読書感想文note【言葉なんていらない?】
「言葉なんていらない?」という本を読みました。
言葉は私と世界をつなぐ
メディア=媒介物なのか。
はたまら両者を隔てる
バリア=障壁なのか──
気になった箇所を引用しながら感想を書いてみたいと思います。
言葉がもつ機能たち
言葉には、何らかの物事を言い表すということとは別の重要な機能が数多く存在する。それゆえ、〈言葉は本物を不正確にしか表現できない影ないし模造品にすぎないから、コミュニケーションの障壁にしかならない〉というのは、筋の通っていない乱暴な主張だと言える。
現実の物事を正確に言い表すために、言葉は不十分であろう。
でも、言葉には「別の重要な機能」がある。
そもそも、「コミュニケーションとは何だろう?」ということも浮かんでくる。
AIによる概要によると、「コミュニケーションとは、人と人が互いの考えや感情を伝え合うこと、つまり意思疎通のこと」だとか。
「考え」・「感情」自体が、「正確なもの(不確かでないもの)」とは言えないとも思う。
言葉の意味を確認し合う
家父長制的な男社会の慣習によくなじんだ男性、あるいは、上流階級の暮らしに慣れきった金持ちなど、ずっと力や権威をもち続けてそれを当然と思って疑わない者には、それをもたない者が抱える問題や苦悩は目に入りにくいし、その中身や深刻さなども理解しにくい。そして、それと知らずに自分の好きなように言葉の意味を解釈して、相手に押しつけてしまいがちだ。また、相手のほうも、既存の慣習や現在の関係性などに異議をとなえることは現実問題として難しく、好むと好まざるとにかかわらず同調してしまいがちだ。
相手の言葉の意味を自分勝手に解釈してしまうことは、だれにでも起こりうる。
そして、権力をもつ者に対して、「それはそういう意味で言ったのではありません」と伝えることは難しい。
コミュニケーションの中では、そういったことを自覚したうえで、言葉の意味を確認し合うことが大事だと思う。
発話はライティング
私たちの発話は、物事に特定の角度から光を当て、そこに浮かび上がる特定の相貌(=特徴、側面、表情)を際立たせる、いわばライティングとしての役割を果たしている。
発話する中で、「今、自分はどの角度で光を当てようとしているのか」と意識してみることは、とても面白いことだと思う。
それは、「相手のどのような部分を知りたいのか」を意識することであるし、「自分がどのようなことに興味があるのか」を知るきっかけにもなることだから。
考えるという営み
なぜなら、自分がこの映画のどういった要素に感動したのか、どこがどう「すごかった」のかを表現する言葉を探し、選び取ることは、ものを考えるという営みの重要な部分を占めるからだ。(p115)
すごい、面白い、素敵。
そのような言葉で感想をまとめてしまうのは、「考える」きっかけを一つ失っていることでもある。
すべての物事に対して考え続けるのは息がつまるかもしれないが、「自分が何かしら感じられたとき」には、しっくりくる言葉を探してみたい。
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