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手のひらの図像学.5 童子と履

序章・一枚の年画から ~土牛童子~

中国年賀「春牛図」

中国の街角では、年末になると、年画や紙碼などという縁起ものの絵や神像画が売り出される。そして、各家庭でそれを買い求め、招福や厄除けの意味で門口や部屋の壁に張り、新年を迎えるという。
 この「春牛図」もその年画のひとつであり、一見して吉祥的な寓意に満ちている。新年を表す松と梅花に、別名「富貴花」と呼ばれる牡丹と、「長寿花」と呼ばれる菊(童子の着物の柄)を加えた図柄は、まさにおめでたづくしである。そしてその題名から、春のひだまりのなかに寝そべる牛と、中国の陶磁器や絵画によく登場する、俗に言う「唐子」を組合せて、新春ののどかな雰囲気を表しているといった程度のものであろうと思っていた。
 ところが、この絵にはさらに深い意味が秘されていたのである。

土牛童子


 古代中国の五経のひとつである「礼記」の中の「月礼」は、為政者が行なうべき年中行事の記録である。それによると、季節のかわりめの祭祀として「旧十二月丑月、土牛(土で造った牛の像)をつくって門に立て、寒気を送り出す」という行事が毎年行なわれていたとされている。
 我が国においても宮中の年中行事を司る「陰陽寮式」と言う書に、「土牛童子の像を(立春前の)大寒の日、前夜半時に宮中の諸門に立てる。そして立春の日、前夜半時にこれを撤去する。」とあり、この行事は古くから大陸よりもたらされていたらしい。これを陰陽五行思想的に解釈すれば、十二支と各月はそれぞれ対応しており、それによると、丑と寅を内在させている童子という存在は、十二月(丑)と正月(寅)を支配し、旧年から新年へ、そして冬から春へと季節を変換させる呪力をもつ。旧年と冬の象徴である土牛(丑)を、門の外に連れ出し、春を呼ぶことができるのは、この秘められた力を持つ童子をおいて他にはないのである。                     
        (以上は吉野裕子著「陰陽五行と童子祭祀」による)


 そこで再び「春牛図」を見てみることにしたい。おそらく、彼の地においても、もはやその本来の意味は失われてしまったのであろうが、牛と童子の組合せという図柄と言い、新年を迎える際に家の門口に張るというその使用方法と言い、この「春牛図」はまさに現代の「土牛童子図」に他あるまい。
 「春牛図」という名からこの牛が春を象徴するものなのだろうと思いがちであるが、よく見ると、春という文字の浮き出た玉を持っている童子こそが春の象徴であり、精気に満ちた童子とは対照的に従順そうに描かれた牛の姿は、次の季節に素直に取って代られるべき冬という季節を表したものなのであった。 この一見新春にふさわしいものを散りばめただけの、大衆向けの色刷りの絵が、実は古代日本の宮廷祭祀さらには、その渡来先である中国の古代呪術にまではるかに連なるものであったとは... 。(実はそれもこの図象の持つ寓意の多面体の一面にしかすぎないのであるが)
 その小さな身体とあどけない容貌とは裏腹に、季節をめぐらせるというとてつもない力を秘めた童子。いや、もはやそれは童形の神の姿なのである。
 古来より、洋の東西を問わず、童形の神は様々な姿で人々の信仰を集めてきた。彼らはこの小さな神々にどのような願いを込めたのだろうか。そして、時を超えて現われる童形の者達は、我々にいったい何を語りかけようとしているのだろうか。
                                立春の前日の深夜、都の人々が皆寝静まった頃、小さな小さな童子がその後に小さな小さな牛を牽き連れて、音もなく宮城の門を出て行く。不思議なことに、都の大路にうっすらと降り積もった雪の上に、一点の足跡を残すこともなく、ほのかに光りながら何処へともなく遠ざかって行く。彼らはいったいどこへいくのだろうか。私はこれからその後をそっと追いかけてみることにしたい。

