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将軍がいるのに、なぜ「執権」が必要だったのか?──北条義時①

征夷大将軍とは、何なのか。

前回までの三回で、
その歴史を追いかけてきました。

もともとは、
朝廷から任命される軍事的な役職のひとつ。

それが源頼朝の時代になると、
武家政権のトップを象徴する肩書きになっていく。

なるほど。

では、その後の鎌倉幕府も、

「征夷大将軍がトップに立ち、幕府を動かしていった」

──と思いたくなります。

ところが。

鎌倉幕府の歴史をもう少し先へ進めると、
妙な役職が出てきます。

「執権」。

しかも、この執権、
だんだん、
将軍より強くなっていきます。

社長がちゃんといるのに、
なぜか専務が会社を全部動かしている。

今回は、
そんな話です。


🏯 カリスマ創業者・源頼朝が死んだ

建久10年(1199年)。

鎌倉幕府を築いた源頼朝が亡くなります。

跡を継いだのは、
18歳の長男・源頼家。

二代将軍です。

会社にたとえるなら、
圧倒的なカリスマを持つ創業社長が突然亡くなり、
若い二代目が会社を引き継いだ。

そんな状態でしょうか。

しかし、
創業者と二代目では、
社内での立場がまるで違います。

頼朝の周囲には、
彼とともに戦ってきた有力御家人たちがいました。

北条氏。

比企氏。

梶原氏。

和田氏。

三浦氏。

それぞれが、
軍事力も土地も人脈も持っています。

二代目社長から見れば、
役員全員が古参の実力者。

しかも、
簡単にはクビにできません。


👥 「社長ひとりに任せるのは危ない」

頼朝の死から間もなく、
幕府では政治の意思決定に、
有力御家人たちが関与する体制が作られていきます。

いわゆる、

「十三人の合議制」です。

北条時政。

北条義時。

梶原景時。

比企能員。

和田義盛。

三浦義澄。

大江広元。

三善康信。

などなど。

鎌倉幕府の重鎮たちが並びます。

現代風に言えば、

「若い二代目社長に全部決めさせるのは危ないから、
重要案件は取締役会で決めましょう」

というところでしょうか。

もっとも、
本当に13人が一堂に集まって、
現代の取締役会のように多数決で経営していた、

という単純な制度ではありません。

ただ、
頼朝という巨大な存在が消えたあと、
将軍だけで政治を動かす体制ではなくなっていった。

ここが重要です。


⚔️ 問題は、役員たちが仲良くない

では、
みんなで話し合って、
仲良く鎌倉幕府を運営しましょう。

……となれば、
話は平和なのですが。

そうはなりません。

なにしろ、
全員が有力者です。

それぞれに、

土地があります。

兵があります。

一族があります。

利害があります。

さらに、

誰が将軍と近いのか。

誰が幕府の中で発言力を持つのか。

誰の娘を誰と結婚させるのか。

政治と家族関係が、
複雑に絡み合っています。

つまり、

「十三人の合議制」

という穏やかな名前の裏側で、
鎌倉幕府は、
壮絶な社内政治へ突入していきます。


👤 そこに北条義時がいた

その13人の中に、
今回の主人公がいます。

北条義時。

父は北条時政。

姉は、
頼朝の妻だった北条政子。

こう聞くと、
最初から幕府の中心人物だったように思えます。

ところが、
義時は最初から圧倒的な
権力者だったわけではありません。

父・時政もいる。

比企能員もいる。

梶原景時もいる。

和田義盛もいる。

三浦氏もいる。

幕府には、
義時より存在感のある有力者が何人もいました。

ところが。

ここから十数年。

鎌倉幕府では、
奇妙なことが起こります。


📉 有力役員が、次々といなくなる

1200年。

梶原景時、滅亡。

1203年。

比企能員と比企一族、滅亡。

1205年。

北条時政、失脚。

1213年。

和田義盛、敗死。

もちろん、
これらすべてを、

「北条義時が裏で計画して消した」

と考えるのは単純すぎます。

事件ごとに事情も、
対立関係も違います。

義時自身が、
常に主導者だったわけでもありません。

しかし、
結果だけを見ると、
一つの不思議な光景が浮かび上がります。

幕府の有力者が消えるたびに、
北条義時は、
権力の中心へ近づいている。


💼 そして「執権」が残った

やがて、
北条氏は幕府政治の中心を担うようになります。

その象徴となったのが、
「執権」という立場でした。

征夷大将軍は、
ちゃんと存在しています。

それなのに、
実際の政治を動かす中心には、

将軍ではない北条氏がいる。

前回まで、

「征夷大将軍とは何なのか?」

を見てきました。

ところが、
鎌倉幕府をもう少し追いかけただけで、

今度は別の疑問が出てきます。

「執権とは、何なのか?」

そして、
もっと気になる疑問。

なぜ北条義時は、
ここまで生き残ることができたのか。

次回。

カリスマ創業者・頼朝亡きあとの
鎌倉幕府で始まった、壮絶な権力闘争。

気がつけば、
有力役員たちが、
一人、また一人と消えていきます。

──北条義時、
「血のリストラ」です。

おふざけ歴史×経済のまとめはこちら👇

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