家庭環境を振り返って
なぜこんなにも感情を見たくないのか、当たり前のように我慢をして過ごす癖がついたのかと考えてみる。
10代、20代の時に実家にいた頃の目の前の状況を乗り切る術のようなものがベースにあるのかもしれないと思うようになった。
妹は私とは違い、小さい頃から感情の起伏が激しく、自分の考えというほどはっきりした意思はなかったかもしれないけれど、自分にとって違和感のあるものを感じとったり、大人も含め、周りの他人をよく見ていたのかもしれない。
はじめの数日通ったが、小学校にはほとんど行かなくなった。
私は小学校に入り、周りの環境に馴染もう、遅れたくない、と頑張った。
違和感はあっても楽しいこともそれなりにあり、通うことは苦ではなかった。
家庭の雰囲気を思い出すと、妹はけっこうはっきりしていたのもあり、わがままと言われていたような気がする。
今思い返すと本当にわがままだったのか?と思う。
ただ親とは違う考えを持っていただけなのかもしれない。
親自身も子どもであっても、自分と違う考えを持つ人との向き合い方や、どうコミュニケーションを取ればいいのかがわからなかったんじゃないか、と思う。
また子どもを受け入れるだけの余裕が両親共になかったように思う。
思い出すのは、だいぶ大人になってから、母親の考えと妹の考えが合わない時、会話ではなく言い合いになり、まったく解決することはなかった。
昔から、日常的な会話はあっても、何かあった時に感情を受けとめてもらったり、大事なことはちゃんと話し合う、説明してもらう、などのコミュニケーションがあまりなかったなとふと思った。
日常のコミュニケーションが不足していたから、信頼関係が積み重ねられていかなくて、話をしても一方通行になり、より距離ができていったんじゃないか、と思う。
そんな妹と母親の関係を見ていて、感情を出しても良くなることはない、困らせるだけ、受け止めてもらえることはない、出しても状況は変わらない、それならできるだけ感じないようにして乗り切ろう、と無意識のうちにそうするようになったのかもしれない。
親自身も自分の育った環境での習慣をそのままやってしまうと聞いたことがあるが、親もまた、感情を受け止めてもらえない環境で育ったのかもしれない。
母親の母親(私から見ると祖母)は小さい頃は特に厳しかったようで、父親との関係の方が良かったよう。
父親はおばあちゃんに育ててもらったらしく、お父さんがいなくて、ちょっと複雑な環境で育ったよう。
父親は悪い人ではないけど、何かをできることや感情が安定していて扱いやすい、という点で私をいい子、と見ていた気がする。
大人にとってそういう子どもは扱いやすいし、楽だと思う。
でも本来はいろんな感情があったり、起伏があったり、違うことは違うと教えてもらったりする中で、どういう感情であっても受け止めてもらえる環境があって、精神が安定して大人になっていくのだと思う。
私はそれをやる前に、感情を思い切り出すと否定される、と妹を見ていて思い、大人になってからは違う考えを持っていてもあえて出そうとは思わなくなった。
また、バウンダリーの本を読んでいて、若いうちから生活費を稼ぐため働くこともヤングケアラーに入ると知り、本来は親が担うことを早いうちからやってきていたんだな、と思った。
大人になってから、人との関係でぶつかる課題のようなものは実家にいた頃の習慣からつながっていた。
最近ようやく色々なことにちょっとした違和感や疲れた、という感情を感じられるようになってきた。
他人を優先しようとする前にまずは自分を大事にする、ということを忘れないようにしようと思う。
