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営業の死神 【創作大賞2025】【エンタメ原作部門】

#創作大賞2025 #エンタメ原作部門

あらすじ

平凡な社会人である山田信之は、ある日夜に死神に遭遇する。黒いスーツに身を包んだその男は「四宮」と名乗り、死神として「ラストプラン」の営業にきたと話す。最近、死神は人間の魂を回収するだけでなく、その人にとって最適な死の提案をしているらしい。
営業部の死神、法務部のエクソシスト、悪魔の詐欺師など、意外な一面を持った人物が登場します。あなたに最高の最後を。


俺は直感的に、あ、死ぬんだ、と思った。
日曜日、日付が変わる頃。布団に寝転びながら眠りたくなくてスマホを眺めていた頃。いつの間にか部屋は黒い煙で満たされていた。火事だ、危機感から体を起こした。そして薄暗いワンルームに誰かの気配を感じた。目を凝らすと黒煙に溶け込むような黒いスーツの男がこちらを見ていた。驚いて声を出す間もなく、男は足音も立てずこちらに近づく。長い腕を舞う様な動作で自身の胸元に寄せる。男は胸ポケットから何かを取り出し、それをこちらに突きつけてこう言った。

「山田様、初めまして。ワタクシ、死神の四宮と申します。本日はラストプランの営業に参りました」

目前に差し出された名刺には、デスプロポーザル 営業部 四宮 と書かれていた。こいつは何を言っているのだろう。

「どうも……」

会釈をしながら名刺を受け取る。仕事の癖だ、反射的に受け取ってしまった。

「立ち話もなんですので、こちらにおかけになって下さい」

そう言って床に置いてある座椅子へ着席を促される。

「いや、俺の家なんですけど」

ローテーブルを囲む形で俺は男と対面した。年齢は三十代後半くらいだろうか。髪はピシッと七三で分けられており、黒縁眼鏡の奥では糸のように細くなった目で笑っている。装いはサラリーマンといった感じだが、ネクタイが喪服用だ。あと床に置いた通勤鞄から黒い煙が出ている。そんな男が目の前で姿勢よく座っている。異常事態であるはずなのに気分はどこか落ち着いていた。

「今一度ご説明させていただきますね。本日は山田様のラストプランについて、こちらからご提案させていただきたく参りました」

「はい、ちょっと待った」

滑らかな語りを挙手で遮る。

「はい。何でございましょう」

「まず、誰なんですかあなたは」

「四宮です」

「いや、名前じゃなくて」

「死神です」

「死神かぁ、そっかぁ……黒いノートを渡したり、リンゴが好物だったりします?」

「漫画、お好きなんですね」

微笑まれてしまった。

「あと鞄のそれ、煙、何なんですか」

「ああ、こちらはアロマデフューザーです。我々の姿を見て驚いてしまわれるお客様も少なくありません。こうして精神が安定する香りをあらかじめ焚いておくのですよ。有害なものではないのでご安心を」

男はそう言いながら鞄から何かを取り出し机の上に置く。それは人間の頭骸骨だった。口から黒い何かを吐き出している。

「あ、なんかフリー素材みたい、フリー素材の死神のイラストみたい」

普段の俺なら後ろに飛び退いていたが、今は謎の例えをしてしまうぐらいには落ち着いていた。数秒間、頭蓋骨から黒い煙が流れ出ていくのを見ていた。へ〜面白いな、雲みたいだな。言われてみれば花のいい香りがするな。

「え、本当に死神なんですか」

「左様でございます」

「何のために来たんですか、ラストなんとかって」

「ラストプランでございます。まずはそちらのご説明から致しましょうか」

男は鞄からタブレット端末を取り出し、画面をこちらに向けて動画を再生した。軽快な音楽と共に「輪廻転生と死神の仕事」と書かれたテロップが浮かんだ。女性のナレーターが流暢に話し始める。動画の内容はこうだ。輪廻転生とは、人が何度も生死を繰り返し、新しい生命に生まれ変わること。死神は死者の魂を回収し天界に送り届けている。しかし、全ての死者の魂を回収できるわけではない。未練ある最後を迎えた者の魂は現世に残り続けてしまう。俗に言う幽霊のような存在だ。魂の数は有限であり、良い循環が求められている。このままでは輪廻転生に回す魂が減ってしまう。それはいけない、と神様が死神に新たな役割を与えた。その役割が未練の残らない死の提案、「ラストプラン」の提案だ。ここから女性ナレーターの声が急に陽気な調子になる。

「そこで、我が社デスプロポーザルがお客様に合った『ラストプラン』をご提供致します! 『最後の痛み軽減プラン』『ドラマチックな最後プラン』『即天界!時短プラン』様々なプランをご用意しております。さらに料金次第でオーダーメイドも可能! 貴方にぴったりの『最後』を探すお手伝いを致します!」

お客様にとって最高の最後を、と金色の文字で書かれたテロップを最後に動画は締めくくられた。

「ご理解いただけましたか?」

俺は輪廻転生とか死神とかは空想上の話だと思っていた。ただ、少しだけ本当だといいなとも思っていた。誰しも一度くらい死んだ後のことを考えるだろう。命が尽きた後、何もないのは怖い。無になる感覚を想像するとみぞおちのあたりがヒヤリとする。最後は無では無いとわかって少し安心した。

「はあ、まあ……え、じゃあ俺死ぬってことですか」

「左様でございます」

男はこちらを真っ直ぐ見つめ頷いた。そうか、とどこか納得してしまった。人ごとのような感じがする。これもアロマの効果なのだろうか。

「ワタクシ共の仕事は死の提案と魂の回収です。一週間後に死を迎えるお客様の元を訪れ、このようにラストプランのご提案をします。山田様の人生は一週間後に終わりを迎えます」

「俺はどんな死に方をするのでしょうか……」

「どんな最後なのかはワタクシ共も存じません。神のみが知っています。事故死、病死かもしれないし意図的なものかもしれない。お教えすることは不可能なんです」

「じゃあそのプランの意味ってあるんですか。死に方を決められるんですよね」

「少し勘違いをしていますね。ラストプランで死に方を決めることはできません。山田様の魂が肉体から抜け出すまでの時間、今際の際に山田様がどのように過ごすのかを選択できるプランです。そうですね、分かりやすいもので言いますとこちら」

男はそう言いながら机上にいくつかの紙を広げ、ある一枚を指差した。そこには「最後の痛み軽減プラン」と題してプランの詳細が書かれている。

「こちら人気のプランです。どんな死因であろうが痛みは伴うものです。このプランは痛みを軽減し、お客様を安らかな眠りに導きます」

「例えば、俺が交通事故にあって死んだ時はこのプランに入っていた方が痛く無いってことですか」

「死因に関わらず、通常時と比べて七割程度の痛みを軽減します。持病持ちの方にも人気な商品ですね」

「じゃあこっち、『ドラマチックな最後プラン』は?」

「こちらはフィクションのようなかっこいい、美しい最後を体験できるプランです。死因との兼ね合いもありますので、あまり具体的なオーダーは受け付けておりません。しかしお客様の生活圏内で可能な限りの派手な最後をご提供いたします」

