ベトナム旅行3日目
停電から始まった朝

昨日の夜は夜更かしをしてしまい、寝たのは1時を過ぎていた。お酒も飲んでいたため、あまりしっかり眠れなかった。
朝7時ごろ、アラームで一度目が覚めた。
下が騒々しいなと思いつつ、なんだか部屋が少し暑い。風呂に入っているかのような、不思議な熱気に包まれている。
まだ眠かった私は、そのまま二度寝を決めてしまった。
しばらくすると、ノックの音がやけに大きく響いた。
ドアを開けると友人が立っていて、すでに集合時間になっていることを知らされた。
驚きとともに焦っていると、
「停電だ」
と言う。
なるほど。だから暑かったのか。
あいにく、私の泊まっていた部屋には窓がない。真っ暗な部屋の中で、スマホの光を頼りに散らかった荷物をカバンへ詰め込む。
このホテルには次の日は泊まらない予定だったので、バックパックも含めてすべての荷物を持って出る必要があった。
なんとか10分ほどで準備を終えた。
外に出ると、友人はホテルの人と何やら話していた。
停電したため、もし次の日も泊まるなら少しくらい割引してくれないか、と交渉していたらしい。
結局、それは叶わなかった。
しかし代わりに、バックパックをホテルで預かってもらえることになった。
友人に感謝を伝えつつ、昨日の夜から今朝にかけての自分のだらしなさを詫びた。
しかし、頭はまだあまり回っていなかった。
外へ出て、Grabでツアーの集合場所へ向かう。
集合時間まで、あと10分ほどしかない。
しかし、こういう時に限って自分のGrabがなかなか来ない。
一度キャンセルして別のドライバーに変更し、なんとか集合場所へ到着した。
そして友人と合流したところで、今度はさらに大きな問題に気がついた。
財布がない。
ホテルに預けたバックパックの中へ、そのまま財布を入れてきてしまったのである。
最終的にはツアーのバス自体が遅れてきたため、結果論としてはホテルへ取りに戻る時間は十分にあった。
しかし、その時点では当然、バスは定刻に来ると思っていた。
私は財布を忘れたことを悔やみながら、その場で待つことにした。
今回の旅行では、スマホのeSIMや充電も含め、かなり準備をしてきたつもりだった。
しかし、すべてが思った通りに進むわけではない。
もちろん友人は、
「代わりに出すよ」
と言ってくれた。
ありがたいことである。
しかし、それとは別に、財布がないことで、自分自身の判断で自由に行動するための心理的なハードルが少し上がったように感じた。
誰かにお金を借りている状態で、
「ここへ行きたい」
「これを買いたい」
と言うのは、自分のお金を持っている時とは少し違う。
私は、それが嫌だったのだと思う。
やり場のない思いを抱えながら、ツアーの人に、
「ホテルが近いので、そこまで行く前に寄ってもらえないか」
と聞いてみた。
しかし、遠いので無理だと言われた。
遅れて来たのだから、それくらい緩くてもいいのに、と思った。
しかし、その後すぐに、
いや待てよ。
日本でもバスが遅れて来ることは全然ありうる。
だからといって割引になるわけでも、こちらの都合を何でも聞いてもらえるわけでもない。
そう思い直した。
こういう時、人間は自分が困っているというだけで、世界の側にも少し譲歩してほしくなるものなのかもしれない。
旅先で予定がずれる
バスに揺られながら、友人と今日、そして明日の動きを相談した。
この時点で、私のスマホの充電はすでに70%台になっていた。
バッテリーの最適化をしたままにしていたため、80%がマックスになっていたのである。
財布はない。
スマホの充電も心許ない。
そんな中で、翌日の旅程について友人から予定を変更したいという話が出た。
私は楽しみにしていた予定があり、それを急に変更することには抵抗があった。
一方で友人は、これから泊まる場所や移動も含め、旅全体の流れを考えた上で変更した方がよいと思っていたようだった。
お互いに見ていたものが、少し違っていた。
私は、
「それは急すぎないか」
と思っていたし、友人には友人なりに、
「この方が全体としてうまくいく」
という考えがあった。
