手のひらの図像学.12 神代文字のおふだ.1
湯沢市山谷 雀の宮

湯沢市街地の東部、山谷の山神社の境内にひっそりと佇む雀の宮(図1)。この小さな社には次のような物語が伝えられている。
雀の宮
山神社の境内に雀の宮といふ社がある。宇都宮の雀の宮は何か雀に救はれて感謝の為に建立し雀を保護する方になってゐるさうだが、山谷の雀の宮は反対に田圃の害鳥を退けて農家を保護する神様である。こゝのお札を田や畑に立てゝ置くと雀が荒さない計りか近寄らないと云ふので遠く他縣から迄参詣者がある。但し寄り道をしてはご利やくがなくなると云ふのでどの様に遠い人でも真っ直ぐに来て真っ直ぐに帰る。山谷に雀がゐないのも此宮のある為めと云はれ又全くゐないのも不思議である。此宮の由緒は昔し山谷に近い蛇野の地は一面の茅原でそこをねぐらとする雀の大群は朝夕の出入に必らず山谷の田畑を荒して往くので、殆ど困惑の極に達した村人は神に祈誓して示現を得、此社を建立して其害を免れたのださうだ。曾て山谷に酉松と呼ぶ暴慢な男があつて神體の粗末なるを軽んじて之を投げ棄て、換るに山神社の古い神體を以てした。然るに其秋になるとそれ迄来なかった雀は再び群をなして襲来し田畑を荒し始めたので村人は勿論酉松も初めて神威の顕著なるに戦慄し、神體を元に帰して三七日間神怒宥恕の祈祷を行つた。其間雀は毎日襲来したが満願の日には村境迄勢ひよく襲来した雀群はそこに張った注連の邊で大部分は方向を轉じて飛去りつたにかゝはらず一群たけは注連を飛越へ侵入したがこれも遂に田畑には下りずに飛去て翌年からは複び来ない様になつた。
秋の刈入も済んだ村人は冬籠の用意に蛇野に萱を仮に往くとそこに数千の雀の白骨を発見した。之れは注連縄を飛越へた一群が神罰に触れて斃れたものと語り傳へ今に神威を畏れてゐる。
『ゆざわ』島崎福三郎著(湯澤タイムス社・昭和五年十一月五日発行)より
「雀の宮」と言った場合、全国的に有名なのは現在栃木県宇都宮市にあるもので、柳田国男も著書で紹介している。
雀の宮
昔々野州の或る田舎に、饅頭をまる呑みにして食べるのを、自慢にしてゐる妙な人がありました。悪い者がよくその癖を知ってをりまして、針を饅頭の中にそっと入れて置いたのを、知らずに例の通りまる呑みにしたものですから、腹が傷んで苦しんで寝てしまひました。さうして寝ながら障子を開けて外を見てゐますと、雀が一羽、裏の韮畠に来て、しきりに韮の葉を食べてゐました。どういふわけだらうと思って毎日気を付けてゐたところが、そのうちに雀のお尻から、韮の葉にくるまって小さな針の折れが落ちたさうです。これは韮の葉を食べれば針が出ることを、神様が雀に教へさせて下さったのではないかと思って、試みに自分も韮を澤山食べて見ますと、果して針が出てしまって、痛みがすっかりなくなりました。それで喜んでお社を建てたのが雀の宮で、今でもあの邊の停車場の名になって残ってゐます。
柳田国男著『日本の昔話』より
同じ名前のお宮でも、一方は害鳥、一方は神使で、雀に対する捉え方が全く違っているのは面白い。昔話としての雀の宮の由来はかくのごとくであるが、そのモデルとなった雀宮神社の解説板には次のようにある。
当神社は「御諸別王」を主神とし、三神を祀る。長徳三年(九九七年)に八幡太郎義家によって創建され、正徳三年(一七一三年)に東山天皇から金文字で「雀宮」と書かれた「勅額」が下賜され、この額が社頭にあったため、将軍家を始め諸大名が下乗して参拝したと言い伝えられ、その「勅額」は今でも本殿(神殿)に保存されている由緒ある神社です。
※三神とは、次の三体の神のことです
一、御諸別王(みもろわけのきみ)(皇族)
二、素盞鳴尊(すさのおのみこと)(天照大御神の弟)
三、大山祇命(おおやまずみのみこと)
御諸別王は崇神天皇の曾孫で東国を治め、毛野氏の祖となったとされている人物である。「雀神社」は茨城県古河市と栃木県佐野市にもあるが、いずれも「鎮(しずめ)」が「雀(すずめ)」になったとされているので、ここも元々は「鎮宮(しずめのみや)」だったのかもしれない。そして、雀宮という変わった名称が物語を生む源泉となったのだろう。
謎のおふだ

数年前に山谷の雀の宮を管理する最上さんから、そこで配布されているおふだを数枚いただき、解読を依頼されていた。冒頭で紹介したように、これを田や畑に立てて置くと雀が荒さないばかりか近寄らないというので、遠く他県からもそれを求めて参詣者が集まるという霊験あらたかな御札である。
よく見ると文字の形に微妙な違いがあり、二種の版木で刷られていた。初めは「山谷 雀宮」以下の文字は、漢字とかなのくずし字だろうと思って辞典とにらめっこしていたのだが、いつまでたっても意味がつかめなかった。ふと、神代文字(漢字渡来以前の日本固有の文字と言われるもの)ではないかと思い、調べてみると神代文字の一種「阿比留草文字(あびるくさもじ)」で書かれていることがわかったのである。
以下阿比留草文字についてインターネットから引用する。
阿比留草文字(神代文字)
各地の神社において神璽や守符に用いられ阿伎留神社には神符の発行に用いられた版木が残されている。伊勢神宮に奉納された神代文字による奉納文の中では、最も多く用いられている。また、幾つかの書体がある。
日本語の五十音に基本的に対応しているが、歴史的仮名遣いである為に濁音や半濁音を表す文字はなく、「ん」に相当する文字も存在しない。
阿比留草文字は、甲骨文字や金文によく似ているため、これらを基にした文字であるという説がある。阿比留家の文書に阿比留文字や対馬文字と共に書かれている事から、 阿比留文字の草書体とする説が国学者の平田篤胤などによって唱えられたが、今日の研究では起源の異なる文字であると考えられている。
日本語学者の北里闌(きたざとたけし)は、阿比留草文字とフィリピン文字には類似した形と発音の文字があり、同系統ではないかと主張している。
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より
また、書体は。阿比留家所伝。出雲大社所伝、鹿島神宮所伝の三種。
雀の宮のおふだはこの三種が混じった書体で、「まもりさきはへたまへ」と解読できた。

神道においては仏教における「南無阿弥陀仏」のような特別な唱え言はないが、神社に参拝するときや神棚を拝むときには、
「祓え給い、清め給え、神(かむ)ながら守り給い、幸(さきわ)え給え」
(お祓い下さい、お清め下さい、神様のお力により、お守り下さい、幸せにして下さい)と唱える場合もあるという。
このおふだに記された「まもりさきはへたまへ」の文言は、この唱えごとに由来しており、神道においてはごく一般的な言葉であることがわかった。
神社の管理者の最上さんにお聞きしたところによると、おふだの版木は明治以降のものであるとのこと、由利郡にこの神社の元宮があるということなので機会があったら行ってみたいと思う。
神代文字の成立やその真偽については議論の分かれるところであるが、自分の身近にも多くの使用例があると言うのは紛れも無い事実なので、次回からも順次紹介していきたい。また、同じようなおふだを見たことがあるという方はぜひ情報提供をお願いしたい。