「本能寺に火を放って『是非に及ばず』って言うことができるんですか?」

「山田様の生活圏内に本能寺があればですが」

「じゃあ『即天界!時短プラン』は?」

「こちらは走馬灯のスキップができます」

「そんなYouTubeプレミアムみたいな」

「ご理解いただけましたか? 我が社が提案する『ラストプラン』は具体的な死に方を決めるものではありません。ワタクシ共はお客様が『この最後でよかった』と少しでも思えるよう、プランに則ってサポート致します」

「目玉焼きを食べることには代わりはないけど、醤油か塩かケチャップかは選べる、みたいなことでしょうか」

「独特な感性でございますね。そうですね、味付けが変わると言う意味では近いのかと」

俺は机に視線を落とす。携帯の料金プランのチラシのように色とりどりな紙が並べられている。シリアスな内容にそぐわないポップな字体で各プランのおすすめポイントが書かれている。料金の欄を見ると、「Tポイント」と見慣れた文字が表記されている。

「あの、料金のところなんですけど、支払いってTポイントなんですか。俺カード持ってないし、そもそもTポイントってもう終了したんじゃ」

「ああ『Tポイント』は『徳ポイント』のことでございます。そちらのご説明も致しましょうか」

「『徳ポイント』……なんですかそれ」

「徳を積む、簡単に言えば『良い行いをする』ことです。『Tポイント』は今世でお客様が行なった善行を、質と回数に基づいてポイントに置き換えたものです。ワタクシ共はお客様のポイントに見合ったプランを紹介しております」

「徳って実態があるんですね……」

「大昔はありませんでしたよ。死神がこの仕事を始めた際に作られたものです。徳の使い所はここしかありませんので全て使い切ることをお勧めしています」

「これ、徳が少ない人はどうなるんですか」

「ろくな死に方をなさらないでしょうね」

笑顔で怖いことを言わないでほしい。

「ちなみに……俺のポイントはいくつあるんですか」

「少々お待ちください。ただいまお見せ致します」

そう言ってタブレット端末を引き寄せ、新しくファイルを開いてこちらに見せた。

「山田様が所有するTポイントは一六八八ポイントですね。年齢に見合った平均的なポイント数かと」

画面に映された資料には俺の生い立ちが事細かに書かれていた山田信之、二十六歳男性、現在は会社員。俺しか知り得ないことも書かれていて、目の前の男が人間を超越した存在であることを信じるしかなかった。

「山田様のポイント数でしたら基本プランは全てお選びいただけます。只今、端数のポイントでオプションをつけられるキャンペーンも開催しております。二十代のお客様にお勧めしているオプションは走馬灯にお好きな音楽をつけられるものでして、こちら……山田様? どうされました」

「あの、俺は本当に一週間間で死んでしまうんですか。今から一週間後って来週の日曜ですよね。なんとか寿命を伸ばすことはできませんか、一日でいいんです、一日だけで」

男は悲しそうな表情を浮かべてこう言った。

「命の終わりは等しく決まっています。ワタクシ共死神は、死を見届けることしかできないのです。そして寿命を減らしたり増やしたりすることは天界では禁止されています」

「そうですか……」

「明日以降、寿命を迎えるまで毎日ワタクシ共はお客様のもとに伺います。山田様の最後を決める大切なプランです。悔いのない選択をしてください」

「こんなこと考えながら一週間過ごすのか。いっその事会社を休もうかな、あはは……」

「あ、それはご心配なく。今日お話しした内容は一度全て忘れて頂きます。死神の存在、自身の寿命について考えていては日常生活に支障をきたします。思い出すのは再び死神が訪れた時と今際の際です」

そう話しながら男は机上の書類やら頭蓋骨やらをテキパキと鞄にしまい始める。

「では、今晩はこれで失礼させて頂きます。また後日伺いますのでよろしくお願い致します」

男は立ち上がり、長身の体を折り曲げ綺麗な一礼をした。黒い霧が濃くなり、男の体を包んでいく。強烈な眠気に襲われて俺は意識を手放した。

スマホのアラームがうるさい。机に突っ伏して寝ていたようだ。騒音を止めようと画面を見ると五時半の文字が強烈な光を放っていた。体も目も耳も痛い、今日が始まってしまった。だるい体を無理やり動かして朝の支度を始める。意思とは反対にスムーズにこなされる洗顔、歯磨き、着替え、朝食。よくこんなに眠い頭でこなせるものだ。自身が動いているのではなく、ロボットを操作しているような気持ちだ。気がつくと最寄りの駅に着いていた。五月にしてはきつい日差しを浴びて少し汗ばんでいた。快速急行と共にホームに風が吹き抜け涼しい。あたりを見渡す。どこか遠くを見つめた面々が列を成し電車を待っていた。俺もその仲間に加わる。各駅停車に乗り込む、今日は運よく座れた。数分の安らかな時間、心地よいうたた寝。このまま乗っていたらどこに着くんだろうか。いつまでも寝ていたいが目的地の駅名アナウンスで現実に引き戻される。電車を降りる、階段を登る、改札を出る、階段を登る。気がつくと職場に着いていた。社員は数名、徹夜組だろう。時刻は六時四十五分、いつもの時間だ。俺は勤怠を切らずに自身の席につきパソコンを立ち上げた。そこからはただ無感情に時が過ぎるのを待つ。八時に上司が来て朝礼が始まる。今日も無駄に暑苦しい社訓を読み上げ、こなせるはずのないノルマを課される。会社名を聞いただけで拒否される外回り、怒鳴られるだけの成果報告、永遠に終わらない資料作成。

「お前の代わりはいくらでもいる」

「お前がいてもいなくても変わらない」

怒鳴り、叩かれる。とっくに慣れてしまった罵詈雑言と暴力。時計の針が回って、回って、日はとっくに沈んでいた。

「お疲れ様です」

返事はなく、短い舌打ちを背に俺は会社を出た。息の詰まるような空間からの解放、時刻は二十時になろうとしている。あの店に寄って帰ろう。駅とは反対方向に数分、繁華街のビルとビルの隙間にその小さな店はある。ここは夜間に営業している弁当屋「あのね亭」。店頭のショーケースには日替わりの弁当や色とりどりの惣菜達が並んでいる。

「あ! 山田さん。今日もお勤めご苦労です。今アジフライが揚がりましたよ」

暖色の光に照らされて微笑む彼女に釣られて俺は今日初めて笑った。ここでは楽に息ができる。彼女は川村つむぎさん、ここの従業員だ。彼女が笑うと目元のほくろが上に動く。それを目にする度に彼女と初めて会話した時のことを思い出す。入社して数ヶ月の頃、パワハラに耐えきれず勤務中に職場を飛び出したことがある。当てもなくこの繁華街まで歩いて。ちょうどこの店の前で立ち止まった。まだ店は準備中だったが、店内から道に流れる料理の暖かな匂いがした。気がついたら静かに涙が流れていた。大人の男が、情けないことに泣いていた。後ろから声をかけられた、川村さんだった。自分の職場の前で泣く、見ず知らずの男に

「とりあえず座ってください」

と店先のベンチを勧めてくれた。やるせなさや恥ずかしさで、その時何を話したのかはっきりと覚えていない。ただ川村さんが自分のほくろについて話していたことは覚えている。

「泣きぼくろ、私のチャームポイントなんです。でも普通の泣きぼくろじゃないんですよ、これは嬉しくて泣いた時の涙なの」

何だか素敵な考え方だと思った。温かい気持ちだけが残っている。会社のことは大嫌いだけど、この店を知れたことだけが唯一の報いだ。俺はほぼ毎日この店に通っている。この時間に帰ったって自炊をする気力など残っていない。晩御飯にここの弁当を食べることが一日のうちで一瞬の楽しみだ。

