそうで、などと説明しながら、閉じ気味に口をつぼめて、オッホッホッホッ、とやったのがおかしくて、からっとしたシンプルな明るい笑いがこみ上げてきて、そこから私の中で彼女の好感度が一気に上がった。
ある時、いつものように番組を見ていたら、近く開催されるブックイベントで、ラジオ番組の公開収録に彼女が登場する、それに合わせて、イベントの新潮社ブースで、彼女のアクスタ(限定100個だったと思う)を販売するという。欲しい。
私はそれまで一度もアクスタというものを買ったことがなかった。ここ数年で美術館のグッズ売り場などでよく見かけるようになったが、割と値が張る印象で、買おうとは思わなかったのだ。コロナ騒ぎの時のアクリル板の余りだか不要になっただかのものを材料に転用して作っているらしいという、真偽不明ながらまことしやかな噂があるとも、会社の知人から聞いた。なんだか験が悪いとまで言わずとも、良くはない。それなのに、彼女のアクスタが欲しいと思ったのだ。自分でも理由はわからない。
ブックイベントは金曜と土曜の2日間で、公開収録は土曜日だという。調べたらアクスタは初日の金曜日から販売するらしい。土曜日に行ったのでは、公開収録を見にきた彼女のファンがたくさんやって来て、アクスタが売り切れてしまうことを危惧した私は、休日は徒歩圏内より遠くには出かけない主義を翻して、あいにくの雨の中、彼女のアクスタ目掛けてイベント会場に出かけた。天気の悪い平日の午後、会場の屋外ブースは人もまばらで、店番のスタッフさんだけが、雨を避けてテントの内側で暇そうにしている。まっすぐに調べておいた新潮社のブースに向かって、長テーブルに並んだグッズの中からアクスタを探す。あった! 白いプラスチックのかごにぺたんとした状態のまま、箱入りの個装クッキーよろしくぎゅうぎゅうと詰め込まれていた。ミュージアムショップのグッズ売り場なら、見本に一つ組み立ててあるが、そういうディスプレイをする気はハナからないのがわかる。一応不具合がなさそうかさっと確認して、売り子のおじさんに差し出す。支払いを済ませて、紙袋に入った彼女のアクスタが無事私の鞄に収まった。売り子のおじさんは、ありがとうございました、としか口に出さなかったが、言外に視線と表情は言っていた、「この雨の中、平日の昼間にこれだけを買いに来たのか?」と。「そうですよ」と私も心の中で答えておいた。
このときの私の読みは当たっていたことが、翌週の番組を見てわかった。彼女が、イベントに来てくれた人へのお礼とともに、アクスタが売り切れで買えなかった人ごめんなさい、増産をかけたので、欲しい人はオンラインで買ってとのたまっていた。
その日の夜、風呂上がりに組み立てる、といってもペラッとしたアクリル板の彼女を、これまたペラッとした台座のアクリル板に差し込んで立てるだけだが。台座が猫の顔の形になっているのがご愛嬌だ。(人間の彼女が猫好きなのだろう) 以来、彼女は私が自宅での定位置にしている居間の座卓にいつも立っていて、食事をしたり、テレビを見たり、本を読んだりする私を見るともなく、開いた本を手に、上向きかげんに穏やかな表情を浮かべて、右斜め上の中空に視線を投げている。

おぉ、「氏」というのも良いかもしれない
さんづけする・しない問題に戻ろう。ゆかりさん?親分?(彼女のことをそう呼んでいる人が一定数はいる。気質と、ややふくよかな体型に合っているからだと思う)やはり、呼び捨ては違う気がする。呼び捨てとそうでない呼び方の違いは、何によって生じているのか。芸能人は全員呼び捨て、作家や画家なんかもそう、芥川龍之介やら森鴎外やら岸田劉生に、さんづけはしない。実際に本人と顔を合わせるかどうか、なら、彼女も呼び捨てのグループに入るはずだが、それは違う。親近感のある人か、でもそれだと、何の親近感も感じない会社の人もさんづけで呼んでいるので、合わない。
うーん、実際に顔を合わせる人+心理的に親近感のある相手(たとえ一方的でも)は「さん」づけ、くらいだろうか。あと相手の自分の間に時間的なへだたりが大きい人は呼び捨て、というのもありそうだ。卑弥呼さんとか、額田王さん、とは言わない。
特に実のない逡巡で終わってしまった。それに、さんづけはさんづけで、なんだか馴れ馴れしいようで、この文では結局ずっと「彼女」呼びになっている。ただ初めて買ったアクスタの話をしたかっただけのようだ。ちなみに、私が持っているアクスタは、今のところはこの彼女のだけである。
