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本が嫌いだった【28歳の思考メモ】①

こんばんは。ほほえみです。今日もお疲れさまでした!

タイトルにも書いたように、私は本が嫌いでした。
図鑑や辞書はまあまあ好きでしたが、小説や論説文、批評文、とにかく文章を読むのが嫌いでした。国語の授業などで読まされる、興味のない文章を読むのがただ面倒くさかったんです。古典なんてほぼ外国語だし。今の京都民にしか感じられない趣が一般教養になるなんて、興味もないし、面倒くさいと思ってきました。

でも、文章を読むのが苦手という意識はありませんでした。国語が一番点数を取れたし。文章に書いてあることや筆者の意図は読み取れていました。

テストに至っては「文章を読んで」というか、「問題作成者の意図はこうだろうな」を考えながら問いを解いていた感じでした。

文章を読むのが面倒くさいとかいう考え方なのに、やたらと国語が得意なので、高校の先生に「国語の先生になれば?」と言われて、文学部に入ってしまいました。周りは当然(?)本好きや少なくとも興味は持っている人ばかり。
私の文章や本に対する態度が周りと違っているのは明確に感じていました。

「言いたい結論だけスッキリ言ってくれたらそれだけで伝わるのに回りくどい。」

それが私の主張でした。これは文学とは異なるベクトルで、むしろ数学などが近いのではないかと今は思います。

じゃあなんで「回りくどい」うえに「面倒くさい」文学があるのか。

それは私たちが生きる世界が、社会が、一人一人の心や感情が、「スッキリした結論」を出せるような単純な構造ではないからだと今になって思います。

だから、文学は必要とされるし、誰でも文学が書ける。

スッキリ言えるなら、結論だけでも充分です。

スッキリ言えないから、言葉を編んでいくことになります。そして、それが文学になるのだと、28歳の時点では思っています。

長くなったので続きはまた書きます。
読んでくれてありがとうございました!
いい夢見てね🎵

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