「じゃあアジフライ弁当を。あと大根きんぴら一パックで」

「は〜い! ちょっと待っててくださいね〜」

そう言いながら彼女は奥の厨房に入っていく。一つに結んだしなやかな黒髪が振り子のような軌跡で揺れた。

「お、山田じゃね。うぃお疲れ〜」

急に肩をこづかれた。振り返るとホストの凌牙が真っ白なスーツ姿で立っていた。

「え、なにその格好。結婚式でもあったのか」

「太客のリクエストだよ。んじゃなきゃこんな堅苦しい格好しねぇって」

「うん、全然似合ってない」

「うっせぇな」

デュクシ、と言いながら脇にパンチをされた。相変わらず店は繁盛している。見ればわかるが客の大半は夜の職業の人間だ。サラリーマンと比べ、煌びやかな毎日を送る彼らも、ここに来ると素の自分を取り戻すのだろう。

「山田さんお待たせしました〜はい、どうぞ! アジフライ熱々だから別の紙袋に入れてます。凌牙さんこんばんは、何にしますか〜?」

彼女は茶色のビニール袋を手渡しながらレジ打ちと接客を笑顔で行う。惚れ惚れする仕事ぶりだ。その横顔に思わず見とれていたようで、彼女から声をかけられるまでぼんやりしていた。

「山田さん! 大丈夫ですか? ポイントカードあります? スタンプ押しますよ」

「ああ! すみません、あります、出します、すみません」

「お疲れですね、まだ月曜日なのに。また上司の方にきついこと言われたんですか? あんまり我慢したら体を壊しちゃいますよ」

「山田、そういう奴はなあ殴っちまえばいいんだよ。どっちが上かわからせてやんねぇと」

「大丈夫ですよ、慣れているので」

自分でも分かるくらい今の笑顔は力なかったと思う。

「こら、凌牙さん! 暴力はダメですよ。いつもの唐揚げ弁当ご飯大盛りでいいですか」

「それで頼むわ、つむちゃんサンキュ〜」

ポイントカードを受け取り、暖かい袋を持って店を後にする。後ろから川村さんの明るい声が響いた。

「山田さん! 来週ですね、映画のレイトショー、とっても楽しみです。私もそれまでお仕事頑張りますね〜!」

急な呼びかけに心臓がどきりとした。凌牙がヒュ〜と囃し立てているのが聞こえる。咄嗟のことで俺はぎこちない会釈を返し逃げるように駅に向かった。あっという間に家に着いた。嬉しさや恥ずかしさで放心状態だったようだ。手を洗い、弁当ときんぴらを机に並べる。割り箸が変な形に割れたが気にしない。俺は来週の月曜日、仕事終わりに川村さんと映画を観にいく。この出来事は俺の人生の中で一大事だった。大学を卒業し地元を離れ、人間関係が希薄なこの土地で、最初に親しくなったのが川村さんだった。彼女とは歳も近い、そして同じ漫画が好きだった。今度見にいく映画はその漫画の実写化だ。とても楽しみだ。俺は彼女の明るさに惹かれていた。彼女とより親密になれるのは素直に嬉しかった。けれど反対に俺でいいのだろうか、どうして俺なんかにという気持ちにもなる。彼女はあの街の人気者だ。彼女の振る舞いを見ていたら嫌でもわかる。容姿も普通、仕事はダメ、長所もこれと言ってない平々凡々な俺に彼女は釣り合わない。学生の時はこんなに捻くれた考え方はしなかった。やっぱりあの最悪な会社で心が擦れてしまったのだろう。俺の代わりはいくらでもいる、俺はいてもいなくても何も変わらない。喜びに比例して不安がむくむくと自身の内側に湧きあがる。良くない思考に入ってしまった。駄目だ、飲もう、忘れよう。彼女は俺を選んでくれた、そう思いたい。そんなチャンスを逃すわけには行けない。純粋に楽しもう。彼女だってそれを望んでいるはずだ。そうだ、楽しむんだ。彼女の前では自然体でいいんだ。飲んで気分転換しよう。冷蔵庫にビールを取りに行こうと立ち上がったところで周囲が黒い煙に包まれていることに気がついた。

「こんばんは、山田様。四宮でございます。本日も営業に参りました」

「あ……どうも」

一瞬で思い出した。ああそうだ、俺はもうすぐ死ぬのだと。

アジフライ弁当を食べ終え、きんぴらとビールを交互に口にする。この至福の時に俺は自分の死について考えている。昨晩と同じように四宮は俺の目の前に座り話し始めた。

「お勤めご苦労様でございます。昨晩はプランの概要しかご説明できませんでしたので、今回はより詳しく山田様のご希望をお聞きして見合ったプランをご提案致します」

希望か。

「他の人はどんなプランを選んでいるんですか」

「昨晩お伝えした三つのプランが人気プランとなっております。『最後の痛み軽減プラン』『ドラマチックな最後プラン』『即天界!時短プラン』でございます」

「一番人気はどれなんですか」

「年代、性別にもよりますが、全体的に見て人気なのは『最後の痛み軽減プラン』ですね」

「そうなんですね、じゃあ俺もそれで」

きんぴらを口に運びながら顔を上げずに答える。

「他にもプランはございますよ。カタログをご用意致しますので眺めてみてはどうですか」

「いいです、その人気のプランでお願いします」

ビールの缶を仰ぐ。あ、もう飲み切ってしまった。

「まだお日にちもございます、そう急いで決めなくとも」

「いや大丈夫! ほんと大丈夫です! それで、そのプランでいいです」

自分でも驚くほどの大声だった。隣人が部屋の壁をゴン、と叩いた。

「何だっていいです。どうせ来週の月曜日は来ない。映画には行けない。だったら、どうでもいいです」

そうだ、どうでもいい。何を選んだって変わらない。彼女とは会えない。

「何で日曜なんですか、あと一日、たった一日ですよ」

あの作品の実写化を彼女と見に行くはずだった。いつもの帰り道を横に逸れて、二人で映画館に向かう。道中、何を話そうか。ポップコーンの香ばしい香り、幾何学的な模様が書かれた絨毯の床、今やってるアニメ映画のキャラパネル。入場開始のアナウンス、暗くなるシアター。彼女が隣にいるだけで、いつもは背景だったそんな景色一つひとつでさえ思い出に残る、はずだった。そこに俺がいるはずだった。

「何でこう、全部うまくいかないかなぁ……」

視界が滲む、絞り出すように声を出した。子供のように駄々をこねている自覚はある。無理なものは無理。分かってはいるつもりだった。でも受け入れ難かった。

「すみません、ちょっともう今日は帰ってください。もう、なんかどうでも良くて」

四宮は黙って立ち上がった。去り際にこう声をかけて煙の奥に消えた。

「山田様、貴方の人生は貴方しか歩めません。貴方の代わりはいないのです。どうか投げやりにならないでください。貴方自身の最後、悔いのないように見つめ直してください」

次の日もまたその次の日も四宮は家に来た。俺は突き返してやろうと思った。しかし昨日かけられた言葉が胸に引っかかっていた。俺の人生において俺の代わりはいない、俺の最後は俺にしか決められない。別に俺は自分の人生を悲観していない。報いが欲しいとも思っていない。ただ、「まあまあ頑張ったよな」と自分を認めてやりたかった。

