リレーエッセイ「訳書を語る」/一冊のモンゴル小説と歩んだ長い旅の終わりと始まり(阿比留美帆)
モンゴル語翻訳者の阿比留美帆です。今年5月、私にとって初の単著翻訳となる長編小説『シュグデン』(グン・アヨルザナ著)が春秋社・アジア文芸ライブラリーより出版されました。この作品についてご紹介します。
著者のグン・アヨルザナは1990年代半ば以降、多くの著書や翻訳を著し、ポスト社会主義のモンゴル文学を牽引してきた存在です。訳者あとがきで詳しく触れていますが、2010年代になって長篇小説に活動の軸を移して書かれた二作目が本作『シュグデン』でした。アヨルザナの作品をずっと追っていた私は迷わず手に取り、読み終えた時にはもう翻訳することを決めていました。長い旅の始まりです。

分断と喪失、それでも生きていく人々への眼差し
『シュグデン』の内容について紹介しましょう。青海省の僧院でおきた青年僧の不可解な死の謎を、親友のサマンダと警察犬トレーナーのセルジャムツのふたりが追ううちに、自らの人生や他者との関係性に向き合っていくという筋立てです。モンゴル国、中国、ロシアと国境で分断されたモンゴル民族の集合的記憶を織り込み、大国のなかで少数者として生きる者たちが抱える苦悩や悲哀、現代モンゴル人の民族意識、文化や言葉の継承にまつわる問題にも触れられます。モンゴル国の作家が、こうした視点、テーマで書くのは画期的でした。周縁に追いやられて奪われた声、時代の奔流の中でかき消されそうな声を聴きとり、それを物語として語り直すという、文学だからこそ出来るぎりぎりの表現。発表当時、インタビューでアヨルザナはこう発言しています。
物語の舞台は中国ですが、このような出来事はどの国や地域でも起こり得ることです。この小説は反中的な感情で書かれたものではなく、抑圧的な体制への反発と、個人と民族・集団の自由や尊厳に対する思いによって書かれたものです。抑圧的な体制とは、共産主義政権だけを指すのではありません。わが国にも、腐敗した政治によって思考が毒され、自由に意見を表明する勇気を失ってしまった人々が至る所にいます。“本心を語れば権力をもった誰かの怒りに触れるかも”と口を閉ざす人がますます増えているのではないでしょうか。
モンゴルの歴史や仏教に詳しければ、作品世界がより立体的に味わえるのはもちろんですが、そうした前提知識なしでも十分に楽しめるのがこの作品の魅力です。リアルで親しみのわく登場人物たちが出会い別れるまでの葛藤や揺れ、内面の変化が丹念に描かれる人間ドラマとして読んでもおもしろいでしょう。“父の不在”を補うかのような師弟間の魂の繋がりや、師僧たちの諭す教えは、不寛容、閉塞感が蔓延る現代社会にも通じる知恵と示唆に富みます。私自身、読み返すたびに新しい発見があり、その時々に置かれた状況で心に響く箇所に出会います。
あらゆる出会いが偶然ではなく、何世にもわたる縁起や因果によるものと説かれ、輪廻の概念をベースとした円環するイメージが全体に流れています。ままならない状況を描きながらも、作品全体にある種の救い、「再生」に繋がるかすかな光を感じるのはそのせいかもしれません。モンゴルについてぼんやりとした印象しか持っていないという方にも、ぜひ読んでいただきたい一冊です。

