暮らしの探究|ありのまま美しく暮らす
前回の投稿で「私、UI/UXデザイナーです」と自己紹介をしたばかりですが、6月に総合コンサルティングファームに転職しました。これからはUI/UXデザイナーではなく、コンサルタントとして勤めてまいります。
今までよりも大きな規模感で、社会や企業の課題解決ができるようになるために。デザインを軸にしたコンサルタントになりたいと思っています。仕事が本格的に始まる前に、2026年6月時点の、今の心情を書き留めておこうと思いました。
まだ落ち着いている状況で思うことは、「ありのまま美しく暮らす」という自分の価値観を大事に暮らしていきたいということです。
大事な価値観 「ありのまま美しく暮らす」
どういうことかというと、
「あらゆることに良し悪しはなく、全て素晴らしい。それを前提に暮らすこと。他人軸ではなく自分軸で生きてみる。大きな自然の流れの中で暮らしていることを実感しながら、暮らしてみる」
この価値観になってから、目的・目標ばかりをみるのではなく、「今」をみるようになりました。

学生時代は何もないと思っていた地元も、豊かな自然があるんだと感動する。
水田に反射する夕焼けのオレンジが綺麗だな。 子どもが元気に走ってて尊いな。
目の前の事象が有り難く思えて、幸福度が上がっていく感じがしたんです。2年前あたりからこの価値観で暮らしはじめて、生き急ぐことをやめ、心が穏やかになりました。
なぜこの価値観になったのか。 民藝とは
これは、民藝の思想に大きく影響を受けています。民藝については、私もまだ勉強中なのですが、知れば知るほど「あ、私が大事にしたかったのは、これだ」と思える考え方なんです。
民藝は、今からちょうど100年ほど前、柳宗悦という人たちが始めた運動です。「民衆的工芸」を縮めて「民藝」。
すごくざっくり言うと、〈名もなき職人が、暮らしのためにつくった、ふつうの道具〉の中にこそ、本当の美しさがある、という考え方です。
それまで「美しいもの」といえば、有名な作家の作品や、美術館に飾られる立派なものでした。でも柳さんは、そうじゃない、と言いました。誰がつくったかもわからない、毎日使われる茶碗やお皿や布。そういう、暮らしに溶け込んだ無名のものこそ美しい、と。
私が一番共感したのは、柳さんが「美しい・美しくない」という区別そのものを超えようとしていたところです。
本当に美しいものの前では、「良い・悪い」「美しい・醜い」というジャッジが、すっと消えてしまう。ジャッジしている時点で、まだ何かと比べている。比べることをやめたところに、ただ「ある」ことの尊さが立ち上がる。
もうひとつ、好きな感覚があります。
立派なものをつくろう、自分の名前を残そう、と力んでつくったものより、自然の流れに身をゆだねて、無心でつくられたもののほうが美しい、という考え方です。自分の力で何とかしようとするより、もっと大きなものに任せてしまう。
夕焼けも、子どもが走るのも、誰かが力んで起こしていることじゃありません。ただ、大きな流れの中で起きている。それを「綺麗だな」「尊いな」と思える自分でいたい。
民藝の思想は、私にそういう目線をくれました。
これから
この価値観になってから、よくも悪くも、目標を軽視するようになってしまいました(笑)。だって、「今が最高」になってしまったから。幸せ者です。
ただ、目標を立てること、目的意識を持って動くことは、悪とは全く思っていません。むしろ、あらゆる事象を高みに持っていくための素敵な考え方だと思います。ただ、そればかりになってしまうと、常に理想と現状を比較することを余儀なくされて、辛いんです。
だから、目標と「今」を、バランスよく行ったり来たりするのが、いちばん心地よいのではないか。そんな仮説を立てています。
これから私は、目的至上主義のど真ん中の業界に、両足を突っ込むことになります。それでも、「今も最高」と思いながら暮らしていきたい。
現在は、そう思っています。