四宮に勧められるとおり、俺はラストプランのカタログを見た。そこには数え切れないほどのプランが載っていた。

「故人の数だけラストプランがございます。皆様、理想の最後を無意識下で思い描いているものです」

具体的なものから抽象的なものまで、知らない人達のラストプランが記されていた。家族に看取られたい、思い出の場所で眠りたい、なんか明るい感じで終わりたい、何だそれ。

「昨日の俺みたいにプランを適当に選んだり、そもそも拒否する人はいるんですか」

「そうですね、とてもデリケートなお話なので拒絶される方もいます。そういった方にはお客様の情報をもとにこちらでプランを適応させていただいています。ただ、ワタクシ共と致しましては、お客様自身で選んで頂きたいものですね。満足度はそちらの方が高い傾向にあります」

「ふ〜ん、自分で選んだ方が何だかお得ですよね」

「そうでございますね」

四宮は目を弧にして笑った。結局俺は最初に宣言した通り『最後の痛み軽減プラン』を選んだ。今回は適当に選んではいない、いろんなプランから吟味して選んだ。端数のポイントでオプションもつけた。これもおすすめ通り、走馬灯に好きな曲をつけることにした。川村さんと見に行くはずだった映画の主題歌にした。

「川村様との映画の件は大変残念でございます。ワタクシ共が何もできないのが悔しい限りです」

四宮は眉を下げ、悲痛な表情浮かべた。俺より悲しそうなので少し笑えてきた。

「四宮さんが悲しまないでくださいよ。多分、大丈夫です。最後にこの曲を聴いておきたいなって。当日、死んだあと、もし俺が未練たらたらでその場から動かなかったら、無理やり天界まで連れて行ってください。引きずってでもいいんで」

「かしこまりました。丁重に引きずってお連れいたします」

最初は死神なんて得体が知れなくて怖かった。しかし今はもう怖くない。四宮の仕事への熱心な気持ち、客に寄り添った声掛けで俺は少しずつ心を許していた。というかこの人も働いているんだよな、同じ営業部として同情の気持ちもあった。まあ、信頼のおける人だろう、人じゃ無いけれど。そんな具合に俺のラストプランはまとまった。今日は金曜日、俺の余命はあと二日だ。

「それでは山田様、今晩は失礼させていただきます。明日、明後日も程よい時間に参ります。いつでもプランは変更可能ですのでご安心くださいね」

黒い煙が部屋を満たす。人生最後の土日、楽しく過ごせるといいな。そう思いながら俺は死の記憶を手放した。

今日は土曜日、社会人にとって最高の曜日。早起きする必要もない、夜更かしだって出来てしまう。日曜日は月曜日の憂鬱があるから、俺は土曜日の方が好きだ。けれど、来週に限って月曜日の憂鬱は全くないと言える。月曜日は川村さんと映画に行く日だ。今の時点でソワソワしている。映画が終わったあと、どこかで食事でもしたい。レイトショーが終わるのは二十二時、この時間に開いている店は居酒屋くらいだ。少しでもいい店を探しておきたい。明日、映画館周辺を出歩いて探してみよう。そんなことを考えていると時刻は十九時ごろ、玄関からノック音が聞こえた。

「すみません、山田様のお宅でしょうか。私デスプロポーザルの六浦です」

デスプロポーザル? 物騒な会社名だ。ドアスコープを覗き込むと、黒いスーツを着た小柄な女性が立っていた。扉を開く、知らない人だ。肩につかないボブヘアの彼女は、何と切り出したら良いか迷っているようでもじもじとしていた。

「営業部の六浦です。ええと、今名刺を……わあ! すみません!」

慌てて取り出そうとした名刺は玄関先に派手に散らばった。この慌てよう、自身の新人の頃を見ているようだ。拾うのを手伝おうと名刺に触れる。

「あ」

そっか、俺は明日死ぬんだった、やっぱり毎回悲しくなる。あれ、じゃあこの人も死神なのか。少し違和感を感じたが、それは死神の名にそぐわない初々しい様子からだろうと思った。

「四宮さんの会社の方ですか」

俺はそう尋ねると彼女は何度も頷いた。

「はい! そうです。四宮さんの後輩に当たります! 六浦です。今日はえっっと、四宮の代理でお伺いしました」

渡された名刺には、デスプロポーザル 営業部 六浦 と書かれていた。

彼女を家へあげる、ぎこちない所作で床に座り鞄から書類を出しながら話し始める。

「今日は、ラストプランの最終確認に参りました。山田様のご希望のプランは、えっとあれ、どこに」

「俺は『最後の痛み軽減プラン』にしました。あの、落ち着いてください。俺も営業部なんですけど、その一生懸命さは伝わっているので、まずは落ち着いて」

そう声をかけると彼女は目に涙を溜めて声を振るわせた。

「ありがとうございます……私いつもヘマしちゃって、上手くいかなくて。優しいですね、山田さん」

彼女と目が合う。一瞬、目眩がした。

「大丈夫ですか、山田さん」

「ああ、大丈夫。ええと、最終確認っていうのは」

「こちらの書類にサインをいただきたくて」

そう言いながら彼女はいくつかの書類を机上に並べる。それはとても小さな文字がびっしりと書かれた書類だった。

「うわ、すごいな。少し読むのに時間取ってもいいですか」

「はい。お待ちします」

書類を睨んで解読していく。お互いに沈黙が続く、しばらくして彼女が口を開く。

「山田さん、『最後の痛み軽減プラン』にされたんですね」

「え、はい。よく考えたんですけど、結局痛くないのが一番かなって」

「でも、本当にそのプランでいいんですか」

「はい、大丈夫ですけど」

俺は書類を読みながら答える。

「川村さんと映画、行きたいんですよね。寿命を伸ばすプラン、ありますよ」

俺は勢いよく書類から顔を上げた。

「え、寿命を伸ばす……でも四宮さんは寿命を伸ばすことはできないって」

「それは、あの人が嘘をついているだけですよ。数が限られたプランだから、気に入ったお客さんにしか紹介していないんです。意地悪ですよね、あの人。お客さん第一って顔して、本当は自分勝手ですもん」

