見出し画像

キリスト教界のみなさん、こんにちは

キリスト教界のみなさん、こんにちは。

クリスチャントゥデイというキリスト教のインターネット新聞の編集長をしております、井手と申します。

クリスチャントゥデイは約20年にわたり、一部のクリスチャンからは事実無根の誹謗中傷を受けてきました。マタイ18章15-17節に従い、最初は直接会って話して誤解を解こうと努力しました。しかし、個人も団体もこれを放置しました。主イエスが異邦人または取税人のように扱いなさいと命じられたように、不本意ですが、法的な判断を受けざるを得ませんでした。

地方裁判所、高裁、最高裁と裁判をして、最終的に、クリスチャントゥデイに関してなされた誹謗中傷は事実に基づいておらず、違法であり、なおかつ不法であるという判決が確定しました。

この件を知らない人もおられたでしょう。知らない方々は知らなくて大丈夫です。クリスチャントゥデイがこれからもイエス・キリストの救いを宣べ伝えるために神様に用いていただけるようどうかお祈りください。

この件を知っていてこの20年間静観しておられた方、特に諸教会、諸教団で意思決定をする立場におられるリーダーの方々は、この違法行為・不法行為を支持するのか、支持しないのか、立場をはっきりさせていただきたいと思います。

ダンマリを貫いて風化するのを待つのがご自身の保身のためには最も有効であることは存じております。事なかれ主義の言論空間に留まるのはさぞ快適なことでしょう。

しかし、風評被害をずっと受けてきた者からすれば、言い訳でも良いから何か一言でもいいから、言ってほしいのです。なぜ今までこれを放置してきたんですか?と問いかけたいのです。

キリスト教界のみなさん、こんにちは。 クリスチャントゥデイというキリスト教のインターネット新聞の編集長をしております、井手と申します。 クリスチャントゥデイは約20年にわたり、一部のクリスチャンからは事実無根の誹謗中傷を受けてきました。...

Posted by Hokuto Ide on Monday, July 28, 2025

関連記事:
根田祥一氏の敗訴確定、最高裁が上告棄却 本紙に対する名誉毀損で賠償命令
東京高裁、根田祥一氏の訴えを棄却 賠償額を増額
根田祥一氏に賠償命令、体験談装った匿名ブログの記事拡散で本紙の名誉を毀損

上記の投稿をしたあとちょっと後、進展があり、以下の投稿をしました。

先方の人たちから「違法行為だろうが不法行為だろうが、正当化する。風評加害は続ける。キリスト教界的に死ね。社会的に他殺されることを甘受して泣き寝入りしろ」と「意訳せざるを得ない」返答が公開されました。こっちの返答は「NO」です。キリスト教メディアとして受けた宣教の召命は守り従います。

公開なので探せばすぐ見つかるものですが、僕の投稿のなかにリンクを載せることすら忌み嫌っておりますので知りたい人は自分で調べてください。 人間には期待してはならない。クリスチャンだとしても自分を含め罪人に過ぎない。 兄弟を偽証で社会的に殺す人だとしても神様の導きがありますように。

外界と隔絶されたムラ社会の権威者は、悪い方向に走ると、法を犯しても周囲の忖度を受けて、無問題になることがある。 小さな限界集落だから一般社会の目も向かず、違法行為を社会から咎められる機会もない。 けどね基督村でしょ?民法犯すのもだめだけど「偽証するな」は神の律法でしょ?守ろうよ。

「ムラ社会の権威者から違法に加害されて、周囲が全員忖度して自浄できないで泣き寝入り」というのは日本の至る所で起きている事象じゃないだろうか。日本のキリスト教界というムラ社会においても。幸いうちはメディアだったから大声を出せたけど普通は被害者は声をあげても小さすぎて誰にも届かない。

これまで声を出せなかった、出しても聞かれず社会的に抹殺され泣き寝入りしてきた人たちがはどれくらいいたのだろうかと思う。そういう人たちの声を大きくする拡声器になりたい。ほら私たちを見て。泣き寝入りしなくていいですよと伝えたい。だから泣き寝入りしない。最低限の正当防衛はする。生きる。

こういうこと言ってるとね、「悪に歯向かわず加害を受け入れなさい」みたいなことを諭してくる外野も出てくるわけですが、イエスだって崖から突き落とされそうになったとき避けたでしょう。「命を犠牲にするタイミング」は外野が決めるものではありません。神様の時と自分の意思で決まるものです。

「法の上に自分が君臨していると勘違いしたムラ社会の権威者から違法な加害を受け泣き寝入りした被害者」が自分と同様の理不尽な違法な被害を受けた人を黙らせようとすることもある。自分もされた。私の受けた害は補償されてないのに声をあげたあの人の害が補償されるのは「ズルい」ことだからだろう。

しかし、「弱者同士、被害者同士の足の引っ張り合い」が、「違法行為への忖度の蔓延を維持すること」が、「悪者を正しいとし、正しい者を悪者にする曲がった裁きを改めないこと」が、「受けた被害と同じものを下の世代に同様に無法に理不尽に加害して奪取する連鎖を紡ぐこと」が、神の御心だろうか?