財布を忘れ、スマホの充電にも不安を抱えていた私は、普段以上に余裕を失っていたのだと思う。
少し意見がぶつかった。
しかし、その時は感情のまま相手を押し切ることはしなかった。
自分が何を嫌だと思っているのかを伝えながら、友人が何を考えていたのかも聞くことができた。
話してみると、どちらかが完全に間違っているというより、見ていたものが違っていたのだと分かった。
こういった逆境からの立ち直りは、案外大事な経験なのではないかと思う。
旅では、予定通りに進める能力だけではなく、予定が崩れた時にどう立て直すかという力も問われる。
そして予定だけではなく、人間関係についても同じなのだと思う。
銃声は「bad music」

そうしてクチへ向かった。
そこで強烈に印象に残ったものの一つが、銃声だった。
クチトンネルのツアーでは、実際に銃を撃つことのできる射撃体験がある。
私はやってみてもよかった。
しかし3〜4千円ほどすることに加えて、何より銃弾を撃った時の音があまりにも大きかった。
爆発的な音だった。
私はその音を聞きながら、
これは生きているものが出す音とは、ずいぶん違うな
と直感的に感じた。
もちろん、
「これは自分が平和主義的、理想主義的だからそう感じているだけなのではないか」
とも考えた。
自分の感情をそのまま正しいものとして扱わず、一応、自分で自分の心を検査してみる。
しかし、それでもやはり、あの音は私にとって音楽的にかなり苦痛な音だった。
ある人が、
「bad music」
と言っていたらしい。
なるほど、確かにその通りだと思った。
音楽を愛する者にとって、あの音はまるで鼓膜を破壊せんとするような、瞬間的な破裂音である。
私は結局、銃を撃つのをやめた。
そして、その時に生まれて初めて、
銃が怖い
と思った。
銃とは、撃った瞬間に、銃口から着弾点まで口径の太さのものすごく長い刃が、一瞬だけ空間を貫いているようなものではないだろうか。
もちろん実際には、一発の弾丸が高速で飛んでいる。
しかし、そのように想像すると、この武器の異様さが少し実感できる。
引き金を一度引くだけで、自分と何十メートル、場合によってはさらに遠く離れた場所まで、一瞬で暴力が届く。
しかも戦争では、あれが一発だけ飛ぶわけではない。
何発も、何十発も、何百発も飛び交う。
そう考えるとゾッとする。
確かに、気がおかしくならないとやっていられない、というのも分かるような気がした。
そして、クチトンネルの地下へ

銃声を聞いた後、ツアーはいよいよクチトンネルの地下へと進んでいった。
クチトンネルでは、ベトナム戦争の時代、ベトナム側の兵士たちがさまざまな罠を考え、地下に穴を掘り、その巨大な地下空間を使って生活しながら戦っていたという。
ツアーでは、そうした罠や地下への入口、当時の生活について説明を受けながら、かなり長い時間、要塞の地上部分を歩いていった。
私は「クチトンネル」という名前から、もっと早く地下へ入るものだと思っていた。
しかし実際に地下へ降りたのは、本当にツアーの最後の10分程度だったと思う。
地下へ降りる。
まず驚いたのは、その狭さだった。
普通に立って歩くことはできない。
ちょうど深くお辞儀をした時のような体勢で、なんとか通過できるかどうかというくらいである。
意外だったのは、思ったほど暑くなかったことである。
地上の暑さを考えれば、地下はむしろ少し落ち着いている。
しかし、歩き始めるとすぐに別の苦しさがやってきた。
あっという間に息が切れる。
中腰の姿勢を維持したまま、狭い空間を前へ進んでいく。
ところどころに灯りがあり、それを頼りに進むことができた。
しかし、おそらく当時はこんな灯りはなかっただろう。
今は観光客が通れるように整備されている。
それでも、たった数分進むだけで息が上がる。
もし、もっと暗いこの場所で、いつ何が起こるか分からない状態で生活するとしたら。
しかもそれが一日や二日ではなく、長い時間続くとしたら。
もちろん、私が10分ほど観光で通った経験と、戦時中そこにいた人たちの経験を同じものとして語ることはできない。
