「仕事」と「稼ぎ」の二種類のしごと。農村の当たり前が、人生の後半戦に教えてくれたこと
バイヤー時代、わたくしの会社では、年に数回、全国各地で「生産者会議」が開催されていました。取引先の農家が集まり、有機農業技術の勉強会や販売方針の共有などのほか、毎回社長からありがたいお話がありました。
だいたい移動中の飛行機の中で考えてるとか言ってたし、わりと「どうでもいい内容」が多かったのですがひとつだけ。今でも心に残っている話があります。
わたくしたちの考える「仕事」
わたくしたちは日々どこかで働き、お給料や報酬として労働の対価を得て、そのお金で暮らしを成り立たせています。
この額が大きいとか小さいとか、その暮らしぶりによって裕福だったり貧乏だったりするわけですが、基本的な構造は変わりません。
働く→報酬を得る→使う・貯蓄する です。
わたくしたちが普通に考える「仕事」とは「報酬を得るための労働」です。
とある生産者会議のあいさつで、社長が次のような話をするまで、わたくしはそれがあたりまえだと思っていました。
「稼ぎ」と「仕事」という農村の哲学
「農村の働き方には『稼ぎ』と『仕事』の二種類がある。
「稼ぎ」は自分の作物を売って日々の暮らしのための現金収入を得ることで、食べていくために必要な仕事。
「仕事」は里山の下草刈りや水の管理など、地域や子どもたちのために行う仕事。これによって地域の環境やコミュニティが健全に保たれ、次世代に引き継ぐことができる。
農村の人々はこれを意識せずに行っているが、どちらかがひとつ欠けると農村は立ち行かなくなる」
わたくしにとって「稼ぎ」はすぐに理解できました。しかしコミュニティの「仕事」とは? それ何? って感じです。わたくしの心はざわつき、“自分にとっての真の仕事とは何か”を初めて真剣に考えました。
移住トラブルの原因?「仕事」がボランティアである意味
わたくしは産地周りでしょっちゅう農家のところに行ってたので、農家のおじさま方が、さまざまな作業をとくに切り分けることなく実践している様子をよく見ていました。
午前中に収穫作業をし、午後は用水路の掃除とか祭りの準備とか。収穫と地域行事を同時に行っていて、確かに「仕事」と「稼ぎ」は日常生活に混在していました。
共同体として機能していくための作業は基本的にボランティアで、各人が応分に働いています。やらない人がいると調子というか「和」が乱れ、トラブルが起きる。という話もよく聞きました。
昨今よく聞く都市生活者の移住トラブルの原因の根っこは、この「仕事と稼ぎ」の理解度の差、温度差によるのではないかと思います。
わたくしが農村に行くのは自分の稼ぎのためでしたが、当時は自分の仕事(稼ぎ)によって地域で有機農業を営む人々の輪が広がり、売上が増えることで、結果として地域に貢献することができるのではと考えていました。
さらに自分が得意とする文章で、農家の方々の思いや実績を都市生活者・消費者に伝える、つまり媒介者(ミディアム)として機能することも、その一助になるのでは。そう考え、ようやく気持ちが落ち着きました。
わたくしはこのとき初めて自分が「媒介者=ミディアム」になることを決意し、少し安心したのです。都市生活者でも地域に関わることができる。できるはずだと。
人生の折り返し地点で考える。これからの「仕事」と「媒介者」としての役割
現在のわたくしは、有機農業との関わりがほぼなくなり「稼ぎ」のみに邁進しています。今の仕事(稼ぎ)も少しだけ住んでいる地域に貢献していますが、以前のわたくしにはくらぶべくもありません。
すでに人生は折り返し地点を過ぎ、かなり後半戦になってきました。
これからのわたくしがすべき「仕事」はなんだろう? 今得意としていることは? 以前と変わらずわたくしが得意なのは「平易な言葉でなにかを伝えること」だけです。
もしかしたらわたくしに残された仕事は、文章を書き、真実を平易な言葉で媒介することかもしれません。そして、それがいつかそれが誰かの役に立ち、地域や次世代の仕事につながるのかもしれません。
これから何をしていくべきか。少しずつ考えていこうと思っています。
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