ムラ社会で違法行為を気にもせず他人に加害を働く権威者に対して、泣き寝入りしないで社会的生命を保とうとする人は、加害者はもちろんのこと他の被害者からも、「黙れ。泣き寝入りしろ。社会的に死ね」と圧力を受けることがある。クリスチャンにとっては、それに打ち勝つ力が神の愛と召命なのだろう。

あなたに伝えたいことがあります。そう。これを今読んでるあなたにです。別に僕を支持しても支持しなくても、黙らせようとしても妨害しても、全く構いません。あなたの自由です。どうぞ心置きなく存分に全力でやってみてください。それでもあなたには僕の召命を捨てさせることはできないでしょう。

神の愛から僕を引き離すことはできないでしょう。あなたがいくら僕が偶像に仕えていると嘘を言いふらしても、僕は世界を創造された全知全能の神に仕え続けるでしょう。主イエス・キリストの十字架と復活により僕の罪が贖われ僕は救われたという僕の信仰告白を、僕が撤回することは絶対にないでしょう。

勝負してみようではありませんか。僕とあなたで。エリヤとバアルの預言者がやったように。僕の信仰告白そのものである僕の日々の働きを僕の影でコソコソ回覧させる事実に基づかない悪口によって潰せるかどうか。誰が神に仕えているのか、誰が神に敵対しているのか、はっきりさせようじゃありませんか。

あなたが何により頼み、何を力とするかはあなたの自由です。それが「ムラ社会の法を無視した権威の力」や「ムラ社会で培った人脈の力」や「忖度と空気の力」であったとしても構いません。「神の愛の力」は、「主イエス・キリストの救いの力」は、弱く小さな僕を守り生かして余りある力だからです。





追伸:
こんなこと書いといて、なんですが。深く知らなくてもいいです。このために祈らなくてもいいです。それより聖書読んで、自分の課題を祈って、神と隣人を愛してください。とんでもなく深い闇と沼なので招きたくないのです。深く知れば知るほど信仰的拷問を疑似体験することになるのでおすすめできない。

祈りますと言ってくる人も、支持しますと言ってくる人も、逆に支持しない人や、妨害してくる人も、実は等しく信用できないし、信頼もできない。人は、皆弱く罪人だから。「お上」の意向や、自分の社会的生命が天秤にかかると簡単に裏切る姿をあまりにもたくさん見てきたから。 神様だけが頼りになる。

誤解して妨害してくる人も、誤解はないけど裏切ってくる人も、一緒に血を流す戦友も、みんな同じ神の子だし、愛すべき兄弟姉妹だし、クリスチャン仲間だと思っている。「沈黙」のキチジローとモキチが強さ弱さの差はあれど、同じようにクリスチャンであったように。難易あれ愛すべき隣人なのだと思う。

ほんとに、世の中には「知らないほうが良いこと」っていうのはあるのだと、この件の当事者としては思う。この件に関しては「知ろうとしないこと」がある意味賢いのだろう。「知る」ことが即「戦場に足を踏み入れる」ことになるから。人によっては「知らなければ良かった」と後悔するかもしれない。

ただ、当事者としては、知らない人たちとは共有できない苦しみのゆえに断絶と距離を感じてしまうこともある。人それぞれ自分の苦しみを抱えていて、全部共有できる人なんかいないのだから、それは当然なのだが。だからこそ、心の中の一切も、人生の全ての瞬間も、共有してくださる神様の存在が慰めだ。

この件のことを深く祈ろうとすると、深く知らなければならない。深く知ろうとすると、大量の情報を咀嚼して、さらに重くて苦しい心理的負荷にも耐えないといけない。大変な重荷を負わせることになる。だから気軽に祈ってほしいとも願えないし、頼めないんですよ。祈りですら。自分は祈りますが。

10年とか20年、この件に関わってきた同志的な戦友的な人たちとは互いに祈りあったりします。そのような小さな祈りの輪が与えられたことが感謝なことですし、彼らとは互いの重荷を負い合っているような実感があります。あまり話さなくとも、アイコンタクトだけでも察するものがあります。

この件を深く知ることは情報量的に、心理的負荷的には難しいのですが、情報の入手難易度的には、簡単です。僕のブログ( https://nehemiaharchives.blogspot.com )を10年分くらい読んだらだいたいの情報は入手できます。公開されてます。おすすめはしません。読んでほしいとも言えません。読むのは自己責任で。

いいなと思ったら応援しよう!