しかし、説明だけを聞いている時とは、明らかに感じ方が違った。
ようやく穴から地上へ出た時には、かなり汗をかいていた。
息も多少上がっていた。
その日はそれだけだった。
しかし翌日、歩いていると太ももに鋭い痛みを感じた。
何だろうと思ってから、
「あ、昨日のクチトンネルだ」
と気がついた。
筋肉痛になっていたのである。
ほんの10分程度、中腰で歩いただけで翌日に筋肉痛になる。
銃声を聞き、その後で狭い地下を通る。
戦争では、そのどちらも一度きりの「体験」ではなかったのだ。
そして翌日、太ももの痛みを感じながら思った。
クチトンネルツアー。
これは旅行初日でなくて、3日目でよかった。
KAI Coffeeと、大学時代の自習室の匂い

クチトンネルツアーを終え、美味しいご飯屋さんで昼食を取り、私たちはバスでホーチミン市内へ戻った。
そこから友人とは一度別れ、二時間ほど自由行動をすることになった。
私は前から目星をつけていたKAI Coffeeへ向かった。
この日の夜、場合によってはここで一晩過ごすことも考えていたため、その下見も兼ねていた。
そして何より、スマホを充電したかった。
店に入った時、私は妙な懐かしさを覚えた。
匂いが、大学時代によく使っていた、少し年季の入った自習室に似ていたのである。
もちろん掃除はされていただろう。
しかし、その自習室は学生がお菓子を食べたり、勉強したり、さまざまなことに使っていた。
そして何より、部屋全体に木材が使われていた。
いわゆる「木の温もり」という言葉から想像するような、爽やかな木の香りとは少し違う。
むしろ、長い年月の中で人の匂いや空気が染み込んだ木材、という感じである。
一昔前の愛知県図書館にあった、自習用の木のテーブルを思い出す。
KAI Coffeeにも、それと似たものを感じた。
広々としている。
席も多い。
しかし、いわゆる洒落たカフェの無機質な清潔さとは少し違う。
そこには、カフェというよりも生活の匂いが漂っていた。
人が長く座り、話し、何かを食べ、勉強し、パソコンを開き、時には眠気をこらえながら時間を過ごしてきたような匂いである。
全く知らない異国のカフェなのに、匂い一つで大学時代の自習室と突然つながった。
こういう瞬間は面白い。
遠くへ来たはずなのに、昔いた場所が急に自分のすぐそばまで戻ってくる。
私はスマホを充電しながら、この旅の記録を書いていた。
しばらくして外を見ると、雨が降っていた。
まだ完全には暗くなり切っていないホーチミン。
道路にはバイクが行き交い、店の看板や街灯が光り始めている。
その光を背景に、窓についた雨粒がとても綺麗だった。

旅をしていると、こういう時間が案外好きだ。
観光地を見る時間ではない。
誰かと話している時間でもない。
知らない街の中で一人で座り、少し前に起きた出来事を書き留める。
旅の途中でありながら、旅そのものを少し外側から眺めるような時間である。
「離せばわかる」
程なくして、友人から連絡が来た。
Bitexco Financial Towerから夜景を見に行かないか、という誘いだった。
前日にも行こうとしていたのだが、時間がギリギリで間に合わなかった場所である。
私は準備を整え、友人と合流した。
結果的には、荷物を取りに行くために二人で集合する予定だった時間より、少し早く再び一緒に行動することになった。
「離せばわかる」という言葉がある。
タモリの言葉である。
ずっと一緒にいる必要はない。
一度離れて、それぞれ好きなことをする。
そうすると、また普通に会うことができる。
朝には少し意見がぶつかっていた二人が、数時間後には一緒に夜景を見るために歩いている。
関係というものは、一度ずれたら終わるものでもないらしい。
サイゴン川を見ながら、ニューヨークを思い出す
雨の後だったため、展望台からの景色は少し霞んでいた。
それでも、ホーチミンの夜景は十分に美しかった。

大都市のすぐ横を、大きなサイゴン川が流れている。
その風景を見ながら、私は行ったこともないニューヨークのことを思い出した。
マンハッタンが大きく発展した理由の一つに、ハドソン川の存在があるという話を以前読んだことがある。