本当にそうなのだろうか。そんな勝手なことを、彼はするだろうか。いつの間にか六浦さんは俺の隣に座り、耳元でこう囁いた。

「私は教えてあげますよ、山田さんに本当のこと」

横に目をやると、彼女は幼さにそぐわない艶っぽい笑みを浮かべていた。

「本当、ですか」

「本当ですよ。私が嘘つきに見えますか?」

彼女の目を見つめる。潤む黒い瞳に吸い寄せられる感覚があった。

「今からでも遅くありません。ラストプラン、変更しませんか」

寿命を延ばせる……一日だけでいい、もし寿命を伸ばすことができたら、川村さんと映画に行ける。

「そうです。川村さんと映画に行けます。山田さんも本当はそれを望んでいるでしょ」

映画を一緒にみる、隣の席で川村さんが笑ったり泣いたりしている。

「二人が好きな作品なんですよね、そんなの絶対に楽しい。そして好きな人が隣にいる、これほど嬉しいことがありますか」

そうだ、楽しい、絶対に楽しい。そのあと一緒にご飯を食べて、たわいのない話をして、幸せな気持ちで彼女を見送る。それで俺の人生は終わる。

「そう、あなたは幸せなまま死ぬことができるんです。我慢したくないですよね?」

「はい、俺は……」

「じゃあ、こっちにサインを」

彼女は新しい紙を一枚取り出し俺の前に差し出す。言われるがままに俺の手はペンを握り、山田信之と名前を書いた。

「ふふ、ふふふふ、あははははは」

何かがおかしいと気がついたのは彼女が怪しげな笑い声を響かせてからだった。彼女の姿が一変した。頭からは二本のツノが生え、背中にはコウモリのような羽が生えていた。

「ほーんと、どーてーって騙しやすくて助かるわぁ」

「え、六浦さん」

「は〜い契約完了、山田信之、お前の魂は天界には行けない。もう人間に生まれ変わることはできないのさ」

サインした紙が怪しげに光だす。紙から飛び出た一本の光線が俺の胸あたりを貫く、痛くはない。シャツの中を除くと、胸元には焼けこげた跡でばつ印が刻まれていた。

「そのマークは契約完了のサイン。魂は僕の所有物になった。お前の寿命が尽きたあと、その魂でどう遊んでやろうかなぁ」

六浦さんの顔は笑いで歪んでいた。悪魔だ。俺は悪魔に魂を奪われてしまったらしい。彼女は何かを察知したようで、

「あれ、勘づかれたか。会社員は伝達がお早いことで。撤退撤退〜じゃあなクソ雑魚!」

思いっきり中指を立てそう言い捨てると、青い炎に包まれて消えた。それとほぼ同時に部屋が黒い煙で包まれ、四宮が慌ててこちらに駆け寄ってきた。

「山田様! ご無事ですか……遅かったようですね」

「あの、これ俺、大丈夫なんでしょうか」

急な出来事に感情が追いついていない。思わずヘラッと笑って尋ねた。四宮は無言でしゃがみ込み、真剣に俺の胸元を見つめている。

「あまりいい状況とは言えません」

「俺、死にますか?」

「いいえ、山田様は死んでも尚、終わりのない苦痛を与え続けられるでしょう。悪魔は魂を対価に人間と契約を結ぶことはご存知でしょうか」

「まあ、何となくは」

と言ってもあれはフィクションの中の話だと思っていた。

「結論、悪魔と契約を結んだ人間の最後は不幸になります。死んだ契約者の魂は悪魔の手に渡り、彼らが飽きるまでおもちゃにされます。悪魔は人間の負の感情をエネルギーとしている、人間が苦しむ様を愉悦としています」

そう話しながら四宮は拳を固く握りしめていた。

「山田様、悪魔は何と名乗っていましたか」

「六浦って言っていました、デスプロポーザルの社員だって」

「これか」

四宮は机上の名刺を睨んでいる。彼が名刺に触れると、石を投げ込まれた水面のように文字が揺らめき、「六浦」の「六」が「四」が変わった。

「この名刺は我が社の社員『四浦』の名刺です。細工をしていたようですね」

「以前お話ししましたね。お客様の死についての記憶、死神についての記憶は日常では一時的に忘れ、再び思い出すのはワタクシ共が訪れた時と今際の際だと。しかしそれらの記憶は死神の持ち物に触れても思い出すことができるようです」

あの時の違和感の正体はこれだ。俺はいつも、四宮の姿を認知した瞬間に死の記憶を取り戻す。しかし六浦さんではそれがなかった。俺は六浦さんが落とした名刺を拾った。その名刺は死神四浦の持ち物だったのだ。四宮は鞄から黒いスマホを取り出した。

「専門家に頼りましょう。我が社の法務部に所属するエクソシストを呼びます」

二十分ほどして玄関のチャイムが鳴る。

「到着したようですね」

四宮の仕事仲間、法務部かつエクソシスト、一体どんな人が。俺は恐る恐る扉を開ける。予想を裏切るその姿に俺は目を見張った。そこには一人の女子高校生が立っていた。制服の上から黒いカーディガンをダボっと着こなしている。髪には小さなキラキラしたピンがいくつも付いていて派手だ。頭の横についていると思った二つのリボンは髪を結んだものだった。器用だ。彼女が法務部のエクソシスト?

「山田様、彼女が我が社の法務部に所属する清水聖来さんです」

「セイラで〜す、エクソシストやっています。やまぴ、ヨロシク」

「やまぴ⁉︎」

「山田様の愛称ですよ」

「しのぴ真面目に解説しすぎ。てか何の用」

「例の悪魔が出ました」

「マジか、あの詐欺の」

「左様です。食い止められず申し訳ありません」

「詐欺?」

「やまぴ鈍感すぎ、あいつは詐欺師なの。悪魔が死神を語る詐欺被害が増えてんだよね。『俺は死神だ、お前の寿命は残り僅か、死ぬ前に特別に望みを叶えてやる』って言って適当な契約結ばせんの」

「人間の死への焦燥感につけ込んだ悪徳なやり方です」

「とりま、何があったのか詳しく教えて」

俺は六浦さんが訪ねてきてからのことを話した。

「しのぴ、今までのとちょっと違うかも。なんかレベルアップしてんだよね」

「詐欺の仕組みが高度化していると」

「悪魔が死神の仕事に詳しくなってる。ターゲットを実際に寿命が迫る人間にしているし、ラストプランやお客さんの死の記憶についても知ってるっぽい」

「悪魔に情報を流している死神がいると」

「そうかもね」

「先日、社員の四浦の私物が何者かに奪われた事件がありました」

「じゃあ奪ったそいつがほぼ黒、会社に連絡して早く見つけてもらお。営業中の社員に伝えたほうがいいね、新しい被害者が出るかもしれんし」

「わかりました。早急に注意喚起を行います」

「あの、これからどうしましょう」

どんどん話が進んでいく。俺は居た堪れなくなって声を上げた。

「悪魔に契約を破棄させましょう。申し訳ございませんが山田様もご一緒していただきます。契約を結んだ本人がその場にいる必要があるのです」

「夜勤手当ヨロシクね〜」

そうして俺の魂を取り戻すため、悪魔の捜索が始まった。タイムリミットは俺の寿命が尽きるまで。もう一日を切った。

アパートを出ると聖来さんは近くのコインパーキングに向かった。そこには黒塗りのリムジンが姿勢良く止められていた。彼女が車に近づくとドアが自然と開く。四宮も彼女に続いて乗り込むので俺は車外で慌てていた。中から

「やまぴ何してんの、早く乗って」

と聖来さんに急かされた。車内は高級ホテルのラウンジを思わせるかのような、ゆったりとした空間が広がっていた。皮と木を使った装飾が洗練された雰囲気を醸し出している。聖来さんに促されて横掛けのソファに座る、ふかふかだ。聞いたことあるようなないようなクラシックが流れている。

