読書感想文note【「これくらいできないと困るのはきみだよ」?】
勅使川原真衣さん編集の『「これくらいできないと困るのはきみだよ」?』という本を読みました。
組織開発者が、教育・福祉で子どもをまなざし続ける4人と対話。
内外から学校・教師・子どもに向けられる能力主義をひらく。
子どもを縛り、先生も縛られる
際限なき「望ましさ」はどこから来る?
気になった箇所を引用しながら感想文noteを書いてみます。
僕たちが何かを享受するとき
楽しいことはよいことだけど、何かを享受しているときは、何かを見落としたり、失ったりしているものだよね? と振り返る対話をしたりもします。
「同質の心地よさ」と「異質にふれること」。
皆さんはどちらを大切にしているでしょうか。
二項対立で考えるものでもないと思いますが、勅使川原さんの言葉のように、僕たちは「何かを享受」しているとき、「何かを見落とし」ているのだと思います。
対話の続きには、「同質なふり」という言葉も登場しています。
社会は本来「異質な人たちの集まり」のはずだけど、「同質なふり」をせざるを得なくなっている。
一人ひとりが「異質な人」であるはずなのに、「異質な人」が「何か特別な人」に感じられるほど、「同質なふりをさせられている人」が社会・組織にはいるということだと思います。
「同質(にみえるよう)な集まりの中での安心」が出発地点になることもあるし、「異質なままでいられる場から享受できるもの」もたくさんあるはずです。
「何かを享受」しているとき、「何を見落とし」ているのか、振り返っていたいです。
社会は揺るぎないもの?
「社会がこうだから、これぐらいできるようにさせてあげないと」と、先に規定されている、揺るぎない「社会」というものがあって、それが大前提だから「これぐらいできないと」となるわけですよね。
対話の続きに、「可変的な社会観」という言葉も出ています。
社会とは、「変わっていくもの、変えていけるもの」というイメージが浮かびにくいのはどうしてでしょう。
「変えていける」という実感については、即席で抱けるものではないと思います。
以前、働いている組織にあった一つのルーティーンに疑問を抱き、「どうしてそれを行なっているのですか?」と一人の上司に聞いたことがあります。
上司なりの「理由」を話してくれて、そこに納得する自分もいました。
でも、後日、そのルーティーンは忽然と全員の前から廃止されていました。
実際に「変化」があったとしても、そこに「自分が寄与した」と思えるかどうかは別物です。
社会とは、自分一人だけのものではなく、「異質な人たちの集まり」。
ある変化を生じさせたいと思ったら、きっと反対意見も出てくるでしょう。
でも、対話も議論も何事もなく「変化」だけが訪れることがあったとしたら、それは「自然現象」のようにしか思えないのではないでしょうか。
「異質なもの」や「反対意見」に蓋をしてしまうのではなく、対話や議論を重ねて、一人ひとりが「社会を変えていける存在であること」を実感できるプロセスを大事にしたいです。
「規定された社会の中の自分」ではなく、「社会を形作る一員、社会と影響し合う自分」でいたいです。
「頑張っている人が好き」という言葉
全身全霊が悪いとは思わないし、すごいことだなって思うんです。
でも、本来それは、自分が「これを全身全霊で頑張りたい!」と思ったものにすることであって、他人が強いるようなものではないと思うんです。
「頑張っている人が好き」と言う人に出会ったことがあります。
個人の嗜好を無理に変化させる権利は誰にもないと思いますが、これが権力者の言葉だったとしたら。
「権力者にとっての理想に焦点を当てた頑張り」を強いられる人が出てくるようになるのではないでしょうか。
言葉を都合よく使わないということ
ビジネスの文脈では、その人らしさを考えるときには、固定的な能力観でその人を定義した方が話が早いとされてしまう。「人となり」という状態ではなく、素質や能力寄りの表現も確固として存在しています。
「固定的な能力」とはどのようなものでしょう。
能力が「〇〇をできる力」なのだとしたら、その力を発揮できるかどうかは「個人だけ」にかかっているのでしょうか。
今の社会においては、「能力が発揮し(評価され)やすい環境」に身を置けることも一つの特権なのかもしれません。
例えば、「労働=週40時間のフルタイムで働くこと」という前提がある社会だとしたら、短時間勤務者が能力を発揮する環境はなかなか整備されないでしょう。
働きたい意欲があっても、労働の場にたどり着けない人もいるかもしれません。
能力が発揮される要因には、「個人だけ」ではなく、「環境の設定」もあると思います。
もう一つの「人となり」という言葉。
個人的には、この言葉も都合よく使われている場面もあるのではないかと考えています。
検討の余地があるところ(例えば「その人の能力が発揮しやすい環境設定を考える」など)から目を逸らし、すり替えのように「(社会や組織にとって不都合な部分があるから、社会や組織にとって理想の)人となり」を強要させられることが起こっているからです。
「頑張り」の文脈とも重なりますが、「その人らしさ」を考えるとき、それが「強いられた人となり」ではないか、注目したいです。
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日々を過ごす中で、「望ましさ」はすぐそばに、堂々と、またはさり気なくあるものだと思います。
その「望ましさ」がどこからやって来ているのか、注目していたいです。
そして、一方的な「望ましさ」が「その人らしさ」を阻害することがない社会となるよう、まずは「自分が自分であること」を意識してみたいと思います。
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