第一章・童子と履

鍾馗

 「鍾馗」と言えば、今では端午の節句にその像や絵を飾ることになっているが、元々は辟邪のために除夜にその絵姿を張っていたという。この鍾馗にまつわる話しの中に、きわめて興味深い文章があったので引用してみたい。
                                          

唐の玄宗皇帝が、ある時おこりにかかって床に臥していた。すると、日中なのにどこ からともなく、片足に靴をはき、片足ははだしで、腰にその靴をぶら下げた上、竹の扇 子を一本さし、赤いふんどしをした一匹の小鬼があらわれて、玄宗の玉笛と寵姫楊貴妃 のにおい袋とを盗んで御殿の周囲をかけ廻っては玄宗をからかう。玄宗が怒ってとがめ ると、「私は他人のものを盗んでふざけ、人間の喜びをへらし、憂いをまして喜ぶ虚妄 というものだ」とせせら笑う。大いに怒った玄宗が警護の武士をよんで捕えさせようと しているところへ、突然破帽をかぶり、青藍色の上着を着、角帯をしめ、朝靴をはいた いでたちの巨大な鬼が、どこからともなく現われて、苦もなく虚妄を捕えてその目をえ ぐり、身体を引き裂いて食べてしまった。
                 (窪徳忠著「道教の神々」より)


 この、後から登場した巨大な鬼こそが鍾馗の姿なのであった。このように、鍾馗は邪気をはらい、妖気をしずめる力があるということから、後に玄宗が、各家庭でも除夜にその絵姿を張るようにと、天下にふれさせたというのである。
 ここで私が注目したいのは、鍾馗ではなく退治された「虚妄」の方である。かなり残酷な食べられ方をしているので、この小鬼はそうされてもしかるべき、醜く、おぞましい姿を呈していると想像するのが普通であろう。現に日本においてはそのとらえ方が支配的であり、北斎や芳年の浮世絵から現代ののぼりに至るまで、一貫してそのように描かれている。しかし、私には逆に、かわいらしい子供が、こわれやすい貴重品を持って、捕まえようとする大人たちの手をかいくぐって、すばしっこく逃げまわる様がイメージされてならない。
 おこりとは今で言うマラリアのことであるが、中国ではそれを瘧と呼び、一定時間を隔てて発熱と悪寒を繰り返すというその症状を、定期的に訪れる悪鬼のしわざと考えた。そして瘧は発作はおこすが、それで人を死に至らしめるほどではないので、その悪鬼も悪戯好きな小児、童子の姿をして現われ、それが鳥に化して逃げるとも考えられたのである。 この「虚妄」も瘧をもたらす小鬼であるとすれば、童子の姿をして現われたに違いないのである。そしてその童子はいかにも腕白そうに片足に靴を履き、もう片方は裸足でその靴をぶら下げているのである。そう、まるで「春牛図」の童子のように。
 この年画において、片足のみに靴を履き、もう一つの靴をぶら下げるということにいかなる意味があるのかは定かでないが、新年を迎える際の年中行事として何か靴を用いた儀式でもあったのであろうか。いや、どうやら童子と履物の組合せそのものに秘密がありそうである。

仙人と履

藍采和


 日本で言えば七福神のようにおめでたい図柄として、中国では八仙の図と言うものがあり、その中の一人藍采和は、童形で表されている。彼はいつも片足には靴をはき、他の足ははだしで、夏は綿入れを着るのに、冬は雪のなかに寝ても身体から湯気が出ていた。そしてある日、どこからともなく聞こえてきた笙の音に誘われて立ち上がり、白い鶴にのって上天したという。
 夏は綿入れ云々と並記されていることから、片足のみに靴をはくということは、常識を超越した様というニュアンスが強い。両足靴が常識ならば、両足はだしもまたひとつの常識であろう。しかし、片足にだけ靴がはかれた時、その人物は異様な光をはなち始める。えてしてそれは、狂気とみなされがちである。(また、世を捨てた賢人が狂人の呈を装い、当時の政治を批判したような謡をうたいながら歩き廻るという中国古典上のモチ-フに、ボロを身にまとい片足のみに靴を履くという様がよく用いられる。)だが、我々とは別の次元に住む彼らを、我々の尺度で判断はできまい。彼らの歩んでいる道の方が、遥か高みへと続いているのかもしれないのだから。もしかすると、一見奇妙な履のはきかたも、その見えない道の上を歩くための正式な格好なのではなかっただろうか。
 藍采和はいつまでも年をとらなかったという。さもあろう、彼は我々とは違った時の流れの中を歩んでいたのだから。そして、いつまでも幼いままであり続ける童子達もまた。