「あの、聖来さんって何者なんですか」

「清水家はエクソシストの家系なんよ。アタシ十三代目。そうだよね、おじいちゃん」

彼女は運転席に声をかける。綺麗な白髪の後頭部が頷き、静かにアクセルを踏んだ。

「聖来さんも四宮さんみたいな超人的な存在なんでしょうか」

「彼女は正真正銘の人間ですよ」

「そ、しょーしんしょーめいのJK」

彼女はそう言いながら気だるげに爪をいじっている。

「近年、悪魔の行いが我が社で問題視されています。そこで清水家には協力していただいております」

「しのぴ、時間感覚バグってる。近年って言っても明治からでしょ。百年以上前じゃん」

「そうですね、失礼致しました」

「そんなに長い間、悪魔の問題は解決されていないんですか」

「アイツら狡猾だかんね〜」

「時代によって手を替え品を替え、人間を不幸に突き落とすのが悪魔なのです」

「俺の魂、返してもらえるんでしょうか……」

「お客様の最後を見届けることがワタクシの仕事です。山田様の魂は絶対に取り返します」

「やまぴ安心して、四宮さんもアタシも強いから。悪魔をやっつけるのがアタシの仕事」

二人はとても真剣な表情で答えた。おお……心強い。

「どうやって悪魔を見つけるんですか」

「悪魔は人の欲に敏感な生き物です。欲を持った人間ほど取り入り易い。多くの欲望が渦巻く場所に悪魔は近づきます」

窓の外には徐々に灯りが増えていく。そこは職場近くの繁華街だった。夜が深まるにつれ、一段と活気が増していく眠らない街。リムジンは路地裏の狭いパーキングに長い車体を収めた。

「聖来」

運転席から落ち着いた声が聞こえた。シワの多い大きな手が聖来さんにスクールバックを持たせる。

「ん、ありがと。おじいちゃん」

「二人も、お気をつけて」

そう見送る主の顔ははっきりと見えなかった。少し湿ったアスファルトを踏む、路地の突き当たりから眩暈がするほどの光が溢れていた。俺たちは光の中に入っていく。キャッチの呼びかけ、通行客の会話、店先で流れる音楽が混じり合う。道の左右では、色形、大小様々な看板が休むことなく点滅を続けている。この止まらない街で、一人の悪魔を見つけ出せるのだろうか。

「おじいちゃんがここに降ろしてくれたってことは、結構近くにいるよ、悪魔」

「おじいさんは悪魔の気配がわかるんですか」

「らしいよ。アタシはもう少し近づかないと気づけない。とりま、ここら辺を歩こ」

今なら待たずに入れるとか、初回無料とか声をかけられそうになるが、四宮の異様な雰囲気を察知してキャッチは視線を外していく。面白い。足止めを喰らうことなく大通りに出た。信号が青になり、人々は一斉に交差点を渡る。顔も名前も知らない様々な人とすれ違う中で、知っている目を見つけた。底の見えない、暗い海のような黒く湿潤な瞳。またあの時と同じように視界が歪む。

「今、あいつが」

振り返ると二人はいなかった。あいつが目の前を通り過ぎ、後ろの人混みに流れていく。俺は追いかけた。その後ろ姿は時々陽炎のようにゆらめいて見失いそうになる。交差点を渡り終え、左右に店が並ぶ通りに入る。見失った。どこだ、いない、どこかの店に入ったのか。道の中央で立ち止まり、息を整える。頭が痛くなるような甘ったるい香りがした。波打つ黒髪が俺の横を通り過ぎる。その横顔に俺は嫌というほど見覚えがあった。川村さんだった。彼女は中年の小太りな男と腕を組み、あの暖かな笑顔を振りまいていた。周囲の騒音が消えた。そうか、全部俺の願望だったんだ。

「や〜まだっ! また会ったな」

後ろから肩を組まれる、あいつだ。見た目は小柄な女性から青年へ変化していた。俺と同じくらいの身長だ。

「あれ、もしかしてだけど、川村つむぎがお弁当屋で働くただのいい子ちゃんだと思った? ないない。つまんない夢見てんじゃねぇよ」

首が動かない、瞬きができない。中年の男は彼女の腰に手をゆっくりと回す。彼女ははにかみ、細い腰を少し揺らした。俺はそれをただ見ている。

「お前の人生、本当クソだなぁ。なぁ〜んにもいいことが無い」

視界が赤く点滅する、壊れた楽器みたいな不快な声が耳に流れ込む。

「こんな人生、早く終わったほうがマシだよな」

そうかもしれない。ポンっと肩を軽く押される。

「早く、僕に魂を渡せ」

一歩、一歩俺の足は前へ動き始める。

「山田様! 気を確かに。幻覚でございます」

四宮の焦った声が聞こえた。体の緊張が解ける、瞬きをすると景色が変わった。俺がいるのは廃ビルの薄暗い一室だった。目の前には扉が全開の窓、目下には繁華街の明かりが広がっている。

「うお、危な!」

間一髪のところで俺の足は歩みを止めた。

「来たかぁ会社の番犬。足だけは早いよな」

四宮が部屋の外に立っている。彼は怒りを押し殺した冷たい声を悪魔に投げかける。

「悪魔、貴様の行いは許されないことです。どうして彼に執着する」

「どうしてって……都合がいいんだよ。死ぬ間際の人間と契約を結ぶのは都合がいい。魂はすぐ手に入るし、何より人間は焦っている、簡単に契約が結べてしまう」

「最後の忠告です。魂を返却し、即刻彼から手を引きなさい。山田様はワタクシ共の大切なお客様です」

「嫌だね。絶望のどん底に落ちてから死んだ魂は格別に美味しい」

そう言いながら悪魔は右手を高く上げる。手のひらには青色の炎がゆらめき、その腕をこちらに振り下ろすと、何十倍にも膨らんだ炎が俺の前に一瞬で広がる。その熱気は俺の目と鼻の先で遮断された。いつの間にか四宮が俺の前に立っている。手には自身の身長ほどある巨大な白い鎌を持っていた。よく見るとその武器は、いくつもの名刺が折り重なり、鎌の形をなしている。

「は、炎を斬ったか。ただの紙切れじゃなさそうだ」

「ええ、社会人の武器です」

長い腕で鎌を振り下ろすと、何枚もの名刺が空気を切り裂く速さで悪魔に向かい飛んでいく。悪魔は両手を前に掲げ、青い炎を盾のように広げた。名刺が金属音を立て、炎に弾かれる。瞬きの後、四宮の姿を見失う。どこだ、そして見つけた。四宮は一瞬で悪魔の後ろに回り込み、悪魔の首を目掛けて鎌を再び振るっていた。

「はは、速い」

悪魔の姿が陽炎のように揺らめく。鎌は空を斬る。悪魔は別の場所に移動していた。

「お荷物を守りながらの戦い、いつまで続くかなぁ!」

そこからは目で追うのがやっとな、高速のぶつかり合い。悪魔は四宮の隙をつき、俺に炎を仕向けてくる。その度に白い鎌が伸び、炎を真っ二つに斬りさく。攻守ともに拮抗していた。二人は間合いを図りながら踊るように足を動かす。

「お前は俺にとどめを刺すことはできない。死神じゃ悪魔は倒せない」

「そうですね、しかし足止めには十分でしょう」

そう言い終わるのと同時に扉を吹き飛ばす白色の光線、後に続く轟音。建物が軋み天井から粉が落ちる。その光は悪魔の右肩を抉って直進した。部屋の外に目をやると聖来さんが金属製の分厚いロザリオを掲げて立っていた。

