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田のない「新田」に水田ができた!

武蔵野台地の開拓史において、水なき大地に生まれた「鈴木田んぼ」の物語は非常にドラマチックだ。
その「シャングリラ」の誕生から終焉までの軌跡をたどる。


🌾 田んぼが無くても「新田」と呼ばれた享保の改革

武蔵野台地は関東ローム層に覆われ、水が深く浸透してしまうため、古くは長らく未開発の原野だった。

しかし、8代将軍・ 徳川吉宗 による 享保の改革(1722年〜) で新田開発が強力に奨励されると、台地中央部でも「武蔵野新田(享保期新田)」が一斉に開拓される。

ただし、ここでいう「新田」の大半には本格的な水田(稲作)は存在しなかった。
玉川上水の分水は主に飲料水・生活用水として使われ、農業の基本は大麦・小麦・粟などの雑穀を育てる 畑作中心(旱田) だったのだ。

水田がないのに「新田」と呼ばれる——それがこの地域一帯の特徴だった。


💧 畑作の台地に奇跡のように生まれた「鈴木田んぼ」

そんな水のない畑作新田群の中で、小平では珍しい例外として、開発当初からまとまった水田を持っていたのが 鈴木新田 だった。

鈴木新田は 享保9年(1724年) に貫井村の名主・ 鈴木利左衛門 らによって開発された。
地元ではこの水田地帯が 「鈴木田んぼ」 と呼ばれていた。

この奇跡を可能にしたのは、 享保14年(1729年) 頃に開削された 「鈴木新田田用水」 と、その地形だ。

現在の鈴木遺跡周辺は石神井川の源流にあたり、 馬蹄形に開いた窪地(谷頭部) になっていた。
台地中央部でありながら水が溜まりやすいこの崖状の地形に用水を落とし込むことで、自然に一段・二段の水田を作ることができたのだ。

周囲が乾燥した畑作地帯であったため、この珍しい水田はまさに 「垂涎の的」 とも言える場所だった。


🏚️ ほんの数十年のシャングリラとその痕跡

この武蔵野のシャングリラとも呼べる鈴木田んぼだが、永遠には続かなかった。

この水田は 明治41年(1908年) に用水の引水を止めるまでの 約70〜80年間 続いたとされている。

現在では住宅地となり地表から面影は薄れているが、その痕跡は地中に眠っていた。

鈴木遺跡 (主に後期旧石器時代の遺跡)の発掘調査において、幕末の水車遺構とともに、灰色の水田土壌や水路跡などの 「江戸後期の田んぼ跡」 が検出された。
小平市内初の水田跡として大きな注目を集めた発見だ。

これがかつての「鈴木田んぼ」の存在を裏付ける証拠となっている。


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