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手のひらの図像学.13 神代文字のおふだ.2

湯沢市柳田 八幡神社


柳田八幡神社のおふだ


 湯沢市柳田の八幡神社境内の町内会館でお話をさせていただいた際に、このおふだをいただいてきた。「鎮火三柱大神」の下には神代文字らしきものが書かれている。どうやら火伏せのおふだらしいが、下にはいったいなんと書かれているのだろうか。阿比留草文字として解読してみると「みつしむかはなはに」となったが、さっばり意味がわからない。


 古来宮廷行事として6月と12月に宮城の四隅で行われていた火災を防ぐための祭祀を「鎮火祭(ほしずめのまつり)」と言い、その際の鎮火祝詞を要約すると以下のようになる。

 「伊邪那岐命と伊邪那美命は夫婦となって八十島と八百万の神を生み、最後に火産霊神を生んだ時陰部を焼かれて亡くなったが、再び水神、匏、埴山姫、川菜を生んで、この心が荒れすさぶる火産霊神を水神、匏、埴山姫、川菜をもって鎮めなさいとお教えになった。」


 ここに記されているように、「みつしむかはなはに」とは「水神・川菜・埴」の意で、鎮火祭の時の供物の名称であった。鎮火三柱大神とは火産霊神(ほむすびのかみ)と水波能売神(みずはのめのかみ)と埴山姫神(はにやまひめのかみ)の三神で、荒ぶる火の神を水と土の神で鎮めるという構図になっている。ちなみに「川菜」とは川の中に生える藻のことらしい。
 稲川文化財保護協会事務局の阿部さんによると、旧稲川町方面ではわかっているだけでも六集落で鎮火祭(火祭り)が行われており、神事の後集落のあちこちに写真のようなものが掲げられるそうだ。 


 昔の時代劇が好きなのでYouTubeで探して見ているが、先日月形龍之介主演の「水戸黄門」を見ていたところ、あるものを発見してしまった。それは元禄四年の江戸の大火の後、新築される家の上棟式の場面でどこかで見たことがあるようなものが映っていたのだった。丸扇にお多福のお面。稲庭地区の火祭りの飾り物と全く一緒ではないか。調べてみるとこれには次のような由来があった。


 大工にとって新年の次にめでたいのは上棟(建前)である。地方によっても様々だが上棟には御幣(ごへい)を祭る(図15)。御幣というのは三尺くらいの板に両紙垂れをはさみ、扇子や水引で飾られた縁起物で、施主、施工者、建築日等を書き、工事の安全と家内の繁栄を祈願する。一般に京都の御幣にはおかめの面がつくが、この由来は次の故事による。

  

鎌倉時代、今の上京区にある千本釈迦堂を建立する折、当時洛中洛外に名の聞こえた名工・長井飛弾守高次という棟梁が工事をすることになったのだが、その際、信徒寄進の大切な四天柱の一本を誤って短く切り落としてしまった。
  憂いの毎日を過ごす夫の姿を見かねた妻のお亀が「いっそ斗きょう(柱の上にある木組み)をほどこせば」という一言で高次は、みごと大堂の骨組みを完成させた。
  しかし女の提言に頼り棟梁としての大任を果たしたということが世間にもれきこえてはという想いから、妻お亀は自害してしまった。高次は上棟の日、亡き妻の面を御幣に飾り、お亀の冥福と大堂の無事完成を祈ったといわれている。
                    京建労さんのホームページから引用


 稲庭地区の火祭り行事については稲川ガイドの会の『創立10周年記念誌』に詳細な調査報告が記載されており、お多福の面については山の神や水波能売神の形代ではないかとされているが、はっきりした答えは出ていないようだった。結論から言うと稲庭地区の火祭り行事の飾り物は京都地方の上棟式の御幣を真似たものであると思う。この御幣には家内安全の祈りが込められているが、その中にはもちろん防火の意味も含まれているのだから。
 そしてその由来から見ると、お多福の面と言うよりお亀の面と言うのが正しいだろう。実は丸扇には鶴の絵が描かれており、お面を付けることにより、鶴亀の一対を成している。昔の人たちは鶴亀の長寿にあやかって火災にあうことなく、建物が何代にもわたって長持ちするようにと願ったのだろうか。

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