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項羽を泣かせたのは、敵の歌ではなかった──「四面楚歌」の意外な真実

「四面楚歌(しめんそか)」。 周りがすべて敵で、孤立してしまうこと。意味はご存じの方も多いと思います。

でも、ひとつだけ質問させてください。

項羽(こうう)を追い詰めた「楚歌」とは、いったい誰の歌だったでしょうか。

「敵が歌う、敵の国の歌でしょう?」

そう思った方。じつは、ちがうんです。

四方から聞こえたのは、項羽の“故郷の歌”だった

楚歌の「楚(そ)」とは、項羽自身の故郷の名前です。 つまり項羽は、敵である漢軍が歌う“自分の故郷の歌”に、四方を囲まれたのです。

このとき、項羽はこう感じました。

「漢はもう楚を占領したのか。なぜ、こんなに楚の人間が敵側にいるのだ」

味方だと信じていた故郷の人々まで、敵にまわった——。 そう思わせる歌でした。だからこそ、最強の覇王だった項羽の心は、ポキリと折れたのです。

敵国の歌なら、項羽はかえって燃えたかもしれません。 けれど、疲れ切った心にしみこむ“故郷の歌”は、望郷の思いとともに「もう味方はいない」という絶望を運んできました。この作戦を仕掛けたのは、漢の名軍師だったといわれています。

かつての覇王の味方は、たった800人になっていた

中国大陸に君臨した覇王・項羽。 その彼が垓下(がいか)の地で追い詰められたとき、付き従う兵は、わずか800人ほどでした。

長く続いた劉邦(りゅうほう)との戦い。 強さでは勝っていたはずの項羽が、なぜ、ここまで追い詰められてしまったのか——。

そしてこの夜、項羽はひとつの詩を、大きな声でうたいます。 愛する女性・虞美人(ぐびじん)に向けた、別れの詩を。


ここから先の物語は、ブログにじっくりまとめました。

  • 身長185cm超・怪力無双だった「項羽」の素顔

  • 項羽が最後にうたった名詩「抜山蓋世(垓下歌)」の現代語訳

  • 道端の「ヒナゲシ」が“虞美人草”と呼ばれる、切ない理由

  • 5年を共に戦い抜いた名馬・騅(すい)の話

  • 「四面楚歌」の使い方と、「八方塞がり」との意外な違い

項羽と虞美人の最期、そして「四面楚歌」という言葉が生まれるまで。 歴史書『史記』に記された、覇王の壮絶な物語の続きは、こちらからどうぞ。

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