片足サンダル

ヘルメス


 ここで目を西洋に転じてみよう。靴というと、シンデレラ物語、フェティシズム、女性(器)の象徴などという言葉がすぐ想起されるであろうが、それはあまりにも語り尽くされているところであるので、ここであらためて語るには及ぶまい。
 ギリシア神話においてはサンダルにまつわる話がいくつかある。その中で片足だけのサンダルというと、「アルゴ-号の冒険」(映画にもなった)で名高いイアソ-ンの話が思い起される。

 

イオ-ルコスの王ペリア-スが王権に関して神託を乞うた時、神は片方のサンダルの 男に注意すべしと託宣した。王は海辺でポセイド-ンに犠牲を捧げるときに、多くの者 とともにイアソ-ン(前王クレ-テウスの孫)をもこの祭儀に呼び寄せた。彼はアナウ ロス河を渡る時に一方のサンダルを流れの中でなくし、一方だけで河から上がり、その まま王に会った。王は神話を思い合わせ、彼によって王位を奪われるのを防ぐべく、彼 にコレキスのアレ-ヌの聖森の中の一本の樫の木に吊されてあって、眠ることのない竜 によって護られている「金毛の羊の皮」を取って来るように命じた。イアソ-ンはアル ゴスやヘラクレスらと共にアルゴ-号という五十の櫂を持った船で航海にでて、様々な 冒険を重ね、コレキスの王の娘メ-ディアの協力により「金毛の羊の皮」を手に入れて 帰国した。

                                         以上がイアソ-ンと片足サンダルの逸話である。この場合それはペ-リアスにとっての不吉な殺人者のシンボルであった。そしてイアソ-ンにとっては、その後の人生を大きく変える契機となった。彼はアナウロス河で片方のサンダルを流されたのではなく、運命の鍵としての片方だけのサンダルを拾ったのだとは言えないだろうか。

 ギリシア神話でサンダルと言えば、やはりヘルメスやペルセウスの翼のはえたサンダルを忘れてはなるまい(図3)。彼らがそれを履いて虚空を飛び回り活躍する様は、古来より陶器や絵画のテ-マとして幾多も描かれているし、現代でもタイヤメ-カ-の商標とされるなど人口に膾炙している。ここではまず、このサンダルの持ち主であるヘルメスについて語らねばならない。
 ゼウスの息子ヘルメスは、生まれた時既に、たいへん悪賢い息子、ずるいおべっか使い、盗人、牛泥棒、門前の通りで待ち伏せするもの、夢の案内者、夜こっそりとうかがうものと呼ばれ、そうなる運命にあった。そして、早朝に生まれ、正午には竪琴をひき、夕方にはアポロンの牛を盗むという驚異的な早熟ぶりをみせている。この幼い姿とは裏腹のすぐれた能力こそがこの神の特質であり、ヘルメス賛歌において讃えられているのは、その幼児期の姿なのである。言い換えるならば、童子神としてのヘルメスこそが信仰の対象だったのである。ヘルメスと翼付きサンダルは西洋的童子と履物の組合せにほかならないのである。この飛行能力を持つサンダルは、ゼウスの使者として素早い往来を可能にするためのものであるとされる。あるいは子供がすばしっこく飛び回る様を形象化したのかもしれない。