写真は“四つ目”のバンカルと呼ばれるモンゴル犬
より道、まわり道の果てにぶつかった本当の「壁」
作中に「本質を理解しないまま、一部を切り取って翻訳する行為ほど罪なことはない」という一節があります。翻訳に関わる者には身の引き締まる一言です。本書の翻訳を始めた時、とにかく「急がないこと」、「表面的な間に合わせの訳をしないこと」を自分に言い聞かせました。そのために辿ったより道、まわり道は数知れませんが、そうした翻訳に没頭する営みそのものが、私にとっては「苦労」より、「よろこび」であったように思います。ことばの奥の意味をひとつひとつ解いてはまた組み立てていく興奮。原文から伝わる息遣いに耳を澄ませ、自分を消してそこに溶け込んでいきシンクロしたときの快感――。苦しくて本当に心が折れそうになったのは、翻訳のその先にあった「出版の壁」でした。
この作品はどうにかして商業出版することを目指しました。こだわった理由は、多くの読者に届けたいという思いと同時に、様々なジレンマを抱えるモンゴルの作家たちに対して示したかったのです。モンゴルの文学が国や言語の枠を超えて読まれるに値するものだということを。そのためには、偏愛が過ぎる訳者とは異なるフラットな視点、出版のプロの目線で作品の価値を認めてもらうことが必要だと思ったのです。
翻訳全体としてはコロナ禍が明ける頃には完成の目途がつきました。それよりずっと前から並行して探ってきた出版の道は一向に開かれません。日本での翻訳出版の壁は思った以上に高いものでした。モンゴルの現代小説の邦訳が殆どない状態ですし、無名の翻訳者なのですから無理もありません。ある著名人が、「翻訳スクールや大学教授などの紹介とか推薦なしで、無名の個人が持ち込みしてもほぼ無理でしょうね」と書いているのを目にし、絶望しかけたこともあります。「出版の壁」と言いましたが、それ以前に越えるべき本当の障壁は、自分の中にある「恥をかきたくない、もう傷付きたくない、否定されるのがこわい」という私自身の心の壁だったのかもしれません。
挫けそうなとき支えてくれたのは、原点である作品です。原書を読み返すと、やはりいい。うまく言えないけど、とにかく好き。これを世に出さなくては、と謎の勇気が湧いてきます。自分に自信はもてないままでいい、作品の力を信じよう、私を信じてくれた著者を信じよう。そう叱咤しては、また勇気がたまるのを待ち、這い上がる日々でした。因みに、翻訳させてほしいと著者に願い出てから実際に出版されるまで、やむなく中断していた時期を含めると十年を超える年月がたちましたが、その間著者はただの一度も、出版はまだかと催促することはありませんでした。ただ信じて、辛抱強く待っていてくれたのです。春秋社のアジア文芸ライブラリーから出版が決まった(!)とき、文字通り震えながら報告する私に、著者は心から喜んでくれて、すてきな祝詞を贈ってくれました。
訳者として作品と(ときに自分自身と)向き合い、登場人物たちとともに続けたひとつの長い旅は、ようやく終わりを迎えました。読者へと続くこの訳書の旅路は始まったばかりです。

著者と語り合った至福の思い出
翻訳はひとりきりの作業ですが、振り返ると決して孤独ではありませんでした。日本で紹介される機会が限られる外国文学の翻訳者たちは、報われないことの多いなか、それでも訳さずにはいられない思いを抱え、日々ことばと向き合い続けているのではないでしょうか。謎の使命感と作品やことばへの溢れるような愛とリスペクトを糧として。先の見通しがつかない真っ暗な気持ちになりそうなとき、なにかひとつでも希望やヒントを得ようと時折のぞいていたサイトのひとつがこの「ほんやくWebzine」でした。はるか遠くにあった名だたる外国文学翻訳の先人たちの繋ぐリレーにモンゴル文学と私が加わる日が訪れるとは、正直まだ信じられない気持ちです。ご縁をくださったすべての方々に感謝し、この拙いエッセイが、翻訳を志しながら一歩踏み出すのをためらっている次の誰かの勇気に繋がるよう祈ります。『シュグデン』の中の言葉を借りれば、「可能性が与えられていない者などひとりもいない」のですから。
■執筆者プロフィール 阿比留美帆(あびる みほ)
モンゴル語文芸翻訳者。モンゴルの詩やことばの文化に関心を持ち、読書会やポエトリーナイトを開催するなど、翻訳・紹介活動を行っている。翻訳書に『シュグデン』(グン・アヨルザナ著、春秋社)、『ロドイダンバ短編集 恋と嫌悪』(Admon社)、字幕翻訳に『Bedridden ~寝たきりを選んだ男』(監督サヒヤ・ビャンバ、原作グン・アヨルザナ)など。共著に『モンゴル文学への誘い』(芝山豊・岡田和行編、明石書店)、『翻訳文学紀行Ⅶ』(ことばのたび社)など。モンゴル語への翻訳に佐野洋子『100万回生きたねこ』。ウランバートル大学大学院修士課程修了。東京外国語大学非常勤講師(モンゴル近現代文学)。今秋刊行の『翻訳文学紀行Ⅷ』(ことばのたび社)に短篇(のような随筆のような詩のような作品)翻訳が掲載予定です。Instagram: @mongol_bungaku
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