中国語教室に台湾からのお客さんがやって来た
台湾から二人のお客さんを迎えるその日は、ちょうど中国語教室の時間と重なっていた。せっかくだからと思い、私は彼女たちに受講者たちとの交流をお願いした。
突然内容が変わり、受講者たちは少し緊張した様子だった。私はこう言った。
「今日は私が“会話警察”です。お互いに通じているかどうかだけ確認します。通訳はしません。」
名前の“解読”
交流は、お客さんの名前を“耳だけ”で聞き取ることから始まった。受講者たちが正しく発音を復唱できて初めて、私は黒板にピンインを書いた。

お客さんが言った。
「私は詩雯(シーウェン)です。“詩歌”の“詩”です。」
しかし皆はきょとんとしている。続けて「唐詩三百首」と説明しても、まだ通じない。普段彼らが接している言葉では、それは「漢詩」と呼ばれていたのだ。
ようやく一人が、
「“漢詩”の“詩”ですか?」
と聞き、謎が解けた。
もう一人のお客さんは言った。
「私は丁嶺(ディンリン)です。『甲乙丙丁』の“丁”です。」
私は黒板に「甲乙丙丁」と書き、ようやく皆が理解した。
次は「嶺」。
お客さんは、
「左が“山”、右が“命令”の“令”です」と説明した。
(注**【嶺】の中国語は【岭】となっている)
受講者たちは「山」は分かったが、「命令」が聞き取れない。普段の生活表現としてあまり接していない単語だからか、身ぶり手ぶりを交えた説明でもなかなか伝わらない。
私が日本語で「めいれい」を口にすると、ある人はようやく、
「山嶺の“嶺”ですか?」
と反応した。
後日、お客さんは街中で「令和」の文字を見て、この場面を思い出したという。
「あの時、“令和”の“令”って言えば、すぐ伝わったかもね。」
けれど、中国語教室で日本の元号が出てくることは、ほとんどない。
発音の泥沼
次は受講者の自己紹介。
長谷川という名字の方が、「長」を説明しようとして、
「長江の“長”です」
と言った。
しかし発音がうまく伝わらず、お客さんの耳には「藏奖」だか「枪酱」だかのように聞こえていたらしい。彼は舌も唇もこわばるほど必死に発音しているのに、お客さんは困った顔で、
「江戸川ですか?」
と首をかしげる。
最後は他の受講者が助け舟を出した。
「長短の“長”、山谷の“谷”です。」
そこでようやく、お客さんは「長谷川」だと理解した。本人はほっとしたように、大きく息を吐いた。
私はさらに、
「稲谷(稻谷)の“谷”」
と補足した。「谷」は日本語の「穀」なので、「稲谷」は、皆さんには初めて知った単語だった。

別の初心者は、自分の名字「山根」を説明するために、「山脈」の“山”と「樹根」の“根”を使った。
しかし声調がずれていて、皆の顔には「???」が浮かぶ。何度繰り返しても通じず、最後は日本語で説明するしかなかった。
するとほかの受講者が助けるように言った。
「富士山の“山”です。」
お客さんは一瞬で理解した。
もし「樹根」の後に「草根」と続けられたら、もっと伝わったかもしれない。だが、初心者にとって、とっさに別の表現へ言い換えるのは簡単ではない。
教室は次第に“言葉のなぞなぞ大会”のようになっていった。誰かが詰まると、皆で推測し、補い合う。
「ん?」
「もう一回!」
「なるほど、その字だったのか!」
そんな声と笑いが、教室に何度も広がった。
28年間続けた中国語とAI
クラスで最年長の受講者は、中国語を28年間学び続けている。その日、彼女は自分で書いた文章を持ってきた。
彼女は一段落ずつ丁寧に朗読した。発音がかなり正確だったため、お客さんは聞き終えると、
「あなたの中国語、本当に素晴らしいですね。」
と感心していた。
授業後、皆でその文章を回し読みし、「すごい作文」と羨ましがった。
すると彼女は笑いながら、
「AIに整えてもらったんです。」
と説明した。
AIを借りることで、自分が本当に伝えたいことを、より正確な形で表現できるようになったのだ。

うちわの上の会話
最後に、お客さんたちは十数本のうちわを取り出した。
以前、日本人と交流した時、言葉が通じず、うなずいたりほほ笑んだりするだけで、気まずい空気になることが多かったという。
うちわの片面には、すでに中国語が書かれていた。
「会えてうれしいです」
「たくさん食べてください」
「石川はとてもきれい」
受講者たちの役目は、その反対側に対応する日本語を書くことだった。

教室の緊張した空気は、少しずつ和らいでいった。
皆、うちわの中国語をじっと見つめながら、どんな日本語がふさわしいかを考えている。

やがて、お客さんたちは日本語が書かれたうちわを手に取り、学生たちと“会話”を始めた。
うちわは、もう一つの交流の道具になっていた。

いちばん簡単な字
最後に記念撮影をした時、「石川」と書かれたうちわを掲げている人がいた。
だが、少し前まで受講者たちは、お客さんが翌日に行く場所が「石川」だと理解するのに、かなり時間がかかっていた。
理由は簡単だった。
「石頭(石)」の“石”が聞き取れなかったのだ。
お客さんにとって、「石」はこれ以上ないほど簡単な漢字だった。けれど中国語教材には、天気、買い物、病院の会話はあっても、「石」が出てくることはほとんどない。

この交流を通して、受講者たちは日常語彙の不足や、正しい発音の大切さを実感した。
そして台湾のお客さんたちもまた次のことに気づいたという。
母語話者の「言葉の常識」と、外国人の「教科書の知識」が出会う時、いちばん簡単な字ほど、どう説明すれば伝わるのか分からなくなることがあるのだと。
本文の中国語バージョン