 飛行能力の象徴として鳥の翼を思い浮かべるのはまことに自然な発想である。ヨ-ロッパ世界においては、天使やクピト、ペガサス、そして翼付きサンダルのヘルメスなど様々な有翼の存在が描かれてきた。そのままでは飛翔能力のない人間や動物の形象をもつ者たちは翼を付与されることによって、その能力を得ると共に聖なる輝き帯びることになったのである。
 ところが、中央アジアを境にして翼を持つ者達の姿は見られなくなる。仏教における飛天や中国の仙人、日本の役行者等、翼を持つ事なくして天空を浮遊するのである。飛天は飛ぶというよりは領巾(羽衣)によって天から舞い降りるイメ-ジである。これに対して仙人や役行者は風に乗り、雲に乗り、あるいは鶴や鳳凰に乗り虚空を駆け廻る。彼らは己れの肉体を無にし、風と一体化することによって雲間を漂うのである。いや、無というよりはさらに負(マイナス)の存在までに昇華してこそ、絶大な神通力を持つ天仙となり得るのだ。
 西洋的飛行法が翼のもたらす「浮力」によるならば、東洋的飛行法は己れ自身の「負力」によると言えよう。そして、このまことに東方的な概念である負の力こそが、童子の片足靴の秘密を解く鍵となるのである。

 桂井和雄著「俗信の民俗」の草履の呪力の章によると、高知県地方では蛇を殺した時その祟りを押さえるために、その頭部を打ち砕き、竹槍を刺し、その上にはき古した草履の片方を付けて捨てるという風習があったという。そしてこれは草履の大地を強く踏みつける力で、蛇の執念を押さえつけるという呪法であろうとしている。また、ある部落での古草履を添える理由のおもしろい説明として、草履は下がりもの故祟る値打ちがないからだというと、参考程度にふれている。
 たしかに、草履の大地を踏みつける力を呪力の源泉とするのはもっともである。しかし私は、使い古されてボロボロになり履くこともできない上に、片方しかなくなってしまった草履という存在自体に、強烈な呪力を感じざるをえない。この、一見これほど役に立たないものはなく、祟る値打ちもないとされる古草履は、逆に考えるとその絶対的な負性故に執念深い蛇でさえも祟ることができないという呪物なのである。上から押さえつけるだけではその執念は残存する。この古草履の持つ負の力によってこそそれを消し去ることができるのである。

 ここで再び童子の片足靴について考えてみよう。翼付きサンダルは、履物に翼を付けることによりそれ自体に生命力を与えるという正(プラス)の思考であるのに対して、片足靴は、本来の使用法を全く無視することにより靴の持つ価値を否定し、さらに素足よりも歩きにくいという負の価値に変換させている。しかし、ここで禅宗的思考を借りるならば、この絶対的負、絶対的否定は、即絶対的正、絶対的肯定へと変換し得るのである。つまり、マイナスの二乗がプラスになるように、その物の価値をおとしめればおとしめるほど強大な呪力をもたらすという逆説的呪法なのである。
 さてそれがいかなる呪力であるのかはここでは語ることができない。それは童形の図像に秘された様々な意味を解きあかした後に語ることになるだろう。

 古来より履物は旅の象徴とされてきた。ギリシア神話だけを見ても、翼付きサンダルを履いてゼウスの使い走りとしていつも飛び廻つているヘルメスや、ヘルメスからそれを借りてメデュ-サ退治の旅に出、その後アフリカに渡りエチオピアでアンドロメダを救出したペルセウス。父の残した剣とサンダルを岩の下から得て、アテナイへの旅の途中多くの悪人どもを退治し、ミノタウロスをも殺したテ-セウス。そして、片足サンダルの神託により「金毛の羊の皮」を探す航海に出ることになったイアソ-ンなど、まるで履物に導かれるかのようにして、英雄たちが苦難の道程へと旅立って行く。
 そして、私もこの片足靴の童子(春牛図)を得た時から彼と共に旅立つ運命にあったのかもしれない。

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