「子は自分のものではない」と、二千五百年前からもう言われていた話
うちには子どもが三人おります。大学生が一人、高校生が一人、小学生が一人。それぞれおかげさまで順調に育っております。
とはいえ、進路、友達関係、スマホの使い方などなど、気になること、口を挟みたくなることが沢山ございます。それでもなるべく口を出さずに本人達に任せてきました。
そんな折、ふと気づいてしまったんですよ。お釈迦様の教え通りに、子の主体性を大事にしてきた結果、どうもうちの子たちは寺の跡を継ぐ気配がありません。目の前の好きな道をそれぞれ選んで進んでおりまして、実に立派なことなんですが、坊さんとしては内心ちょっと焦っております。育て方が正しかったのか、坊さんの跡継ぎとしては失敗だったのか、正直まだ判断がつきません。
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法句経(ダンマパダ)という、お釈迦様の言葉を集めたお経があります。その中の一つに、こんな話が出てきます。
「わたしには子がいる。わたしには財がある」と思って悩む人がいる。しかし、そもそも自分自身すら自分の思い通りにはならないのに、まして子どもが自分のものであるはずがない、というのです。
二千五百年前の話ですよ。スマホもSNSもない時代に、すでに「子は所有物ではない」と説かれていた。いつの時代も似たようなところに落ち着くものだなとつくづく思います。
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とはいえ、「子は自分のものではありません、以上」で終わってしまうと、ただの正論で終わってしまいます。実際、どう振る舞えばいいのか。
ここで参考になるのが、長部経典というお経に収められている「シンガーラ経」という教えです。六方礼経と言えばご存知の方もいるかもしれません。
これは、六方拝という妙な儀式をただ闇雲に続けていた青年に、お釈迦様が「その拝み方には、ちゃんと意味があるんですよ」と説いた話です。東西南北上下の六つの方角を、それぞれ人間関係になぞらえておりまして、東の方角は親子関係にあたります。
その中で、親が子に対してすべきこととして、いくつかの項目が挙げられています。悪いことをやめさせる。善いことをするよう導く。教育を授ける。そして最後に、こう続きます。
「適切な時期がきたら、財産の管理を任せる」
これです。私が引っかかったのは、まさにこの一文でした。
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子育てというと、「見守る」だとか「信じて待つ」だとか、ふんわりした言葉で語られがちです。このお経が言っているのはもっと具体的で、「任せるべき時が来たら、実際に手放して任せろ」という、実践的な教えなんですよ。
見守っているつもりで、実は手綱を握ったままの親というのは、坊さん自身、鏡を見るような話です。結局のところ、こちらが「もう任せる時期だ」と腹を括れるかどうかにかかっているのかな、と。
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ちなみに、経典の中にはもっとストイックなのもあります。スッタニパータという古いお経には、「犀の角のようにただ独り歩め」という有名な一節がありまして、その文脈で「子を欲するな、まして友をや」という、なかなか過激な言葉まで出てきます。子を持つこと自体が執着の種だから、独り修行に生きよ、という教えです。
これは出家して独り修行する者に向けた言葉です。私はその教えを実践しなかったので、子を三人もうけたわけです。というか、現代の日本のお坊さんはほぼ皆、実践してません。実践しているのは私が知る限り、仏舎利塔で知られる日本山妙法寺の御僧侶くらいです。
もっとも、お釈迦様ご自身、この教えとは裏腹な逸話を残しておられます。出家を決意していた矢先、望んでもいなかったのに子ができたと聞いた時、思わず「障りが生まれた、繋縛が生まれた」と漏らしたというんですよ。「あちゃー、これで足枷ができた」というのが本音だったわけです。かわいそうなことに、その息子は「ラーフラ(羅睺羅)」、まさに「障り」を意味する名前を付けられてしまいました。
話には続きがありまして、父の浄飯王からは「出家するなら跡継ぎを残してからにせよ」と条件を付けられていたそうです。つまり、この「望んでいなかった子」のおかげで、かえって出家の条件が整い、心置きなく旅立てるようになったという皮肉な一面もあるんですよ。人生、何が幸いするか分かりません。
余談ですが、この「犀の角」のお経、実は漫画にもこっそり登場しております。「聖☆おにいさん」という、ブッダとイエスが立川でアパート暮らしをする漫画をご存知でしょうか。あの中でブッダは趣味でシルクスクリーンのTシャツを自作しておりまして、その一枚に大きく「犀の角」と印刷されている、という描写があります。
これに気づいた時、思わずニヤリとしてしまいました。独り歩めと説いたご本人が、まさかのちに神の子と同居してTシャツ作りに励むことになるとは。しかも、その独歩を説いたお経の文句を、自分のTシャツにプリントして着ている。矛盾しているようで、実によく分かった上でのギャグなんですよ、これ。分かる人には分かる、実に贅沢な小ネタです。
それでも、子を持つ以上は執着から逃れられないという前提を踏まえたうえで、「では、その執着とどう付き合うか」を説いたのが、先ほどのシンガーラ経の教えなんでしょう。
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主体性を尊重するというのは、放っておくことではありません。かといって、いつまでも手綱を握り続けることでもない。
「任せるべき時に、ちゃんと任せる」
言葉にすればそれだけのことですが、実行するとなると、これがなかなか難しい。二千五百年経っても、親という生き物がやっていることは、あまり変わっていないようです。独り歩めと説いたブッダでさえ、結局は誰かとTシャツを作りながら暮らしているくらいですから、坊さんも肩の力を抜いていこうと思います。
うちの子たちが寺を継ぐかどうかは、今のところ分かりません。それでも、任せると決めた以上、そこまで含めて任せるしかないんでしょう。後継ぎ問題は、まあ、その時にまた考えます。
(合掌)