「ナイス! しのぴ」

彼女を目にした悪魔はその顔に初めて焦りを浮かべた。

「おいおいおい‼︎ なんで清水家のエクソシストがここにいる!」

悪魔は右肩を押さえ、がなりを効かせた声でそう叫ぶ。

「社会貢献ってやつ。ラブアンドピース」

聖来さんは片手をだらっと前に突き出してピースサインをした。

「くそっ、ここじゃ分が悪い」

悪魔は窓に向かって走り出し、勢いよく街へ飛び降りた。

「しのぴ! あいつ外に出るよ!」

「山田様、行きますよ」

四宮は俺を小脇に軽く抱えると、何の躊躇もなく窓の外へ飛び降りた。

「って待った! ここ何階だよ⁉︎」

全身が空中に放り出される。非難しようと四宮を見上げると、片手に広げた折り畳み傘を持っていた。傘は下からの風を受け止め、俺たちは安全に着地した。どっと冷や汗をかいた、手足が震えている。

「……死んだかと思った」

「それは困ります」

そう言いながらゆっくりと地面に立たされた。丁寧なのか乱暴なのか分からない扱いだ。降り立ったそこは交差点に面した比較的幅の広い歩道だった。大通りの向こう、ビルの壁の巨大な画面に時計のアニメーションが映り、今日の終わりを知らせている。突然上から降ってきた俺たちを怪しむ人はいない。見えないふりをしているようにみんな通り過ぎていく。死神の能力なのだろうか。

「悪魔はどこに」

「あ、あそこに!」

そいつは交差点の真ん中にいた、正確には浮いていた。羽や角を隠すことをやめたその姿はおぞましいオーラを放っていた。悪魔の姿を人々は認知していないようで、人の波が悪魔の足元で流れていく。彼は何かを小声でぶつぶつと唱えている。片手を高く上げると、空気が、地面がドクンと波打った。瞬間、世界から色が抜け落ち、人々の動きが止まる。頭上の月だけが、変わらず白い光を零している。

「あ〜あ、めんどくさい。死神、お前のせいだからな。お前がすぐに引かなかったから、僕の娯楽の邪魔をしたから、今から大勢の人間が死ぬ!」

そう言い放つと、周囲の人々が苦しそうにうめき始める。

「僕たち悪魔は人の欲を増幅させることができる。欲求のままに動き続けた人間の最後は破滅だ」

ここでも、向こうでも殴り合いが始まる、意味を持たない罵倒が飛び交う。この街は一夜で地獄と化した。

「四宮さん、かなりやばい状況なのでは……」

「大丈夫ですよ、山田様。こちらにはエクソシストがついています」

彼は涼しげな顔をしてスマホを取り出し、どこかに電話をかけている。

「人の不幸は蜜の味だ。苦痛に歪むその表情と言ったら……あは、愛おしいだろう、美味しいだろう?」

口角と目尻が繋がるほど、顔を歪めて悪魔は笑う。

「蜜の味? はぁ? ……ガチ萎えるわ。甘いもん食べたきゃ、スイパラ、いけし!」

追いついた聖来さんが、息を切らしながら怒りあらわにする。呼吸を整えながら彼女はカーディガンの袖を捲った。

「ちょっと本気出すわ。しのぴ、これ終わったらゴンチャ奢りね」

「はい。ご一緒致します」

聖来さんは肩からかけたスクールバックから革張りの本を取り出す。

「チャームによる行動のコントロール、一方的な契約の締結、生者に自殺を仄めかす。お前さ、やばいことやってんだよ」

彼女の細い指が表紙の装飾をなぞる。本は光り輝き、ページが勝手にめくれる。

「コンプラ守りな」

彼女は何かを唱え始めた。本から彼女の足元へ、足元から地面全体へと白い光が広がっていく。光に包まれた人々は徐々に正気を取り戻していく。悪魔は光に怯えているようで、ギョッとした表情を浮かべた。

「こいつらがやっている事はこいつらの意志だ! 僕はあくまで背中を押しただけ、望みを叶えただけなんだよ!」

荒ぶる悪魔が腕を振る。その動きに合わせてカラーコーンや立て看板が詠唱中の聖来さんを目掛けて飛んでくる。危ない、と俺が声を出す前に、障害物は空中で粉々に斬り刻まれていた。

「聖来様、効いています。そのままお願いします」

四宮が既に鎌を振るっていたようだ。その声をよく聞くと

「天地友好条約 第十五条 死神付きの人間を誘惑することなかれ。悪魔は死期一週間を切った人間との直接契約を禁ずる」

といった難しそうな文言が聞き取れた。彼女が言葉を口にするたび、白い光は広がって行く。悪魔はあからさまに追い詰められている。

「第三十六条 悪徳な契約締結を認めず。両者の合意の上で契約を結ぶこと」

「第三十八条 許可のない大規模な欲の増幅を禁ずる」

「第六十五条 意図的に死期を早める事なかれ。自然の摂理に従うこと」

「煩い! やめろ! 今すぐその口を閉じろ!」

白い光はついに悪魔を囲んだ。彼はその場から動けないようでただひたすら、やめろと喚いている。周囲の人々はすっかり正気を取り戻したようで、先ほどまでの自身の行動を不思議がっている。四宮に連れられるまま、俺は動けなくなった悪魔の元へ近づく。四宮がうずくまる悪魔に声をかける。

「貴方の横暴、しっかりと上に報告させて頂きました。物証もございます」

四宮は鞄から数枚の紙を取り出した。それは、俺が六浦さんに渡された文字が非常に小さい書類だった。

「これ、天界に保管されている禁書の一部ですよね。なぜ貴方がこれを持っているのかは知りませんが、こんな強大な力を持った品物を人間に渡すなんて、上でも下でも御法度ですよ」

「その紙、凄いものなんですか」

「これを読んだ人間は正常な判断ができなくなり、洗脳を受けやすくなります。山田様が悪魔とうかうかと契約を結んでしまったのもこの紙の影響が大きいですね」

「うかうかって、それはそうですけど、仕方なくないですか!」

噛み付く俺を四宮は手で制した。彼のスマホに着信があったらしい。

「はい、はい……そうですか。彼の処遇はそちらにお任せします。はい、よろしくお願い致します」

四宮は電話を切り、悪魔の頭に声をかける。

「貴方のお仲間が捕まりました。死神と手を組んだのは賢かったですね。ワタクシ共は一層気を引き締めなければ……さあ、もう逃げ場はありません」

四宮は片膝をついてしゃがみ込み、悪魔に目線を合わせた。

「山田様の魂、ご返却いただけますか?」

その顔には完璧な営業スマイルが張り付いていた。怖い、この人。悪魔は大量の汗を顔中に浮かべ白目をむき、力無くその場に倒れた。

胸元に違和感があった。服の上から覗き込むと、あの時のばつ印が消えていた。俺の魂が戻ってきた。

「マ〜ジ〜で疲れた! あいつこんな人混みで暴れるとか、常識なさすぎ」

「お疲れ様です、聖来様」

どこかやつれた聖来さんがこちらに駆け寄ってくる。

「やまぴ、魂返ってきたっぽいね」

「見たらわかるんですか」

「なんとなく。さっきは体の中心に穴が空いてたけど、今は埋まってるし」

「やっぱり聖来さんは普通の女子高校生じゃないですよ、凄い力を持ってる」

「ちょっと法と悪魔に詳しいだけ〜」

「お二人とも、本当にありがとうございました」

俺は深々と頭を下げた。

「山田様、顔をあげてください。今回の騒動、ワタクシ共の至らなさが招いた節もございます。誠に申し訳ございませんでした」

「でもなんか楽しかったです。あ、不謹慎ですかね。死ぬかもしれないって何度も思ったけど、その分、今生きている実感が湧いたんです。命懸けで俺の魂を取り返してくれて、ありがとうございました!」

