自分のカラダを構成する細胞として生きていこう…
notte stellata2026から1週間
経過しました…(3/13)


⤵️
ライブビューイングには初日(3/7日)に
行ったのに、グッズらしきものはもう
売り切れていたのか、この有様でした…
スタッフの人に聞いたら、在庫はないと
言われました…パンフだけ購入しました…

羽生結弦君の推し活を始めたのが
プロスケーターになってから一年後ぐらい
だったので、去年の野村萬斎さんとの
共演で私にもこのnotte stellataという
アイスショーの重みというのか、コンセプト
みたいなものが少しだけ理解できるように
なってきた…一年に一度、東日本大震災で
被害に遭われた無数の靈や今もなお傷が
癒されていない方々が少しでも前を向ける
ように、この瞬間だけでも私たちも
亡くなった方への鎮魂に想いを馳せて
襟を正さないといけないなぁと思ったし
あの未曾有の災害はなかったことには
できないからこそ、私たちは自分が被災
しなかったから関係ないのではなく
風化させてはいけないのだと思った…
『綺麗事言うなよ』って思う人もいるかも
しれないけど…(特にアン●はこういうことを
平気でSNSで吐いている)
『綺麗事、上等じゃん!』
※【「綺麗事」という言葉は、表面的には
美しく聞こえる半面、現実離れしていたり
口先だけだったりする意味合いで使われる
ことがあります】➡︎どうしてもポジティブ
な意味に解釈されないようなんだけど…
結弦君は口先だけじゃなく、実際に綺麗な
行いをずーっと継続している…
綺麗な(崇高)な行いを利他の為に
ずーっと※"ライトワーカー"として
※【個人の魂の光が反映された仕事や役割
自分の使命に目覚め、その使命が投影された
活動全般を行う人!】
日々命を燃やしながら生きていらっしゃる
ように思えます…
羽生結弦君は自分の影響力を敢えてそれを
利用して、綺麗事を沢山してくれている!
これほど真摯に綺麗事を買って出る人は
いない!綺麗事とは決して悪い意味では
なく、綺麗なこと、清廉な生き方をして
いる人に対しての尊敬の念の意味を込めて
使いたいたいなぁと私は思う…

notte stellataの感想をblogに書きたいと
思っているうちに時間が経過し過ぎて
結弦君本人が(3/13日金)に
"メンシプらじお"でHappyend"の結弦君
の解釈を仰っていたので、結弦君本人の
言葉が全てだということを承知はしていま
すが結弦君の解説を聞く前に私が
ライブビューイングで観た感想をつらつら
と綴りたいなぁと思いましたけど…
本音を言いますと、つらつらと書けなかっ
たのです…
難し過ぎて…

⬆️
まず、YouTubeで坂本龍一さんを検索して
このピアノの旋律をじっくり聴きました…
オーケストラの雰囲気とはまた違って
ピアノの連打、ひたすら強く鍵盤を叩く
かのような旋律で私にはところどころ
不協和音に聴こえる箇所がありました…
天才の坂本龍一さんです…敢えて完璧で
綺麗な流れるメロディーラインではなく
そこに不完全さとか、苛立ちとか、怒り
とか、矛盾とか、坂本龍一さんの哲学と
いうか、若い頃の坂本龍一さんはもっと
尖っていた印象でした…周りにチヤホヤ
されても何処か冷めた雰囲気だったと
思います…笑っているようで口元は笑って
いないような、私が知っているブラウン管
(昭和のテレビ)に映し出される坂本龍一さんは
何処か世間を小馬鹿にしているような
印象でした…
若い時の坂本龍一さんは『冷めていた』
からこそ、この曲には馴れ合いを拒絶する
潔さ、天才が作曲すると私たちには不快な音に
しか聴こえないものでも、その不協和音の中に
何か真実が込められているのではないかと
納得させるものがあるのかもしれません!
それは坂本龍一さんの人生観『すべてを
受け入れ朽ちていく(死を迎える)
人生の最期に受け入れることができれば
Happyend(幸福な死生観)となるの
でしょうか…
終わり良ければ全てよしみたいな感覚
でしょうかね…(難しい😓)
晩年の坂本龍一さんを知らなかった私は
彼が東北ユースオーケストラを結成して
いたことはnotte stellataの公式発表で
知りました…意外でした…
あの若い時の彼なら理屈の通じない無邪気な
子供という存在を一番避けるように
思えたからです…
9.11のテロ、3.11の震災、ご自身の
病などで死生観が変わっていったの
でしょうか?それは彼が歳をとって
丸くなったという単純な話ではなく
知性の頂点を極めた先には人を想うという
人間愛だけが残されていたということだと
感じました…
一番苦手そうな子供という存在にこそ
ご自身が一生かけて磨きあげた宝石を
手渡した!その矛盾こそが坂本龍一さん
という孤高の存在であり、人間としての
深みなんだと思いました…。
Happyendの結末は、震災の傷は癒えない
けれど、その痛みや悲しみに向き合い
自分のカラダを構成する細胞として生きて
いこう…
自分の音楽(細胞)を子供たちに託すこと
で、自分が去った後の世界にも、その『傷』
と『希望』が呼吸し続けることを願ったの
かもしれませんね…かつてあまりに天才
過ぎて(一を知れば十を知る)『周りが
馬鹿に見える』と孤高を貫いていた人が
人生のハイライトには『皆んなと一緒に
響き合いたい』とオーケストラの結成し
た…震災からの復興という難しいテーマ
を背負って、その坂本龍一さんの想いを
また、背負ったのが羽生結弦君だったと
いう訳ですね…本人も仰っていましたよね…
"蝕まれるような感覚"
⤵️
『補修されているけれども、見える傷みたい
なものを少しずつ感じながら。それに
また蝕まれながら、自分が苦しんでいる
けれども、最終的には、その傷も全部自分
なんだって受け入れながら、演技が終わった
後に次があるよって思えるようなプログラム
にはしたつもりです』
坂本龍一さんの音楽が持つ緻密な理論は
羽生結弦さんも理数系であり、体の使い方の
理論が分かっているからこそできる連動性
を重視したと語っていました!
坂本龍一さんの理論を羽生結弦さんが
理論で解釈して震災の記憶としての感情を
乗せた…天才同士の世界線の違うフィールド
での共演だったのかもしれません…
『君なら僕のHappyendを終わらせて
浄化してくれると信じていたよ』

私が(3/7日)にライブビューイング
で観た羽生結弦さんと
東北ユースオーケストラとの共演の
Happyendを観た時(初見)の感想です…
⤵️
➖ポエム➖
"繋ぎ合わせたガラスのコップ"
by Pray with Yuzuru

どうやってこの痛みと恐怖に向き合う?
逃げても逃げても後から波が私を追いかけ
飲み込もうとする…
私のカラダはガラスのコップが地面に
叩きつけられたかのように砕け散る!
そのカケラ一つ一つ繋ぎ合わせてみた!
気の遠くなるような作業だった!
形は復元できてもその繋いだはずのコップ
は僅かな隙間から水が染み出してしまう!
傷を癒すということは一見元の形に見える
物でも繋ぎ合わせた隙間から涙が溢れる
ような、それでもこの隙間から染み出す
水を尊いと思うか、そのコップは要らない
と捨ててしまうのか、それが自分の悲しみ
と向き合う感覚に近いのかと思った!
元の形には戻れないけれど、私はその
繋ぎ合わせたコップで水を飲みたいと
思った!それが私の傷への向き合い方で
あり、癒し方であり私のハッピーエンドと
いう結末からの希望である!
