エッセイ 静かに生きていく
自分は普段、詩人として詩を書いているが、ときどき、詩の未来はどうなっているだろうかと考えることがある。
そして考え続けた結果、これから先、詩を書く人は激減するのではないかと、考えている。
これには様々な理由があると考えられるものの、やはりこの時代に特有の理由があることは確かだと思う。
ではそれが何なのかと言えば、「あまりにも速すぎる」ということである。
自分にはよくわからないことだが、どうやら情報を大量に摂取していると、やがて人間は加速していくようである。
たとえば最近では、TikTokで動画を視聴したり、倍速再生で動画を視聴することが人々の生活習慣になっているようだが、もしもあなたが普段そうしていて、自分が加速していると実感しないだろうか。
その加速の背景にはやはり、ある種の激しさがあるように思えてならない。
ネットの情報の特徴は、激しいことにあると思う。
良い情報であっても、悪い情報であっても、それらは基本的には激しいのではないだろうか。
そういった激しい情報を大量に摂取していると、やがて人間は、情緒的ではなくなっていくように思える。
今の自分はかなり穏やかで情緒的になった気がするものの、昔は違った。
コロナ禍が終わるまで、自分の生活習慣はスマホによって支配されていた。
スマホがない人生など考えられなかった。
今では自分は、ネットというものを仕事のためにしか使わないと決意したため、自宅からは隔離して、仕事をするときにしか電子機器は使わない。
しかし思い返してみれば、YouTubeで動画を見ていた頃の自分は、かなり激しい生活をしていたのではないかと考えられる。
やはり、静かで平穏な生き方をしないことには、健全な感情や情緒では生きていけないのではないかと考えている。
これが人間の生命活動とどのように関係しているのかはわからない。
ここで今、想像してほしい。
最近ものすごく暑くなってきたから、外を歩いていると、やがて汗をものすごくかくようになる。
その発汗作用が、果たして加速するだろうか。
あるとき突然、一瞬にして一気に汗をかくようになるだろうか。
そうはならないだろう。
感情や情緒の働きにも、それと同じものがあるように思える。
感情や情緒にも、適切な時間のリズムが必要なのだと思う。
そしてそのリズムは、比較的静かで、ゆっくりとしていて、平穏なもののように思える。
ちょうど、水面でさざ波が立ったときのペースのようなものである。
そのようなリズム感で生きていくことによって、人間は情緒的になるのではないだろうか。
そのような生き方をすることによって、やがて詩を書くことができるのかもしれない。