ハドソン川を北へ進むとオールバニがあり、そこからモホーク川沿いに西へ進むことができる。
さらにエリー運河によって五大湖方面と結びついた。
もちろん、サイゴン川とハドソン川では地理も歴史も違う。
それでも、大都市の横を巨大な川が流れている風景を眺めていると、
都市というものは、陸の上だけに作られるものではないのだな
と思う。
川や海があり、そこを人や物が動く。
その流れの上に都市は育ってきた。
そんなことを、ホーチミンの夜景を眺めながら考えていた。
ミウミウスパ、そしてジャズバーへ
その後、私たちはMiu Miu Spa 4へ向かった。
Miu Miu Spaはホーチミンの1区周辺に複数店舗があり、人気の店舗は当日だとなかなか予約が取れない。
私はもともと別の店舗を予約していたのだが、旅程の変更もあり、急遽こちらへ変更することになった。
予約にはWhatsAppを使った。
普段まったく使わないアプリだったので、日本にいる時にインストールし、ChatGPTに英語を確認してもらいながら予約した。
一週間ほど前から予約していたので、それなりに楽しみにしていた場所でもある。
結果としては無事に行くことができた。
Miu Miu Spaについては、また別の記事に書こうと思う。
スパを終えた後は、ジャズバーへ向かった。
そこで、中国人の三人組と出会った。
英語とボディランゲージを使いながら、小一時間ほど話しただろうか。
そして、その後私はKAI Coffeeへ戻り、一晩を過ごすことになった。
コミュニケーションは量ではなく、方向なのかもしれない
今回の旅の中で、たびたび考えたことがある。
大学時代、留学生と交流していた時のことだ。
当時も人と話すことは好きだった。
しかし、その中でどこか孤独を感じていた。
英語を一緒に勉強する、近い立場の仲間がいなかったこともあると思う。
それ以上に、
「一緒にいること」と「心が循環すること」は、別なのだ
という感覚があった。
私は人と話す時、比較的、相手を理解しようとする方だと思う。
話を聞く。
相槌を打つ。
相手が何を言いたいのかを考える。
そして、おそらくその分だけ、自分も相手から同じ方向のものを少し求めてしまう。
もちろん、全く同じ量を返してほしいという意味ではない。
むしろこれは、量ではなくベクトルに近い。
どのくらい話したか。
どのくらい長い時間、一緒にいたか。
そういうことではない。
相手の話を聞こうとする。
理解しようとする。
相手が心地よくいられるようにする。
そういうコミュニケーションの「向き」が似ているかどうかなのだと思う。
相槌や頷き、声の調子、距離感、清潔感。
そういったものまで、おそらくその中に含まれる。
だから、一緒にいる時間を増やせば必ず満たされるというものでもない。
逆に、短い時間であっても、
「この人とは話が循環するな」
と思うことがある。
そういう人に出会うことは、案外難しい。
KAI Coffeeで大学時代の自習室の匂いを思い出した時、その頃の孤独まで一緒に蘇ってきたのは、もしかするとそのためだったのかもしれない。
人はいた。
交流もあった。
それでも、どこか満たされない。
必要だったのは、人の数や一緒にいる時間ではなく、同じ方向に会話を返してくれる人だったのだろう。
今回の旅では、朝に少し意見がずれても、それを言葉にし、一度離れ、また夜には一緒に夜景を見ることができた。
コミュニケーションがうまくいくというのは、最初からずっと気が合っていることではないのかもしれない。
ずれた時に、また同じ方向を向き直せることなのかもしれない。
この日は朝から、ほとんど何一つ予定通りには進まなかった。
停電。
寝坊。
財布忘れ。
スマホの充電。
予定変更。
銃声。
クチトンネル。
雨。
それでも最後には、ホーチミンの夜景を眺め、ジャズバーで知らない人たちと話していた。
予定通りではなかった。
しかし、悪い一日だったかと言われると、全くそんなことはない。
むしろ、予定通りではなかったからこそ覚えていることが、ずいぶん多い一日になった。
