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安定剤の副作用

前の記事で、「ちゃんと」という言葉が出てしまう場面について書いた。
今回は、その言葉の正体を、もう少し自分の側から見てみたい。
「ちゃんとしなきゃ」
この言葉が出るのは、子どもが約束を破ったときじゃない。
予定がずれたときだ。
自分で立てた一日のスケジュール。
自分で決めたゲームの時間。
それが少しでも崩れると、私は落ち着かなくなる。
それはしつけというより、予定通りに進まないことへの私の不安だった。
約束を守ってほしい。
自分で決めたことには責任を持ってほしい。
親として自然な気持ちだと思っている。

でも最近、もう一つ気づいたことがある。
「ちゃんと」は、子どもにだけ向けている言葉じゃない。
たぶん私は、自分自身にも言っている。
親として、ちゃんとしなきゃ。
母親として、ちゃんとしていなきゃ。

自分では、そこまで「ちゃんとした親でいなきゃ」と強く意識しているつもりはなかった。
でも周りを見ていると、子どものことを思って「ちゃんとしなきゃ」と自分に言い聞かせているお母さんは、きっと多いと思う。
もちろん、命に関わることや、人に迷惑をかけることは別だ。
でも正直、よっぽどじゃなければ、少しくらいズレても、そんなに大きな問題じゃない。
それなのに、「ちゃんとしなきゃ」という言葉だけが、必要以上に重くなる。

不思議なのは、誰かに「ちゃんとしなさい」と言われているわけじゃないのに、
自分で自分に言い続けていることだ。
ちゃんとしている母親。
ちゃんと育てている家庭。
その基準は、実はどこにもはっきり書いていない。
周りを見ると、「ちゃんとしているお母さん」はたくさんいるように見える。
でもそれは、ちゃんとしている“瞬間”しか見えていないだけかもしれない。
例えば…手の込んだお弁当とか送迎中のお母さんのキラキラ感とか
でも、家では同じように迷って、疲れて、余裕をなくしている人も、きっと多い。
それでも私たちは、
「ちゃんとできているか」「できていないか」で、
知らないうちに自分を採点してしまう。
そこに愛情があるかどうかより先に、
○か×かをつけてしまう。

他人に見られている気がしているだけで
実際は誰も採点していないのにね

だから「ちゃんとしなきゃ」という言葉は、
愛情というより、評価に近い響きを持ってしまうのかもしれない。
乱用するとヒドい副作用があらわれます。


子育てでイライラしてしまう自分との向き合い方は、有料記事にまとめています。

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