「ワタクシは当然の仕事をしただけです」

「そ、お仕事だから」

そう話す二人はどこか誇らしげな様子だった。

「この伸びてる悪魔は一旦うちで回収しとく。おじいちゃんに頼んでおくね」

聖来さんはスマホを高速でタップし、メッセージを送信した。一秒もせず、「了解」と話す可愛らしいキャラクターのスタンプが送られてきた。お爺さん、センスが若いな。

「今日はもう解散だよね。しのぴ〜ゴ〜ンチャ、ゴ〜ンチャ」

聖来さんはよく分からない舞を踊りながら四宮の周りをまわっている。年相応の反応に思わず心が和んだ。今は日曜日の朝五時頃、ビルの向こうの空が白んできている。

「まだ開店していないと思われます。お昼頃に呼び出していただければご一緒致します」

「え〜今飲みたいんだが〜しょうがないかぁ、じゃあアタシ一旦帰るわ。あ、やまぴも一緒に飲み行く?」

「俺は寄りたいところあるから、遠慮しときます」

「そ。じゃあまたね〜」

学生服の後ろ姿が人混みの中に消えていった。またね、と言っても俺は今日中に死ぬらしいけど。

「では山田様、ワタクシも失礼致します」

「あ、はい」

もう見慣れた黒い煙に包まれ、四宮は姿を消した。


気がつくと俺は明け方の繁華街に一人で立っていた。まだ太陽に暖められていない風が少し肌寒い。どうして? ポケットのスマホを探す。画面には日曜日と表示されていた。昨日の夜からの記憶が曖昧だ。昨日は家で過ごしていた、と思う。映画の後に寄る良い店を探そうとして、それから……どうしたんだっけ。酒を大量に飲んだわけでもないのに記憶がぽっかり抜け落ちている。何かを忘れているような。ぐぅ、と間抜けに腹の虫が鳴いた。真剣に考えるのがバカらしくなった。とりあえず朝マックでも食べに行くか。俺は交差点の向こうに見える赤と黄色の特徴的なロゴを目指す。さすが眠らない街、明け方でも様々な人とすれ違う。千鳥足のサラリーマン、スケートボードを抱える外国人、鼻歌を歌う交通整備のおじさん、フリルに身を包み厚底ブーツで走る女の子、派手なハイヒールで闊歩する年齢不詳の女、いや男か? 本当にいろんな人がいる。顔も名前も声も何にも知らない人たち。一人ひとりが俺の知らないところで勝手に生きていて、俺の知らない人生を勝手に歩んでいる。みんな自分勝手に、がむしゃらに、一時停止のない道を歩んでいる。その道は近づいたり、交わることがあっても、同じ道の上を誰かと一緒に歩くことはできない。あなたの道はあなたしか歩けないし、俺のもそうだ。人は一人で歩く。でも、心が辛くなった時、あなたに寄り道をして少し元気をもらう、それでまた歩き出す。この先に何かあると信じて、足が止まるまで進み続ける。人生ってそんな感じなのかもしれない。珍しく詩的なことを考えてしまうのは、きっと心地の良い空腹感と澄んだ水の中にいるようなこの気温のせいだ。気分は悪くない。

交差点を渡り切る、駅前の広場についた。人混み、最初は路上ライブでもしているのかと思ったが、その喧騒はよくないものだと気がついた。人混みの中心で一人の男が刃物を持ち、意味をなさない言葉を喚いていた。男から一定の距離を保ちつつ、人々は大きな輪を作って男を眺めている。男を宥めようとする人、好奇心で動画を撮る人、恐怖で目が離せない人。警察を呼んだほうがいいだろうか、誰かがもう、そんな考えが浮かんだのと同時に男が奇声をあげ走り出した。人の輪は蜘蛛の子を散らすように崩壊した。刃物男の進路の先に一人の女の子が歩いていた。高校生くらいだろうか、事の異常さに気がつき、その表情は青ざめていく。女の子は恐怖で動きを止めていた。先に体が動いた、後にあの子を助けなければと思った。地面を蹴る、腕で空気をかき分ける、悲鳴にも似た雄叫びが喉から出ていく。男の前に飛び出し、間に合ったと思った時には腹部に違和感を覚えた。下を向くと刃物が刺さっている、こんなに真っ直ぐ刺さるのかと他人事のように関心した。周囲で絹を裂くような悲鳴が上がり、ようやく痛みを自覚した。痛いというか熱い、刺されたあたりがどくどくと脈打っている。目の前の男は興奮していて、俺を刺したこの瞬間もすぐに走り出そうとしていた。女の子は後ろで地面に座り込んでいる。男を止めないと危ない。俺は突進してくる男と取っ組み合う。正面の男は泣いているような、怒っているような顔をしている。何かがこの人の中で溢れてしまった、限界を迎えてしまったんだろうと冷静に思った。傷口はあまり痛まない、思考が澄んでいる。俺はこいつを止める。火事場の馬鹿力なのだろうか、自分より一回り大きい男をなんとか食い止めている。実際は数秒のことだろう、しかし永遠にも感じる時間が過ぎ、男は駆けつけた警察に取り押さえられた。ついに足に力が入らなくなりしゃがむ、前屈みになり刃物が動く、痛い、やっぱり痛い。そのまま横になる、アスファルトの凹凸が頬を擦った。

「おい、山田じゃねぇか⁉︎ おい、大丈夫かよ、血が……ヤベェって……お前、救急呼べ! 早く!」

凌牙の声だ、先の尖った靴が目の前に見えた。ホストは休みの日も夜勤で大変だなと思う。

「お兄さん、ねぇ! 大丈夫?」

上から女の子の声が聞こえる。こちらを覗きこむその顔にどこか見覚えがあった。しなやかな黒髪、面長で色白の肌、小さな鼻、横に長い目尻、目元のほくろ。ああ、川村さんか。どうしてこんなところに。

「あ、川村さん。映画……明日ですね」

いい居酒屋を、探そうと思っていたんですけど。

「ねぇ、しっかりして! もうすぐで救急車来るから、ねぇお兄さん!」

惜しかったなぁ、一緒に行きたかった。でも、川村さんが無事なら、良かった。

「俺、今まであんまりいいことなくて、人生最悪だなって、思ったこともあるけど」

頭が重い、視界が揺らぐ、俺は何を話しているんだろう。

「全部に、自信がなかったけど、川村さんと会えて、これでいいんだ、って思えたんです、俺は俺でいいんだって」

そうだ、俺はこれでいい。

「もしかしてお姉ちゃんの友達? お兄さん、起きて、ねぇ!」

世界から音が遠のいていく。頭から足先にかけて涼しい風が吹きぬける。体が宙に浮かぶ感覚、俺が横たわっているのが見える。ドローンの空撮のように、視点はそのまま上に移動していく。地面が、人が、建物が俺の足元にどんどん落ちていく、朝日が足元から登ってくる。聞き覚えのある特徴的なギターの音色がした、あの映画の主題歌だ。上から下へ、俺のつまらない人生が流れていく。そっか、もうエンディングだ。振り返ると四宮がいつもの黒いスーツ姿で立っていた。

「山田様、あなたの人生の最後はどうでしたか」

「どうって……そりゃ最高!」

今の俺は心の底から笑えていたと思う。


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